とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

地方創生で大論争

2014年11月09日 | インポート
 

Dsc00697 昨夜、後援会「藤悠会」の広報部、青年部を中心にした宿泊研修が行われた。研修と言っても親睦中心の放談会に近い。全員そろったわけではないが、県議選4期を一緒に戦ったコアな仲間であり戦士だ。「16年前は青年だったけど、まだ青年部か」「俺は、もう定年退職しているんだけど」との声も漏れたが、来春の選挙に向けて人事の凍結を宣言した。初当選から同じメンバーで、新陳代謝のない所に新鮮な味がある不思議な集団だ。
 酔いが回るほどに声が大きくなり、罵詈雑言が飛び出す。国会議員も県議会議員も市議会議員や町の有力者も滅多切りである。市民の声だと称して私自身も切り刻まれてしまう。いつものことであり、楽しいキャッチボールでもある。
 いつのまにか話題は、山形新幹線の庄内延伸と米価低落による山村の危機、酒田港の未来だった。私は、陸羽西線は直線が多く、カーブが緩く、トンネルや橋梁はすぐに電化できる仕様になっている。新庄駅の壁を取り除けば、そのまま陸羽西線に乗り入れできる。工期は2ヵ月程度で、改修単価はキロ1億円程度との説もあると情報を伝えると「延伸と言わないで、地方創生で打ち上げろ。地方創生の手段としては重要な武器になる」「観光客は倍増する」酔ったアイデアは佳境に入った。誰かが「この事を市民は知らない。あなたは知らせる義務がある。全戸に特集チラシを入れよう」と言い出した。紙面づくりの提案など具体的意見が飛び交い、収拾もつかない状況になった。
 宴席は延々と続く。誰かが、「私の家に自民党籍をたよりに衆院候補予定者の訪問があった。これがその時のチラシだ」と持ち込んだ。「その時、何と対応した」「握手はしたか」「何を言っていた」矢継ぎ早の質問攻めにあった。旬な話題でもある。
 私は、最上と庄内の底上げが山形県のポテンシャルを上げる一番の近道である。皆で団結し乗り越えようと訴えた。夜は深まっていた。
 

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ねぎ栽培で世界一かも

2014年11月02日 | インポート

Dsc00689 長崎県生まれ34歳の青年が妻の実家天童に移り住み、新規就農を始め、世界一を目指している男がいた。世界一の目標はネギの栽培面積である。初年度30歳で山形県一の2,7ha。2年目の昨年は5.7haで日本一。今年は8.6haを栽培し世界一かも知れないと言う。「世界一になって山形県のブランド力を高めたい」彼の言葉である。
 彼の名は清水寅(つよし)さん。お父さんが「男はつらいよ」が好きで付けた名前で、妹は「さくら」との自己紹介があった。25歳で営業トップとなり、27歳でグループ会社7社、社員数1.600人の社長となった。その3年後天童で「ねぎびとカンパニー」を立ち上げ新規就農を始めた。彼の手法は、先ず売り先を確保して栽培をする。マスコミに積極的に出演、吉本興業などとも連携しブランド力を高め、山形、東京、大阪を除いては一県一社の卸とする。100店舗以上の量販店に出向き売り込んでいると言う。山形県ではト一屋、コープ、おおばん、ヨークベニマルなどと成約しており、40%のシェアを持っている。
 現在は、完全オリジナルブランド「幻のほうれん草」を種苗会社と連携して開発している。ほうれん草の漬物を開発中で、どんなものなのか、その内出回るかも知れない。連作障害を防ぐためにブロッコリーの栽培も取り入れていると言う。とにかく、スピード感と発想の多彩さには圧倒された。
 彼のモットーは、私たちは農家ではない。私たちはArtistである。2016年世界一になって見せる。100年後も変わらぬものがある。世の中の常識を変えるのは、必ずしも専門家ではない。商人は人と人でしか動かない。
 「すごい男に合った」カルチャーショックは当分消えない。
 
 

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酒田自由都市商會が「月見の宴を楽しむ会」

2014年10月26日 | インポート

Dsc00685 ボランティアグループ「酒田自由都市商會」が酒田の粋を楽しむ「月見の宴を楽しむ会」を浜田の清亀園で開催した。もう14回も続けられている。聞きなれない「酒田自由都市商會」は、栄えた昔の酒田は自由都市と言われた。その時に戻って、街づくりを考えようと命名したと説明があった。代表は阿部直善さんである。
 清亀園は本間家と並び称された大地主伊藤四郎右衛門の別荘で明治24年にに建造され、広大な名庭園と一緒に酒田市に寄贈されたもので、現在は市民に公開されている。
 午後6時半に始まる宴は、私が着いた時には50人の定員で満杯だった。圧倒的に女性が多い。男性は10名位で肩身が狭い。遊佐町の植物研究家土門尚三さんのトークは軽い手品から入り会場を和ませた。シロツメクサ(クローバー)の由来や鶴の恩返しの昔話などかなりの方言で会場になじんだ。
 ティータイムは、おにぎり2個、栗の渋皮煮、みかんにぶどう、うさぎ姿の和菓子、燻りガッコ風の漬物のメニューで腹は満たされた。色鮮やかな和紙の敷物は持ち帰る方も多く、手作り感が漂う。
 その後は、尺八とハーモニカのコラボレーションである。演奏者は共に中野俣の樋渡和男さんと佐藤富雄さんである。ハーモニカの佐藤富雄さんは農協青年部時代の旧知の方であり、こんな一面は知らなかった。最後に全員大声で歌った「もみじ」「上を向いて歩こう」「ふるさと」は盛り上がった。アンコールも出て9時前の終了となった。
 「事故などないように。無事家に着くまでがこの会です」終わりのあいさつにも心づくしを感じた。
 

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稲田朋美政調会長と意見交換

2014年10月25日 | インポート

Photo 米価下落が地域経済に与える影響は、かなり深刻だ。そもそも昨年より25%も一気に下落する価格形成など、常識ではあり得ない現象である。市場原理と言えばそれまでの事だが、ほとんど弱小な規模の稲作農家が全国に散在しており、豊凶や消費動向を個々農家に求める事など不可能である。
 農家を維持したいと考える政府は、農地の集積と大型農機具による合理化シフトに血祭をあげている。まさに補助金誘導で、大型農機具の導入は面積要件が第一で、受委託推進に交付金、国土を守るためと言っては農地水環境保全対策として、使い勝手の悪い、使い切れない金額の交付金がある。「農家は補助金の巣窟」と納税者から皮肉られるが、農家の衰退は止まらない。
 政府は、全ての補助金予算を点検し机上プランを改め、農家の目線で有効な農業保護対策を打ち出す時に来ている。コメの需給調整は政府が責任を持ち、価格の安定に機動的に介入し素早い対策を打つ。一年一作の農家はセフティガードが何よりの政策である。先行きが見えれば、大型農機で対応するか、小型かは自身の経営判断であり、経営規模も地形、労働力事情で自然に変化する。家族農業は世界農業の主流である。
 そんな中、稲田自民党政調会長を迎え「どこでも政調会」が山形JA全農ビルで開かれた。県内各単位組合長と自民党県議会議員が意見交換の場を持った。組合長からは、過剰米の隔離対策と米価変動補てん金の要望が出された。ある組合長からは「自民党政権になって、悪くなったのは農政だ」と厳しい見方の開陳もあった。
 県議からは、農地水環境保全対策費の使い勝手の悪さが指摘され、改善するよう意見が出された。稲田政調会長がどれだけ理解できたのかは分からない。地方創生は、消費地から農村へ富の還流から始まる。

