とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

朝のコーヒータイム

2019年05月27日 | 日記

 穏やかな日々が続いている。風の強い庄内も無風に近い毎日だ。北海道が猛暑日を超えているとの報道ラッシュとは無関係で、日差しは強いものの日陰に入れば快適な温度である。ホームページトップ写真の水田は田植え後20日目に撮ったもので、生育はいつになく順調そのもの。  

 我が家の農機具小屋に付随して、100㎡ほどの東やがある。普段は車庫で、トラクター置き場等として使う事もある屋根付きの便利な空間である。今頃になると、丸テーブルとイスを引っ張り出して休憩所に早変わりする。農作業の合間に一服する場所でもある。  

 朝食は7時過ぎ、その後のコーヒータイムはここになる。ここで、孫の成長ぶりや子供たちの事、世間話しに花が咲く。360度視界良好なので、遠くに水管理に来る人や、通勤車の車種などを眺めている。

 いつもの様に眺めていると、つがいのカラスが電線に止まった。カラスは寄り添ったり、くちばしをつつきあったり、長時間止まっている。これはと思ってカメラを取りに行ったが、まだ居るのでパチリと撮った。バカチョンの望遠なのでピントは良くないが、めったに無いと思いブログの「ちょこっとフォト」に載せた。「カラスさん仲いいね~」

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酒田市新井田川界隈その1

2019年05月20日 | 日記

 山居倉庫の船着き場を通り、酒田本港へ注いでいる二級河川が新井田川である。市街地をゆったりとながれる風情に心が和む。その土堤に桜が植栽されて春の桜並木は見事なものだ。住民ボランティアで美化運動も盛んで遠くには鳥海山が見える景勝地である。

 上本町から北新橋まで3キロほどの直線的な新井田川は運河で、もともとは旭新町付近を蛇行していたのを、洪水の常襲地帯のため改修され現風景となっている。  北新橋付近で豊川へと分かれる。豊川は新井田川の支流として酒田北港へと流れ、新井田川の水量を分散させる役目を担っている。この辺は低地でいつも洪水に悩まされてきた地帯でもある。

 ここから数キロ上流に舟止橋があり、新井田川の起点はここになる。舟止には八幡神社があり、なまず観音も祀られている。大きなナマズ捕まえたら、お腹に金色の観音様が入っていた。縁起物として祠を建立し、今でも8月26日にお祭りをしている。  

 舟止を地元ではフナドと呼んでいる。地域で獲れた米をここから舟で酒田へ運んだものと思われるが、ここに大きな水門があった。水をせき止めて田んぼに潅水したものである。フナドの川底は深く、水泳ぎは上級生にならないと行けなかった。飛び込みや水遊びのメッカでもある。  

 市議会時代に北新橋から舟止までの土手数キロを歩道として舗装し、ヘルシーロードと命名した。舟止に散歩の休憩所として、東屋と水飲み場が整備され、大勢の市民の散歩道となっている。  

 舟止から上流は寺田川と平田川に分かれる。

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緑に変わった庄内平野

2019年05月13日 | 日記

 深緑の候である。この季節を、これ以上の表現方法を私は知らない。芽吹いた広葉樹の新芽が日に日に深緑となり、ケヤキは空が見えないほどに葉が茂っている。秋には葉を落とし、春に芽吹く自然の輪廻は当たり前にやって来るのだが、不思議な営みにも見える。  

 庄内平野は田植えがほぼ終わった。飛行機から見える幾何学模様の圃場は見事なものだ。何年か前の事になるが、大手新聞の記者が酒田支部から北海道へ転勤となり、その送別会の折に、庄内の何が一番印象に残っているかを尋ねたことがある。彼曰く「この広い平野の田んぼに、一週間ぐらいで水が張られ、代掻きが始まり、その一週間位で田植えがが始まり、あっという間に庄内平野が緑に変わる。これには驚いた」  

 私は当たり前に感ずるが、そう言えば確かにその通りである。農業も深い自然の中にある。機械化は進んでいるものの、結局は自然の営みのほんの一部に過ぎない。自然の恵みを大切にしてきた伝統は日本古来から続いている。

 令和の大嘗祭神に供える新米は京都と栃木産米と決まった。  そう言えば、10年位前に酒田市北平田の農家が選ばれて新米と粟を献上した事がある。新米は一升分をピンセットで一粒一粒を、家族総ぐるみで選別して献上したと聞いている。  「農は国の基」は薄れた感じもする

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平成から令和に

2019年05月07日 | 日記

 5月1日に元号が令和に変わった。その前日に平成天皇の退位の儀式が行われた。午後5時から「退位礼正殿の儀」の様子が放送され、皇族をはじめ、三権の長など300人の前でのお言葉があった。「感謝の気持ちと寂しさ」を感じさせるお言葉だった。「松の間」を去る時、後方の美智子妃殿下を振り向かれ「松の間」にゆっくりと一礼された陛下のお姿に心を揺さぶられた。  

 天皇の譲位は202年ぶり。退位され「上皇」「上皇后」となられた。令和天皇が即位された4日目、天皇陛下の即位を祝う一般参賀には10万人を超える人が皇居前に集まり、長蛇の列となり予定を20分繰り上げて開門する運びとなった。日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。  

 私の住む小さな集落に「熊野神社」がある。圃場整備の移転で、現在地にあり、ささやかに4月29日は、宮司がお出でになって祭司がおこなわれた。昭和55年の移転の際、ご神体の仏像と思われるものに、製作年が享和元年とあった。江戸中期の1800年ごろから祀られていたのだろうか。その村祭りの日に、宮司が「奉納 天皇陛下御即位」の登り旗と垂れ幕を持ってきてくれた。小さな神社に飾った。  

 全国の神社8万か所に、この登り旗がはためくのだろうか。

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