とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

全国議長会に向けて提案

2010年05月30日 | インポート

Photo_3  山形県唯一の重要港湾である酒田港の行方があやしくなってきた。現政権は、全国に103ある重要港湾を40港あまりの重点港湾に絞り込み、指定されない重要港湾は、新規の港湾整備は実施しない方針を決めた。酒田は、舟運で発展してきた町である。東の酒田港、西の境港と並び称されるほどの賑わいだっただけに港への思いは強い。危機感を強めた県も重点港湾の指定に向けた国土交通省への働きかけを加速させている。
 そんな中、5月27日に北海道・東北六県議会議長会議が札幌で開催された。全国議長会に向けた北海道・東北六県の提案をまとめるための会議である。地方分権の強化や地域医療の問題、工業振興や高速道路と新幹線鉄道の促進、食料・農業・農村政策の確立など22議案の提案を決めた。いずれも北海道・東北の根幹となる政策提案ばかりである。
 山形県議会からの提案は、高速道路の整備促進と重点港湾の選定についての提案をした。私の提案は、重点港湾の選定にあたっては「各地域が国土に占める面積の割合や、海岸線の延長なども考慮するとともに、現在の貨物取扱量よりも対象港湾が有する地域の拠点性や国土形成上のバランス、そして対象となる港湾の今後の発展のポテンシャルを特に重視して選定することを要望する」と申し上げた。採択され全国議長会で提案される運びとなった。今後の動向を注視して行きたいと思う。

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重点港湾の指定に向けて

2010年05月24日 | インポート

Img_2668  山形県港湾協会と酒田港湾振興会の合同総会が21日ホテルサンルートで開催された。一番の関心事は、全国103ある重要港湾を40港湾程度に重点化して、指定することである。今年の夏ごろまで絞り込み、重点港湾から外れた重要港湾に新規の投資はしないと言う酒田港の死活に関する一大事である。これが民主党の言う政治主導ということらしい。
 昨年の酒田港の取り扱い貨物量は、400万トン弱で、秋田港の約半分くらいである。103の重要港湾の貨物取扱量順位では、62番目となる。40港湾には遠く及ばない。今年の貨物量はもっと下がるのではと予測されている。東北で指定される重点港湾は4~5港程度とみられている所から見ても非常に厳しい実態である。今年から岸壁使用料を秋田並みに値下げしたり、酒田港までのトラック運賃に補助しても取り組みの遅さはいかんともしがたい。山形県は、極東をにらんだ対岸諸国へのアプローチも日本海沿岸県として後進の域を出ない最後進県である。
 酒田港は、山形県唯一の重要港湾であり海外への玄関口である。ここから運ばれる石炭で共同火力が山形県消費電力の7割を賄っておる。リサイクルポートも今後伸びしろの最有力産業だ。トヨタ自動車の東北拠点化は、隣接する山形県にとっては、セールス次第では利用の可能性は大きい。物流は、定時制、安定性、廉価性が求められる。酒田港の利活用戦略会議を何度開催しても絵に描いた餅である。山形県がまず行政として利用できることを実践することから始まる。それが何故出来ないのか。それは酒田港が山形県の港になっていないから他ならない。「山形県の発展は港から」対岸国の経済発展は、即山形県の発展に直結することを忘れてはならない。

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霧にむせぶ朝

2010年05月21日 | インポート

Img_2667  今朝は視界が50メートル位の濃霧だった。内陸ではあまり珍しくないのだが、庄内 特に海洋性気候の酒田ではめったにない現象である。朝6時外に出るとあまりにも濃い濃霧にびっくりした。気温は15度で無風状態、隣の建物が見えないほどだった。車はライトをつけてのろのろ運転、これは珍しいと思いシャッターを押した。陽が差すとだんだん薄くなり、8時には平常に戻った。大したことでもないが、ブログに書き留めた。