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公認申請と支部長推薦

2014年10月18日 | インポート

005 自民党山形県連は、来春実施される県議選公認申請の受付を始めた。一次公認申請は現職県議のみで10月20日までとしている。新人などはその後にに受付され、複雑な選挙区事情が絡み合う場面も想定している。現在の自民党所属県議は33人で統一会派を形成し、県議会の75%を占める最大会派である。
 公認申請は、公認申請書に①写真添付の経歴書②誓約書③自身以外の支部長推薦書の添付が義務付けられている。届け出された4点セットは、県連役員会で確認され不備が無ければ自民党本部に送られ、安倍総裁名で公認証書が届くことになる。
 山形県3区自民党支部長は複雑な経緯をたどりながら7月1日に決まった。3区支部長は次の総選挙で自民党公認候補である事から公認された県議は、それ以外の候補に加担すれば利敵行為とみなされ、党紀違反になる。そのための誓約書である。
 私は、5月20日付で5回目の公認申請をした。以前から申請に必要な添付書類、支部長推薦を自民党酒田支部長にお願いをしていた。「10月15日3時に酒田支部事務所に来てください」と連絡が入った。面接の上で決めることらしい。初めての事だ。
 言われた通りに出向くと酒田支部長と幹事長が待っていた。こんな事初めてだなと言うと「そうみたいです。役員会で決めた事ですから。私たちの指示に従って下さい。私たちはあなたの行動を全てチェックしていますから」との返事だった。私は「誓約書を出している以上のものがあるんですか。私も100人以上の党員支部を持ってます。酒田は地元代議士が7割の得票している現実があるよ」と言った。
 党紀違反をするつもりはない。しかし、自民党酒田支部はおかしい。党員拡大は県議、職域支部まかせ。高圧的な態度で自民党離れが加速している。自民党は酒田支部だけのものではない。自民党貢献は資金面も含め、幅広く多彩である事を知るべきだ。

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皇太子さま迎え全国育樹祭

2014年10月13日 | インポート

Dsc00670 12日、金山町「県遊学の森」で第38回全国育樹祭が、皇太子さまをお迎えして、素晴らしい秋空の下で開かれた。県内外から参加した5千人は、皇太子さまのお言葉を中心に森林の大切さを、改めて実感したに違いない。
 これは、12年前の6月5日に「第53回全国植樹祭」で天皇皇后両陛下がお手植えされたブナの苗木の成長を確かめ、手入れする儀式であり、皇太子さまは完熟した堆肥を根もとに施された。そのブナは4mほどに成長したと公表されている。往事のエピソードが山形新聞のコラム「談話室」に載っている。3年前の秋の園遊会で、当時酒田市長の阿部寿一さんに、皇后陛下が質問され「あのとき植えた木々は丈夫に育っているでしょうか」と植樹された苗木を気遣われていた様子を知ることになる。
 植林事業は世代をまたぐ壮大な時間との闘いでもある。先人の植林した蓄積を、バイオマス発電やペレットなどとエネルギーに使えば一瞬にして刻んだ年月を失う。現代で享受した森林の恵みは、その分、植林して次世代につなぐ責任がある。森林持続性理念を社会システムの中に組み込む政治の責任は大きい。
 現実は、森林の荒廃が続いている。日本の山は荒れている。10年ほど前にスイスを視察した時の事を思い出す。スイスは山国。森林が山頂まできれいに、手入れされているのには驚いた。どの農家の軒先にも薪が積んであり、万が一石油暖房を失った時の備えだと聞いた。
 天皇陛下は「植樹祭」「豊かな海づくり」「国体」にお出ましになる。それは、日本国の原点に他ならない。原点を失えば国は亡ぶ。

