とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

元酒田市長相馬さんが亡くなって8年目

2022年08月27日 | 日記

 8月21日は近代酒田の基を作った故酒田市長相馬大作さんが亡くなって8年目の命日だった。今でも故相馬大作さんの話題は絶える事がない。相馬さんの先見性、政治力、人間性など市民の評価は衰えるどころか、今はむしろ高まっているように思う。
 酒田の景勝地とされる東北公益文化大学のある高見台一帯をカルチュアゾーンに指定し、出羽大橋の架橋と合わせた偉業は見事なものだ。運輸族と言われた相馬大作さんは酒田北港開発に心血を注いだ。酒田共同火力、住軽アルミの誘致での公害防止協定の締結は市を二分する論争となり、身の危険も感じた相馬さんが知事公邸に一時避難する事態も起きた。
 企業誘致も全力だった。東北エプソン、本間ゴルフ、タナシン電機、助野靴下、簡保の郷酒田など「市民のために頭を下げるのに金はかからない」と東奔西走する姿が思い出される。
 昭和46年から20年間酒田市長を歴任されたが、私は相馬さんの翻意ではなかったように思う。「私は酒田市長になるため、池田正之輔の門を叩いたのではない。赤じゅうたんを踏むためなんだよ」ポツリとつぶやいたのを覚えている。当時、山形県2区選挙区には酒田から代議士がいた。タイミングが合わない。後援会が出馬を決めたその日に酒田大火が発生、電車で秋田に向かっていた相馬さんが本荘から戻り、酒田大火の指揮を執ることとなったのである。その間を防災服姿で通した事が印象に残る。
 語りつくせないが相馬さんの残した遺産はあまりにも大きい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道の赤字路線に囲まれた庄内

2022年08月20日 | 日記

 鉄道利用者の減少が全国的な課題となっている中、JR東日本は7月28日に利用者の少ない地方路線の収支を初めて公表した。極めて高い公共性が求められる鉄道会社の赤字路線の公表には驚いた。電気、通信、水道、郵便、高速道路など国民に不可欠なインフラはユニバーサルサービスとして個別の収支は公表していない。
 JR東日本によれば、庄内を通過する3本の鉄道は全て赤字路線で、中でも羽越本線の村上ー鶴岡間の赤字額が最も多く、次いで酒田―本荘間、陸羽西線の余目―新庄間となっている。
 かつて国鉄時代に酒田以北は秋田鉄道管理局、以南は新潟管理局、余目以東は仙台管理局で管理されていた。それぞれの競い合いから庄内はその谷間に置かれていた。今でもその気配が感じられる時がある。
 かつて庄内の鉄道論議は東京までの時間短縮が中心だった。しかし、東京へ庄内空港から1時間で行ける飛行機の出現でその論争は終わった。鉄道は県内移動の手段として活用するプランに切り替える時に来ている。高齢化社会が進む中、安全性、定時性の高い鉄道に期待は高まっている。
 遅れている庄内の鉄道網は乗り換えなしで山形とつながる事である。秋田県南、新潟県北が鉄道で繋がり山形県内陸との交流人口が増える効果は大きい。
 山形県は未来への投資を惜しむべきではない。JR東日本には公共性重視の姿勢を強く求めたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精霊を迎えるお盆

2022年08月13日 | 日記

 今日からお盆である。亡くなられた方や先祖の方が、あの世と呼ばれる世界からこの世に戻ってくる期間と信じられ日本の風習となっている。故人が生前を過ごした場所、主に自宅でお迎えし再び戻っていくあの世の幸せ、冥福を祈る機会であるとされている。
 実家を離れた子供や孫たちが帰省して家族と一緒にお墓参りをして近況を語り合う機会ともなる。何はともあれ、お精霊さまをお迎えする事になる。昔は、亡くなった方を初めて迎える新盆は、自宅前に提灯を高く掲げて精霊様が迷わないようにと目印を作ったものだ。
 お盆には、仏壇の前に「精霊棚」を造りお供えをします。そこには精霊灯をともし、精霊様が乗って帰ると言われるキュウリの精霊馬とナスの精霊牛を爪楊枝などで造って一緒に供えます。盆踊りは踊りでご先祖を供養し奉納することから始まったものです。
 子供の頃は13日未明に村はずれに藁の迎え火をたき、16日夕刻は送り火を炊いたものだが、今は出来ない。
 問題になってる宗教もあるが、最も大事なことはカタチにこだわることでなく、先祖や故人を大切に供養したいという気持ちです。この事が、自分の家族にとってよりよいお盆の過ごし方となるはずです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒田花火ショーが中止に

2022年08月06日 | 日記

 酒田花火ショ-は最上川の増水のため中止となった。コロナ禍で中止され3年ぶりの実施を、心待ちしていた多くの市民は「残念だの」とあいさつ代わりの会話から話に入る一日だった。。
 酒田市周辺が豪雨だった訳ではない。8月3日から4日の未明にかけて置賜地方に記録的な豪雨が発生し、知事が激甚災害を申請するほどの豪雨災害に見舞われた。最上川の水位は下流部でも上昇し花火の打ち上げ場所で、観覧会場でもある最上川河川敷も一時水没する事態となった。
 5日朝には水は引いたものの、水没によって足場がぬかるんだり、泥などの堆積もあり不衛生な状態が改善する見込みがなく準備が間に合わないと判断し、5日9時に6日及び7日の花火の打ち上げを中止すると判断したものだった。
 豪雨災害に見舞われた方々を思えば花火大会くらいは我慢しなければとは思うが、長期にわたって準備された関係各位の無念は察するに余りある。
 7月30日に実施された吹浦海岸西浜の遊佐町花火大会は酒田発吹浦までの電車時間に合わせた大会だった。電車の往復切符で花火大会参加も粋な計らいである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする