とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

農林水産省の若き官僚たち

2008年10月30日 | インポート

Img_1597  農林水産省に出向き、勉強会をする事になった。先ずは、稲わらを活用したバイオ燃料の可能性についてが主テーマなのだが、政府として、克服しておかなければならない先端技術ではあるが、いざ農家に下ろして機能させることが出来るのかとなると、これはそう簡単ではない。無尽蔵にあるとみられる稲わらは、土にすきこまれて、その作土を構成しており、稲作の根底を形成していることを見逃してはならない。米やトウモロコシなどの穀物を使う事も有効なのだが、食料とのバランスや価格などの問題が発生してくる厄介な事柄でもある。
 夜の懇談会は、山形県と縁の深い農林水産省の実質政策立案者3名との意見交換は有効だった。「今、米の消費が伸びてきている事を最も大事にすべきだ。米価が高すぎれば消費は伸びない。生産者は、安定した価格を望んでいる。複雑な交付金や、補助金を整理して、シンプルな米価の下支えが、農林水産省の狙っている担い手や、集落営農へ自然になっていく。後期高齢者医療制度の様に、無理やり峻別分断するのは良くない。減反は、価格維持のため実行しているのだから、過剰米の政府抱え込みは、有効な手段であるが、減反しない農家にも適用する矛盾がある」と申し上げた。そして、「自民党を支持してきた農家は、規制撤廃で自民党を離れようとしている。農林水産省の政策は日本全体を動かしている事を自覚して欲しい」と付け加えた。農林水産省の若き官僚たちも「その通りです」と納得してもらった。

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読売新聞一面に本間様

2008年10月19日 | インポート

Img_1592  今日の読売新聞の一面のコラム「編集手帳」に酒田市の本間家二代目光寿の末弟本間宗久が取り上げられた。購読者数800万部とも言われる、日本一の巨大新聞の一面で取り上げられるとは、その影響たるやはかりしれないものがある。その地に住むものとして、感動の一語に尽きる。
 その書き出しは「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に・・・」である。本間宗久は、相場の神様として語り伝えられている。大阪の堂島、江戸の蔵前で米の相場を張り、ことごとく連勝している。相場の格言として「もうはまだなり、まだはもうなり」と残し「高下は天然自然の理」「腹立ち売り、腹立ち買い、決してすべからず」と諭している。そして、投機はその人の才能であるから、家業とすべからず。余剰金は土地を買えと、甥の三代目本間四郎三郎光丘に教えている。日本一の地主となり、砂丘に松を植林し、酒井藩を支え貧農を助けた本間様の話は今日まで語り継がれている。黒縄、黒票箋に代表される庄内米のブランドは、本間家の政策だった。一等米の厳選は、農家が涙を流すほど厳しかったと伝えられている。株価が乱高下している今日、読売新聞の一面をかざった「編集手帳」は歴史に残るコラムに違いない。

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秋の鳥海山

2008年10月16日 | インポート

Img_1561  裾野が日本海にある鳥海山の勇姿は、庄内平野を前庭に、とてつもなく存在感がある。標高は2236mで東北では、福島県の燧ヶ岳(ひうちがたけ)に120m及ばず2位であるが、その美しさから私たちは、東北一の山と思っている。
 山頂は、矢島の真言、庄内の天台の宗教上の争いが激化して、山頂争奪戦まで発展した。大物忌をまつる社殿の建立をめぐり、矢島と蕨岡との争いになり、矢島の提訴を受け幕府は、鳥海山頂は{どちらのものでもない}と裁決を下したが、矢島側はこれを不服として、再調査を願い出て、その結果鳥海山頂は山形県のものとなった経緯がある。地図上の鳥海山は、山形県である。
 秋晴れの見事な13日に「神鹿角切祭」が開催され、私も出席した。中腹にある国民宿舎「大平山荘」の会場は、紅葉真っ盛りであった。鳥海山大物忌神社中の宮が祭ってある近くで夏を過ごす鹿は「神鹿」といわれ、角きりは、毎年この時期に行われ、それが終ると、里へと住かを移される。神事の後、神職の装束に身を包んだ遊佐町少年町長と、少年議員の二人が、古事にのっとり二頭の牡鹿の角を切り落とした。遠くは、埼玉県や秋田県などからも見物に訪れ、深まる秋の鳥海山の風情を楽しんでいた。

