とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

27回目の県政報告会

2015年07月29日 | 日記

 去る24日、第27回目の県政報告会を「玉姫殿」を会場に開催した。選挙区全域の主な後援会員を対象に開催しているもので、年に2回の恒例行事である。今回は、暑気払いの名目で県政報告の後にビアパーティも兼ねた。なかなかの盛況だった。
 開会前に、本間酒田市長に黙とうをささげた。30秒の沈黙に去来する思いはたくさんある。山形新幹線の運動は大丈夫だろうか。駅前開発はどんな形になるのだろうか。手がけた課題は山の様にある。改めて市長の重責をかみしめる時間だった。
 ゲストに岸宏一参議員予算委員長が少し遅れて駆けつけてくれた。来週から始まる参議院を舞台にした、安保関連法案、TPPの行方などが中心のあいさつだったが、山形新幹線問題にも触れ板谷峠を抜く時がチャンスではないか、など自論を展開され、激励をされた。 私は、本間市長がここまで引っ張ってきた山形新幹線の酒田延伸運動をどう展開すべきか、機関車を失った列車がたどりつく先が心配である事を申し上げ、市民の団結を訴えた。時田遊佐町長も酒田市と歩調を合わせて発展を勝ち取りたいと決意を述べられた。
 相当遅れて乾杯が宣言され、冷たいビールで喉を潤した。各テーブルを回ると、陳情や意見が堰を切ったように出てくる。これが本音なのだ。これを原点に山形県につなぎ、具現化するするのが県議の重要な役割である。山形県発展のため、今何をすべきかが問われている。

 

 

 

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本間酒田市長の死

2015年07月21日 | 日記

 本間酒田市長が志半ばにして亡くなられた。無念さが痛いほど伝わってくる。惜しまれてならない。短い市長生活に次々と病魔が襲い掛かる壮絶さは、本人ならずとも私たちも心が痛んだ。愚痴ひとつ言わず、体力の限界を超えて公務を勤める様は、私たちの規範となり、語り継がれていくだろうと思う。
 本間さんが健康福祉部長時代に、私は県議会議員に当選した。県職員もろくに分からぬ時に本間さんを頼った。酒東出身のよしみもあり県庁亀城同窓会を立ち上げ、人脈を作ることも出来た。高橋和雄知事最後の選挙の時、本間さんは総務部長だった。毎晩遅くに電話で情勢分析が繰り返された。そこで出てきたのが「山形新幹線の庄内延伸」である。本間さんは高橋知事の信任が厚く、副知事の話もあった。実現すれば酒田出身初になると密かに心ときめかせた思い出もある。
 本間市長公約の一番目は「山形新幹線の庄内延伸」であった。高橋知事が果たせなかった公約を引き継ごうとしたのかは分からないが、山形県土の一体化は市長の口癖だった。私は、2度議会で吉村知事に質問している。答弁は「今は無理」の繰り返しだった。しかし、本間市長はひるまなかった。がんの摘出手術で声を失って、公務に復帰してからの並々ならぬ闘志には鬼気迫るものがあった。12月に発行した3者トップ会談の会報で、酒田市・庄内町・遊佐町の意志は固まった。今は署名運動が始まっている。
 酒田市発展の芽は出始めている。その芽を育てようと闘志を燃やし、酒田市全員野球を演説していた姿が目に焼き付いている。この心を継承していかなければと強く思う。
          心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

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総合コロニー緑が丘

2015年07月19日 | 日記

 山形県立総合コロニー希望が丘を訪問した。コロニーは長期療養者・心身障害者などを集めて、治療や保護をしたりして、社会復帰のための訓練をする施設のことである。ここ希望が丘は、障がい度合や利用方法などで分かれるが、トータルとして6寮の施設があり350人が利用している。対応する職員は正規職員162人と契約・嘱託職員など165人で運営しており、診療所の診療科目は6科で17人の医師と看護師3人、臨床検査技師・歯科衛生士・]理学療法士と各寮に看護師が配置されている。
 希望が丘は、山形県が昭和49年に定員100人のあさひ寮の開設から始まり、6年かけて全体のコロニーが出来上がっている。当時は4人部屋が80%、現在は個室・2人部屋95%に変わっている。それに入所者の高齢化と重度化が進み、成年後見制度利用者も69人に達している。
 平成23年の障がい者自立支援法に基づく障がい者支援施設に移行され、県立でありながらも運営は山形県社会福祉事業団に委託されている。施設の老朽化が目立ち、雨漏りや空調設備の故障などの修繕は県施行のため時間がかかる。建て替えも、見直し計画の工程にのっているいるものの基本構想の着手は3年後である。
 政治の原点は福祉にあると思っている。前のめりのバラマキから不遇な県民の足元を見つめる大切さを加えたい