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庄内延伸に厳しい答弁

2014年10月05日 | インポート

Dsc00638 地方とは町方との反意語として使われ、農村を指す言葉として使うのが一般的である。
 地方は人口密度が低く、社会インフラの効率が悪い。その分独自の文化があり、豊かな自然が残り、お国言葉もある。町方で失われ、残された価値を発掘して、現代社会に打って出ようする政策が「日本創生」である。インターネットにその垣根はない。自身の価値判断で往来でき、無限の可能性を感じる事が出来る。
 しかし、現実は、ひと、もの、金が動けるインフラが不可欠で、それを抜きにはあり得ない。導線が細い分その先は衰退が進む体験は充分味わった。県庁と一番遠い陸羽西線沿線に暮らす人々の思いが、県庁は分かっていない。人口減少を食い止め、リベンジする導線の必要性を肌で感じている。それが山形新幹線の庄内延伸であると強く意識している。「山形県の背骨とつながれば、次々と打つ手がある」と語ってくれた沿線首長の方たちの言葉が忘れられない。
 私は、熱い期待を背負って予算特別委員会で、日本創生に絡めて、「山形新幹線の庄内延伸」の実現を迫った。同様の質問は二回目なのだが、今回は国の政策との整合性から一歩踏み出した答弁を期待したが、それはなかった。その後にお会いした知事は「すみませんでした」と言われたが、そういう次元ではない。山形県のポテンシャルを底上げする根幹である。その理解なしに、山形県の未来が明るいものとはならない。

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欧州ロマンチック街道と匹敵する陸羽西線

2014年09月22日 | インポート

Dsc00610 先般、酒田駅と陸羽西線の100周年の記念式典が開催された。明治時代、鉄道の普及スピードは目覚ましいものだった。酒田駅は東京駅の2年後には駅舎が建設されている。陸羽西線が先行して開通し、その後に南進して鶴岡方面に伸び、それが羽越本線と命名され、今の鉄道ネットワークとなっている。内陸部との貴重な鉄路確保の先人の先見性には脱帽である。
 式典の後に、3名の記念講演があった。その中で、鉄道マニアの大阪有機化学工業社長鎮目泰昌さんの講演が印象に残った。陸羽西線から見る景色は、欧州ロマンチック街道に匹敵するとし、最上川舟下りとセットで観光のポテンシャルは高い、と始まった講演要旨は次の通りである。
 陸羽西線は4級線となっているが、断トツに直線が多く、勾配やカーブの緩やかさからすると、新幹線並みの1級と言える。スピードは、毎時130㎞で充分に走れる。将来の電化を念頭に置いた設計で、列車の大きさに比べ、トンネルの断面が上に長く、橋梁の断面が大きく、架線を張るには充分な余裕がある。陸羽西線のほとんどの駅に、すれ違い設備があり再現すれば充分な機能をもっている。先人の努力を無駄にするには、余りにももったいない。陸羽西線は、これからの100年に向かい、新たな元年とし山形新幹線の庄内延伸は庄内の経済、観光の発展へと期待を込めたい。
 新幹線と言うと、東京との時間軸で考えてきた過去を振り返り、鉄道の意義は違うと、改めて認識させられた。陸羽西線の沿線に暮らす人々の思いや、地域に元気を取り戻したいと願う人々の熱い思いのカードを鉄道は握っている。

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米価暴落で農家危機

2014年09月14日 | インポート

Dsc00604 市場原理が牙をむいた。JA全農山形は、山形県で6割強を占める「はえぬき」の概算金払いを昨年より24%引き下げ、60キロ当たり8,500円と決めた。これは、数十年前の価格に戻ったことになる。稲作農家にとっての衝撃は計り知れない。県全体への減収額はまだ試算されてないが、県経済に与える影響も大きいと思われる。
 米の消費量は最近年1%、約8万トンが減り続けている。それに4割減反を実施しながらも、北海道を中心に豊作が続き、昨年産米が国内消費量の15%に当たる120万トンも余っている中、今年も豊作である事から、需給バランスを崩したものと思われる。
 米価は、ササニシキの全盛期だった昭和53年がピークで、一俵2万2000円位だった。わが家でも米販売額が800万円を記録している。今年は200万円程度の販売額と見られ、約四分の一に落ち込む見通しだ。
 米は一年一作である。多くの稲作農家は、契約栽培ではなく、委託販売でJAに委ねている。売り残したくないJAは、値下げ競争で売り切ろうとする。消費者米価にどれだけ反映するのか分からないが、安いから消費が倍増するものとも思えない。先の見えない稲作農家の動向が気になる所だ。
 圃場整備の償還金、土地改良区負担金、肥料代金、農薬代金、無人へりの防除代金、乾燥・調整代金、コンバイン・トラクター・田植機などの農機具代金、燃料代金、その他の農具代金の固定費用は待ったなしである。
 市場原理で、稲作農家の共倒れを心配する。急激な改革は農業にはなじまない事を知って欲しい。