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知事の世界FURUSATO宣言

2008年10月12日 | インポート

Img_1531_3   9月定例会が終った。この中で、齋藤知事は引き続いて2期目に向けて立候補し、県民の審判を仰ぎたいと出馬の意向を初めて明らかにした。県民の多くが予想していた事でもあり、サプライズではなかった。前回の激しかった知事選を思うと、隔世の感がある。世は無常であり、変貌している証左でもある。
 それに併せて齋藤知事は「やまがたの心 世界のFURUSATO宣言」を発表した。副題に、世界を魅了する「やまがた」からFURUSATOを世界の共通語へ~というものである。私たちが思う「ふるさと」の概念は、山あいや田園地帯の、小集落がある田舎で、あったかさと、いつまでも変わらぬ原風景である。もっと言えば、競争原理とは遠い距離にあり、不便で、金銭的には決して豊ではないけれど、公平感と、信頼感が充満している。郷土から偉人がでれば、自分の事のように鼻が高い。ちょっと失敗した人がいても「あそこの家は、色々あってねえ」とあまり語らない。中では不満があっても、外から言われると猛反発をする。それが、全てを受け入れるふるさとの源泉である。皆で決めたことは、それに従い、飛び跳ねたことをやれば、村八分になる。言えば、近代社会とは、反対の概念である。
 齋藤知事のFURUSATOは、何を世界に発信しようというのかは未だ分からないけれど、温かさや、知恵を、未来へ伝え、力を結集しようと呼びかけている。再出馬にあたってのこの宣言は、新しい視点でサプライズである。知事のこれまでの行政運営を見る限り、競争原理に立脚した、徹底した自己責任の思想にある。それにふるさと山形県人は、違和感を持っていた人も多いように思う。
 それぞれの地域に、それぞれのふるさと感を持って暮らしている。わが地域に、その光が当たっているのか。納得出来る公平感や、一体感がふるさとの連帯を生み出す源である。

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甦った小牧川

2008年10月05日 | インポート

Img_1524  酒田市の市街地南西部を流れる小牧川は、山形県で一番汚れた川として平成8年~11年までBOD値だんとつワーストワンだった不名誉な時期があった。原因は色々なのだが、先ずは都市化と下水道処理インフラの遅れがあった。地形的にも海抜が低く満潮時には、極端に流れが悪くなる。それに、農業排水路でもあるため、秋から冬にかけての渇水期には水量が激減するなど、臭いのする川として周辺住民を苦しめてきた。私も議会で何度も現状を訴え続けた。
 行政対応は遅いものの、地域住民等が「小牧川をきれいにする会」を設立するなどして浄化活動などを行い始めた。山形県では「やすらぎの川整備事業」として取り組みを始め、遊歩道やホタル生息に配慮した護岸工事を取り入れるなど、ホタルに逢える小牧川を目標に地元松原小学生との環境学習と連携して、取り組みを進め改善が図られてきた。
 その中で、農林省と国土交通省との連携で、全国で初めて農業用水の排出先を変えて、最上川から小牧川へ浄化用水として導入が実現したのだ。水利権は、なかなか厄介なものでそれを乗り越えて「ホタルに逢える小牧川」を目指した関係者の努力に感謝したい。酒田市立松原小学生の総合学習は、この小牧川を舞台にして、川の浄化活動や、ザッコしめ、ホタル公園の整備など子ども達の貴重な学習に役立っている。

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