とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

燃料電池自動車に試乗

2015年08月29日 | 日記

 次世代のエネルギーは水素であると言われて久しい。代表的な使用方法は燃料電池である。酸素と化合すれば電気と熱になる。電気はあらゆる便利なエネルギーに変換するので、無限の価値がある。熱も利用形態は制限されるものの、無害で利用方法はいくらでもある。
 先般、愛知県の豊田市を訪れた。次世代のエネルギーを活用し未来の社会システム構築に向けた「とよたEkofuru Townn」は、無理なく無駄のない低酸素な暮らしをめざした、環境先進都市のモデルエリアで、都市から中山間地まで各種の体験する事が出来る。
 スマートハウスもあったが、やっぱり水素ステーションは興味があった。燃料電池自動車に水素ガスを充てんするスタンドである。水素は爆発するイメージが強いが、見た目異様な感じはない。燃料電池自動車500キロ走れる水素ガスを充てんするのに3分で終わると言う。
 次世代の自動車と言われる「みらい」に試乗させてもらった。エンジン音がないので静なのは当たり前だが、加速性が抜群であると言う。豊田市に「ふるさと納税」すると、約一日この「みらい」に乗る事が出来る仕組みになっている。まだ量産出来てないので、価格と普及にはたくさんの課題がある。それこそ未来である。
 私は、燃料電池機関車が作れないのか。ディーゼル機関車に置き換えられたら面白い展開になるとも思った。ただ、水素を作る技術が問題であることも事実である。電気分解で水素と酸素を固定化できれば、水素は無限にある。電線のいらない社会が来るかもしれない。

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消えた北小応援歌が愛知県で歌い継がれる

2015年08月22日 | 日記

 廃校になり消えた酒田市立北平田小学校の応援歌が愛知県知多市立新田小学校で歌い継がれる事になった。新田小学校は児童数700人を超える大きな学校である。作詩した者としては、葬式の後に生き返った人が歩き出した衝撃を受けた。
 事の始まりは、30年ほど前に作られた北小応援歌で育った当時の生徒が、知多市立新田小学校の教員、大畑祐太先生が赴任していた事に始まる。新田小学校は創立が新しい学校で、応援歌がなかった。皆で応援歌を作ろうとなった時、大畑先生が小学校時代に歌った北小応援歌を歌い上げた所、一同それがいいとなり、私のブログを検索し会議にかけて了解されたとの事である。
 私に連絡が入ったのは6月頃である。勿論わたしは賛成だが、作曲された松田先生は亡くなられているので、ご遺族に同意して頂くように申し上げ、同意を得ることが出来、今年の運動会から歌ったとの事である。
 大畑先生から礼状が届いた。「今、私が勤務する知多市立新田小学校では、子供たちが大きな声で応援歌を歌っています。とても歌いやすい、元気が出るなどと大変気に入った様子です。私自身、大変懐かしく思うと共に、かつての母校が無くなったことを残念に思います。願わくば、この北小応援歌が新しい形に生まれ変わって、伝統として残っていけばと思います」
 ありがたいご縁が出来たなあと感無量です。

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お盆に考える

2015年08月14日 | 日記

 お盆の14日朝の6時は、菩提寺満願寺のご住職が先祖供養に来て下さるならわしになっている。連日の猛暑が、お盆に入った途端にさわやかに涼しくなった。今朝6時きっちりと、ご住職がお見えになった。
 読経が終わった後に、ご住職と説法とも駄弁ともつかない会話が楽しみである。今朝は「仏教の根幹の教えは何でしょうか」と尋ねてみた。しばらく考えた末「全てに生かされているという概念でしょうか」との答えだった。なるほどとも思えるし、当たり前といえば当たり前である。
 過去に教えて頂いた心に残っている事柄を思い出す。「お坊さんは何で剃髪なんですか」と聞いたことがある。「仏教に形から入れとの教えがある。形も整わない者に真実は見えない」と含蓄のある教えも知った。「弔うと言う漢字は、昔の風葬だった頃、親類縁者が屍を鳥や獣から守るため、弓矢で守った事からきているんだ」と教えてもらった。
 「頂いたものは、頭上の上にあげて敬意を表し頂くものである。しかし、重いものは持ち上げられないので頭を下げることになるのです」私たちが日常何気ない仕草も、仏教に根差した心から伝承されている面白さに興味は尽きない。仏間に供える灯明は智恵を表し、花は慈悲の心だと言う。お盆がなければ、時の流れに流される毎日だけなのかも知れない。

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鳥海山で短い避暑体験

2015年08月07日 | 日記

 猛暑が続いている。稲は穂揃い期に入り稲穂が天を向いている。やがて光合成で、でん粉が蓄積され傾穂期へと移っていく。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」である。昔、出穂の時は「暑い程良い」と言われていたが、これほどの暑さを想定しただろうか。酒田でも連日33℃を超えている。稲姿は茎が短く、理想的であり日照も多い。作況指数が104と報道されているので、良質米多収の見込みとなった。
 あまり暑いので、鳥海山7合目にある鉾立にドライブした。さすが別天地である。気温25℃、そよ風が心地よく身体をさすってくれる。県内外の観光客で駐車場が満杯だった。年配の方が多く「ここは秋田県だよね」と話しかけられた。「はいそうです。どちらからですか」と会話がはずんだ。大平山荘は山形県なのだが、やっぱり鉾立の人気が高い。
 山小屋を散策し、食堂に入った。団体客がどっと入って店内の人手不足感が否めない。心地よい店内温度でゆっくりと昼食をとった。やわらかいアイスクリームが旨かった。帰りは象潟に降りた。ここも33℃だった。短時間の避暑体験は終わった。

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相馬大作さんの一周忌

2015年08月02日 | 日記

 元酒田市長の相馬大作さんが亡くなったのは昨年の8月21日、間もなく1年である。月日の速さに驚いてしまう。ついこの間、現職の本間市長が他界され市民の悲しみも癒えてない。思い返せば、相馬さん後継市長の大沼昭さんも他界されている。私が関わった市長4名のうち3名が亡くなっている。
 6月の中頃に「相馬さんの一周忌に皆でお寺参りをしよう」と相蘇芳夫さんから声がかかった。早速、東京にお住まいのご長男に連絡を取った。「ありがとうございます。仕事の都合で8月にお願いできれば一緒にさせて下さい」との返事だった。酒田港祭りの花火大会も見れるようにと8月2日に決めた。細かい打ち合わせは相蘇さんや、元秘書の方たちがやってくれた。
 打ち合わせ通り、狩川の見龍寺に午前10時に集まった。文書も出さないで、口コミだけにすることだったので、少人数だろうと思っていたら、見龍寺の駐車場がいっぱいなのだ。故人のご遺徳がこれだけの足を運んでもらえたのだろうと、つくづく有難かった。見龍寺は漕洞宗の寺院である。ご住職と一緒にお経を唱え、ご焼香もした。最後にご住職の説法があり、相馬さんの思いでに浸った。立派な一周忌になった。
 夕刻から、相馬さんが心血を注いで誘致した「かんぽの郷酒田」で故人を偲びながら夕食会をやる手はずである

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