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庄内の人口減少

2014年09月06日 | インポート

Dsc00596 「社会資本整備と生コン産業の役割」をテーマに地域活性化フォーラムが今年は、鶴岡市を会場に開催された。第8回目である。
 基調講演は国交省東北地方整備局企画部長安田吾郎氏、講演として酒田河川国道事務所長高橋重道氏、酒田港湾事務所長清水純氏、庄内総合支所建設部長渡辺善彦氏で国土強靭化法や石破地方創生相が誕生した後のフォーラムだけに、身近で中身が濃く今後の社会資本整備の方向性を知る事ができた。日本創生会議が発表した増田レポートの衝撃を克服する社会インフラのあり方を探るものとも言える。
 庄内地方の人口は昭和53年の33万6千人をピークに平成25年には、28万5千人まで減少した。この傾向は、24年後の平成52年には19万3千人になると推計されている。減少率は-34・2%。県平均の-28・5%と比較してその大きさが分かる。
 その内訳を見ると、遊佐が-45・8%、庄内町-37・5%、酒田市-36・0%、鶴岡市-34・2%、三川町-28・7%で、20歳~30歳代の女性人口が50%以上減少する地域は、出生率が向上しても人口維持は困難であると見られるている。それには、庄内5市町がすべて該当し、消滅可能性都市となる。その中でも、平成52年時点で一万人を切る三川町、遊佐町はこのままでは消滅可能性が高い。
 国交省では、これらの対応として東京一極集中の是正や国土軸の複数化など今までも唱えてきたものに、老朽インフラ対策や、災害に強い国土、国土強靭化法等の説明があった。
 少し気にかかる所があった。人口減少が進む地域において、生活サービスを効率的に提供するために、拠点機能のコンパクト化を進める。地域交通網再構築と都市機能維持に必要な周辺人口の確保を図るネットワーク化である。
 私には、山村集落の自主的再編であり、鉄道駅を活用した地域連携の構築と聞こえた。限界集落と言われる存在がある。生活の利便性確保とコンパクトネットワークの形成は難題である。「日本を取り戻す」事が出来るのか。一人ひとりの自覚に係る課題かも知れない。

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山形で全国伝統野菜サミット

2014年08月31日 | インポート

Dsc00592 全国伝統野菜サミットが山形国際ホテルで開催された。山形県では初めての試みである。当初200名規模と見込んでいたものの350名の参加となり、盛況だった。山形県では78品目を認定しており、有名ブランドとして、だだちゃ豆や食用菊の「もってのほか」、ウコギ、赤ねぎ、赤カブなどがある。
 伝統野菜とは何か。県としては、昭和20年代を基準に古くから各地で栽培されてきた野菜の在来品種で、主に農家の自家用として残っていたマイナーな野菜の事である。大量生産にそぐわず流通、販売のコストや独特の味などから、量販店の大消費地向けとしては消滅したものの、スローフードの回帰や地域おこしの戦略として、見直されて来ている。
 「あなたの作ったズイキ、ほくほくして旨かったノ。私の作った赤ねぎも甘くて旨かったから、食べてみれ」と野菜自慢の物々交換や、親戚や隣近所に裾分けする楽しみから、栽培し続けられたもので、そもそも販売の意志などはなかった。農家の密な楽しみである。
 野菜ではないが、酒田にもち米で献上米であった超一級品種「女鶴」がある。長い間、一軒の農家が自家用に作り続けていた。収穫量が極端にすくなく、倒伏で機械で栽培出来ない。酒田市バイオセンターで、品種改良して「酒田女鶴」を普及させたが「女鶴」のロマンは伝わらない。
 伝統野菜は適地適作が原則で、ネットを使った販売がなじむのかは疑問の残る所である。農家がこっそりおいしい野菜を栽培して喜び合うのが原点で、都会の人が食べたければ、現地に足を運ぶか、3倍の値段でいいから、おすそ分けが筋と思える。
 いずれにせよ、量販店で売られる野菜は、規格に合わせ大量に安価で、しかも、時無しが求められている。
 それとは反対にある伝統野菜が注目されることは、消費者の質の向上であり、農家の現場発信が今度は求められる。