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気をもませる長い低温

2010年05月14日 | インポート

Photo  今日も、日中気温が10度である。冬のような北風がやや強い日が続いて三日目になる。この時期に、例年を10度も下回る気温が三日も続いた経験はない。ストーブに火が入り、ズボン下も履かなければならないほどだ。鳥海ブルーラインは、積雪で通行止めになったと報道されている。
 困ったのは人間だけではない。農作物への影響はすぐには表れないものの、何か不気味さを感じさせるに十分すぎるものがある。今春の寒暖の差は、一日で10度以上を超える過激な繰り返しに悩まされてきた。特に今回の低温は、果樹の受粉や新葉へ重大な影響を与える時期である。田植えは、例年より数日遅れているものの私の周辺では三分の二は終わった。稲の活着温度は、13度以上と言われている。稲が冷凍庫に入った状態が続けば、稲体が消耗しやがては葉先から枯れてしまうのだ。
 我が家の田植えは二日前に終えた。低温が予想されていたので待ちたかったが日程上仕方がなかった。大事に育てた苗に済まないと思いながら田植機械に乗ってしまった。田植え後三日間は静穏な天気が必須条件なのだが、後は一日も早い天気の回復と稲の生命力にすがるしかない。がんばれ農作物くん、日本の皆さんのために。

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浅草寺を散策

2010年05月08日 | インポート

Photo  先般、浅草の浅草寺を参拝した。雷門をくぐると仲見世商店街がずーと続く。250メートル位の狭い通りは、行く人来る人で肩がぶつかりあって、なかなか進むことが出来ない賑わいだった。通称「雷門」は、昭和35年に松下幸之助さんが寄贈して再建されたもので、中央に提げられている大提灯の下部に「松下電器」「松下幸之助」と記されている。ここを散策したのは修学旅行以来の気がする。仲見世は、日本で最も古い商店街のひとつともいわれ、江戸時代の初期に、浅草寺境内の掃除を任された近所の人々に、出店の許可が出され、露天が並んだのが始まりといわれている。関東大震災や、戦災で被災されてもすぐに復興し、昭和60年に百周年を祝ったと言われている。
 仲見世の通を抜けて、浅草寺本堂に向かうと、本堂の手前に浅草寺の山門「宝蔵門」がある。ホテルニューオオタニの創業者の寄贈によるもので、仁王門である。右に呵形、左に吽形の金剛力士像が安置されている。その裏門にわが県村山市奉賛会の寄贈による大草鞋が奉納されている。長さ4.5メートル、幅1.5メートルの大草鞋は、重さが500キロもあり、左右一対は、10年に一回更新されている。現在のものは2008年に奉納されたものである。伝統の重さ、技術の継承を思い知る時、胸を打つものがある。
 賑わう仲見世通りは、外国人の観光客も多く、心なしか店で買い物する人の少なさが、世相を反映しているのかも知れない。

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「おいしい山形プラザ」一周年

2010年05月01日 | インポート

Img_2610  山形県のアンテナショップ「おいしい山形プラザ」は東京・銀座1丁目にある。昨日30日に一周年を迎えた記念行事が開催され、議長代理でそのイベントに参加した。天気は晴れ、30分前に会場についたが、会場付近に100人位の長蛇の列ができていた。東京の人は、並んで待つのが平気らしい。報道関係者もやたらと多い。テレビカメラだけでも10本くらいあり、記者数十名は入り口付近に座って陣取っていた。
 いよいよセレモニーが始まった。吉村知事が山形弁でお礼と挨拶をされた。続いて山形県大使に任命されたウド鈴木と佐藤唯さんがこれも山形弁と庄内弁で挨拶があり、会場を沸かせた。三人での方言トークは、つや姫、さくらんぼ、ラフランス、いも煮の旨さを喧伝、和やかな雰囲気の時が流れた。オープン1年を誕生日に見立てて、バースデーケーキが準備され、ローソクの火消し役に私も加わった。
 アンテナとは、気配を察知することである。各地方のアンテナショップは、銀座に林立している。その中で、ウナギの寝床みたいな「おいしい山形プラザ」で売上高は、三年後に3億8千万円の目標をオープン以来11カ月で4億円を突破した。一年間で63万人の来客数があり、山形ファンクラブ会員も1万人を超えた。山形の新鮮な生鮮食料品が、産直感覚で周辺住民受け入れられているようである。これが、山形まで足を運んでくれる魅力までどう引き揚げるかが課題である。吉村知事は「旬の季節感を一カ月前倒しで、伝える必要がある」と言っていた。同感である。

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