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安保関連法案と地方議会

2015年07月15日 | 日記

 安全保障関連法案が衆議院の安保特別委員会で自民党・公明党の与党で今日、単独採決される見通しを各紙が一斉に報道している。国権を縛る憲法に違反していると異議を唱える憲法学者や許容範囲であり、自国防衛上必要な解釈であるとする学者の意見など連日紙面を賑わしている。
 6月県議会に「慎重に審議すべきとの意見書を政府に提出すべき」との請願が出された。国の専権事項である国の防衛に地方議会がなじむのかの思いは強いが、県民を代表する県議会が黙認する訳にいかない側面がある。国防に関する情報が少ない中、決断を迫られた県議会が意見書について審議をした。
 山形県議会は自民党会派が圧倒的多数の議席を占めている。数の力では、政権与党の考え方を踏襲し、意見書は不採択となるのだが、総務常任委員会では継続審議となった。県内諸情勢を勘案し苦渋の選択であった。これに不満だった県政クラブは、最終日の本会議に請願同様の意見書を求める動議を提出した。自民党会派はそれに対して反対討論なしで、県政クラブ、共産党が賛成討論を行った。討論を良く聞いていると、慎重審議を求める内容ではなく、法案に反対の内容である。「慎重審議だろ、意味が違う」と自席からヤジったが3分づづの討論は終わった。採決は意見書提出に反対で終わった。
 安全保障関連法案が自国防衛上プラスかマイナスかの判断は難しい。抑止力は、はっきり表現すれば抑止力にならないジレンマもある。モヤモヤした法案であるが後世に評価が出る。

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地方創生交付金の行方

2015年07月10日 | 日記

 県内宿泊施設を半分の料金で利用できる「山形日和」旅行券を山形県が販売を始めた。総数12,5万枚が販売される予定で、うち5万枚が一般向けである。すでにインターネットで楽天トラベルが6月29日1日で完売している。9日に大手コンビニ5社で2万枚売り出されたが、これも1日で完売となった。第2弾は9月になると県は説明している。半額になる威力は大きい。
 財政に厳しい山形県がこんな大盤振る舞いをするはずがない。国の地方創生予算の緊急経済対策メニューを活用した刹那的なカンフル剤である。一般販売分を除く7万5千枚は、旅行会社の旅行商品に活用され、格安の旅行プランが8月から販売される事になっている。旅行会社の知恵に楽しみがある。
 本格的な地方創生予算は、「まち・ひと・しごと創生関連事業」として1兆円規模の交付金の事である。各自治体の工夫に予算付けをする建前になっているが、4千億程度は各自治体に交付し、3千億程度はその中から深堀りをすると言う事らしい。しかし、担当大臣に裁量権があるわけでもなく、各省庁が創生枠分捕り合戦の様相である。つまりは、そのメニューの中から、自治体が無難に拾ったもの勝ちの提案になってしまうのではないかと思われる。
 地方創生を消化試合にさせてはならない。せっかく地方に焦点をあてる政策が動き出そうとしている時、地方議会の議論が足りない。それに、ひも付きの地方創生交付金は智恵を鈍らせる。竹下内閣時代の大小関係なく全自治体に1億円を配った政策を思い出す。
 ひも付き交付金ではない、開発銀行的な仕掛けで、政府系金融で政府が投資する方法もある。プランの良し悪しが選別出来るし、自治体のプライオリティーも生かせる。自治体事情は千差万別だ。

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土門拳写真記念館のアジサイ公園

2015年07月04日 | 日記

 酒田の名所に土門拳記念館がある。これは、昭和49年写真家土門拳が第一号酒田名誉市民に選ばれた時、顕彰式で「私の全作品を酒田市に寄贈したい」との申し出に始まった。時の相馬大作市長は「ご厚意に報いいるため、ふさわしい環境と建物を実現させたい」と心に誓ったと、後日談で語っている。
 酒田大火の2年後、当時建設省の地方定住圏構想の補助枠を取り入れ、飯森山周辺を文化公園として整備し写真展示館建設の取り組みが始まった。
 現在、周辺一帯の文化ゾーンは、土門拳写真記念館、国体記念体育館、酒田市美術館、、出羽遊心館、かんぽの郷、東北公益文科大学などが一体化され、メーンストリートは二重のケヤキ並木で覆われその品格を高めている。
 芸術分野として歴史の浅い「写真」の評価が確立していない時代、日本初の写真館の建設に関係者は協力を惜しまず、その輪は全国へと広がった。設計が進むと、土門拳の友人たちが参画に名乗りを上げた。彫刻家のイサム・ノグチ、グラフィックデザイナーの亀倉雄策、草月流3代家元・勅使河原宏達が無償で作品制作し、提供してくれた。昭和58年、市制50周年を記念して「土門拳写真記念館」はオープンした。
 この写真館を取り囲む「拳湖」の対岸にアジサイ公園がある。これは、相馬大作夫人の直子さんの発案と聞いている。品種日本一を狙って94種のアジサイが植栽された。アジサイの季節の今、アジサイ公園は10時までライトアップされている。夜9時ごろ行ってみた。、広い公園を散策する旅行者だろうか、市民だろうか夜のアジサイを楽しむ人がいた。相馬大作の一周忌は間もなくである。

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