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元酒田市長相馬大作が逝った

2014年08月27日 | インポート

Dsc00574 昭和46年より20年間、激動の時代に酒田市長を務めた相馬大作氏が逝った。その前、政権野党の市長が長く続き、国の財布に手が届かないと言われ、酒田市の遅滞を懸念する声はかなりあったが、社会党や社民党など、革新気風の強い酒田では市長を変える事は至難であった。
 それを、池田政之輔の秘書をしていた相馬大作が僅差で勝った。喜びに溢れた大勢の市民が、駅前近くにあった選挙事務所に押し掛け、飛び上がって喜んだ。古い建物だったせいか事務所の床が抜け落ちてしまったのである。周辺の道路は夜遅くまで人垣で溢れ、革命でもあったのかと思われる程万歳が続いた。
 勝ったのは僅差である。その後の市政に影を落とす事になる。先ず酒田北港開発が始まった。港湾荷役に山口組が入るなどといわれ、機動隊が配置される一幕もあった。住軽アルミと酒田共同火力の誘致は、公害で喘息や松林が枯れるなどと強烈な反対運動が起きた。少なくとも、どうしたら公害を無くすかと言う議論ではなかった。
 度重なる対話集会。深夜議会の連続で議論を重ねたが、一部は暴徒化し、後援会長の店の窓ガラスが破られ、不買運動も始まった。市長室前の廊下は反対運動者の座り込みで歩く事すら出来ない状態だった。市長の実家周辺も反対者で埋め尽くされた。身の危険感じた相馬市長は、知事公舎に身を隠す事態となった。
 終盤に差し掛かった頃、琢成小学校の体育館で市民対話集会が行われることになり「賛成の立場からも発言して欲しい」と要請があり、鐙谷課長より強烈な、にわかレクチャーを受けた。当日手を挙げた。同時にマスコミがマイク片手にどっと寄ってきた。周りは全部反対派である。足がぶるぶる震えた。酒田の未来のためにとの思いで、公害防止協定は科学的に信頼できると言った。
 当時、日本一厳しい公害防止協定を結んだ。ただ、火力発電所は住軽アルミのためだけとし、増設出来ないように送電線規制を?んでしまった。再生可能エネルギーの電力を送る余力は少ない。
 一連の運動で3年着工が遅れた。産業構造が変わり、住軽アルミは計画していた圧延工場を作ることなく撤退した。3年は痛い年月である。
 近代酒田の基礎を作った相馬大作は亡くなった。

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69年目の終戦記念日

2014年08月15日 | インポート

Dsc00554 今年も終戦記念日が巡ってきた。いつもの通り、日和山公園内にある酒田市招魂祭殿に眠る2340柱の英霊にお参りをした。戦地に命を散らした人々、惨禍の犠牲となった日本、アジアの人々に改めて哀悼の誠をささげ、平和であり続けられるよう祈念した。
 今年の遺族会が主催する「戦没者を追悼し、平和を祈念する8月15日の集い」は簡素化されていた。昨年までは太平洋戦争を振り返る研修会があり、ビデオでの学習会もあった。正午の時報に合わせて全国戦没者追悼式と一緒に黙とうもした。「酒田市遺族会会長が代わり、遺族の高齢化も進み簡素化した」と説明があった。これも69年経過した変遷なのか。戦時下を必死に生き抜き、良し悪しは別として命令に従い情熱をもって任務を遂行した、当時の心と知恵の検証なしに戦後は語れない。戦争の惨禍を風化させることなく当時の生きた重い証言を語り継いでいかねばならない責任が、私たちにはある様に思える。
 平和は万民の願いである。しかし、現実は世界のどこかで戦争や殺戮が絶えない。ナショナリズムの対立、宗教の対立、利権の対立、秩序を保つのは弱肉強食だけなのだろうか。人類に与えられた知性はそれを克服できるものと信じたい。そのための不断の努力を誓う日が8月15日なのだと改めて肝に銘じたところである。

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北区ママさんバレー選手団花火に歓声

2014年08月09日 | インポート

Photo 酒田市最大のイベント花火大会が2日、三ケ月を正面に、快晴の中で開催された。最上川河川敷一帯は、20万人とも言われる花火観客で溢れかえった。その中に、友好都市である東京都北区の花川区長を先頭に、北区ママさんバレー選手団33名と役員の一行がいた。勿論酒田市ママさんバレーの選手も一緒である。首が痛くなるほど見上げる大花火に歓声を上げた。
 東京北区とのママさんバレーと酒田市チームとの交流親善試合は平成6年に始まり20年の歴史を持つ。そもそもの始まりは私の市議時代の平成4年、当時の学生寮「荘内館」が北区にある事を理由に友好都市を当時の相馬市長に進言。平成4年10月16日、17日の日程で相馬市長と市議6名で北区を訪問した事に始まる。ふるさと北区 区民まつりに酒田市の特産品を販売する下心があった。
 翌年には酒田一中が修学旅行先に北区を選んだり、都会っ子ふれあい農業体験事業などの交流が始まり、平成6年、今は亡き長橋菊治市議にママさんバレー相互の交流親善試合を持ちかけ、決まった。北区の窓口は安田勝彦区議である。第1回目は酒田市での交流親善試合となった。北区ママさんバレーチームが大型バス2台で来酒。盛大な交流試合となり、終わっての歓迎会も盛り上がったものだ。
 平成7年に災害援助協定が結ばれ、平成9年に友好都市協定が締結された。ママさんバレーの交流親善試合は相互交流で往来をしていたが、酒田市は10年間で予算を打ち切ってしまったが、選手の持ち出し等で、細々と続けられていた。しかし、東日本大震災で23年、24年、25年は休止をしていた。今年は20周年記念当たり、復活の話がまとまり、花川区長を先頭に来酒され、交流試合が復活したことになった。
 東京北区は予算化されたのに、酒田市は予算に組み込まれていない状況にある。関係者の努力に期待したい

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対馬から高速船で釜山へ

2014年08月03日 | インポート

Dsc00496 対馬北部の比田勝港で出国審査を終え、釜山行き高速船「KJ145コビー」に乗り込んだのは午後4時過ぎ。ほぼ満席だったが、この船の座椅子が大きく、高級感は疲れをとる安らぎの場だった。約50キロを1時間程度だから、平均時速50㎞となる計算だが、湾外は60㎞位で航行しているものと思われる。揺れはなく飛行機程度の振動で乗り心地が良いのに驚いた。
 滑る様に釜山港に入港。視界いっぱいにコンテナヤードが並びコンテナ船が往来をしている。年間コンテナ取扱量は1400万TEUを超え、世界第5位の取扱高である。東京は420万TEUで世界第25位に甘んじている。実に東京3倍の取扱高である。しかし、ここに酒田港からも週3便、どのあたりの埠頭か分からないけれど、定期コンテナ船が入港してるんだと思うと妙に近親感を感じた。日本からは、57港週61便が定期コンテナ船として入港していると言う。
 岸壁に近づくにつれ、釜山に所狭し並ぶ高層ビルが目に飛び込んできた。人口341万人、韓国第2の都市である。1時間前の対馬とは対照的な場面に遭遇した気がした。船内はほとんど韓国語で、船内アナウンスは韓国語と、下手な日本語の二か国語の案内であった。船窓からは全形が見えない程の大型フェリー船のそばを通り、高速船は釜山港に着いた。人垣で溢れる釜山港の活気を肌で感じつつ日韓の複雑な想いを自身で確かめてみたいと思った。明日は在釜山日本総領事松井貞夫氏を訪問の予定である。

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