とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

放射能物質の影響

2011年05月31日 | インポート

001_2  昨日、県議会の震災特別小委員会が実質的に動き出した。これは、先の臨時議会で設置を決めた正副議長を除いた全県議会議員で構成する東日本大震災対策特別委員会の実働部隊と言える小委員会である。これは、県民生活・経済の正常化と放射性物質への対応。被災地への復旧・復興支援、県内防災機能の強化と新しい東北の構築等について6月定例会中まで提言し、県に対策を講じるように議会の強い意志を示すものである。
 今回の大地震で弱さを露呈したガソリン、電気、生産拠点の偏在。それを繋ぐ物流インフラの遅れ、日本海側の役割のあり方が中心的議題になるだろうと思っている。もうひとつ、破壊された福島原子力発電所がまき散らした放射性物質への対応である。「放射能とは何か」を勉強したいとお願いしていた。早速山形大学理学部、岩田高広教授の「放射能物質の飛散による影響等に関して」の研修会を開催してくれた。
 放射能とは、放射線を出して、自発的に別の物質(元素)になろうとする性質でその強さはベクレルで表す。原子核が崩壊するとそれぞれの種類の放射線を出す。この崩壊の速さそれぞれ異なりそれが半減期である。問題なのは放射線の生体への影響である。放射線は分子から電子をたたき出し、分子の結合が切れて細胞やDNAが破壊されることにある。ひとつの放射線で多数の分子が壊れる。そして、たったひとつの放射線でも大きなエネルギーを持ち、紫外線の一万倍以上と言われる。
 実効線量はシーベルトで表し、大きいほど危険であることは言うまでもない。細胞やDNAは破壊されても修復されるが、細胞分裂中は修復が困難であることから、胎児や幼児は弱い被爆でも影響が大きいことになる。目に見えない無味無臭の放射線は五感で感じ取ることが出来ない。信頼できる計測と対策だけが頼りである。

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震災復興を願って酒田祭り

2011年05月20日 | インポート

007  今年の酒田祭りは天気に恵まれた。酒田祭りとは元々山王祭の事であり酒田市にある上、下日枝神社の例大祭の事である。この祭りは400年もの間、一度も休むことなく続けられてきた酒田の心意気が伝わる伝統行事である。酒田祭りが天気だと5日後の鶴岡のお化け祭りと言われる天神祭りは雨だとよく言われるが、根拠のない話だが何となく分かるような気もする。
 山王祭りのメーンは何と言っても京都祇園祭り山鉾巡行を真似たといわれる巨大な山車であった。明治の終わりごろ電線が引かれると同時に山車が消えてしまったが、3年前から復活を果たした。これも酒田気質である。山王祭りは、戦時中も続けられてきたし、昭和51年の酒田大火の時も休まなかった。酒田大火は酒田の中心街22ヘクタールを消失し、がれきの山だったが祭りは続けられた。2年後の大火復興祭を機に、酒田市の財政支援を受けるために市民の祭りとする事とし酒田祭りと改名したのだ。それと同時に2対の巨大な獅子頭を復興記念に製作し、祭りの行列に加わった。酒田大獅子は酒田の象徴となり、常時市役所に鎮座し市民を見守っている。
 東日本大震災もやがては復興し、元の元気な街に戻るだろうと思う。酒田祭りは脅威的なスピードで復興を果たした酒田大火復興のシンボルであり、今回の被災地に元気を届ける大きな節目になればと願っている。

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早くも豪雨災害

2011年05月11日 | インポート

002  庄内平野は田植が始まったが、昔の様に一斉に始まるわけでもなく代掻きをしているもの、してないもの、また田植をしているものとそれぞれである。しかし、水利に恵まれた庄内平野のこの時期の風情は格別な美しさがある。もう一週間もすれば田植も終わり庄内平野は一斉に鮮やかな緑色一色となる。
 5月9日の夜半、穏やかな自然が一転して牙をむき出した。折から大雨警報は出されていたのだが、あまり気にせずにいた。ところが、酒田市中野俣地域には集中豪雨があったらしく中野俣川が氾濫したというのだ。一帯が冠水し用水路に水を引き込む頭首工が決壊したと連絡があった。田植直前の一番水が大量に必要な時期とあって、農家の皆さんはあわてていた。とりあえず、六インチの水中ポンプ2台をつかって用水路に水を流していた。川幅10メートルほどあるコンクリート製の頭首工の真ん中が折れて流されてしまっていたのだ。災害復旧までには相当の期間がかかり今日明日と言うはなしではない。応急措置が出来ないのかと庄内総合支庁と掛け合ったものの妙案はない様子。土嚢で仮工事は出来ないのか、矢板を打つことは出来ないのかと提案したのだが、いずれも技術的には簡単ではない水量だとの返事である。作付が出来るのかが農家の悩みとなってしまった。
 水の破壊力は想像を超えるものがある。震災の津波もすべてを破壊した。人間の工作物などたかが知れていると感じた次第である。

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大震災での自衛隊

2011年05月06日 | インポート

002  4月28日県議団が被災地に入った最初の訪問地は、自衛隊仙台駐屯地第6師団への表敬訪問である。「自衛隊は暴力装置」と言った仙石官房長官の言葉が残るが、10万人とも言われる自衛隊抜きの災害復旧はあり得ない。その活動は多岐にわたっていて報道される所だけではない。
 第一義的に実施されたのが情報収集と人命救助である。どこに誰が助けを求めているか。何を使って救助できるのか、瞬時の判断が求められる時間との闘いである。次の行動は行方不明者の捜索である。家族の悲痛な叫びが痛いほど感じながらの活動となる。そして、被災者の生活支援活動も一刻の猶予も許されない重大な使命である。せっかく助け出された方たちを含めて生存に直結する、給食、給水、衛生、毛布等の物資輸送が緊急行動として不可欠である。
 時間の経過と共に、入浴や全国から届く支援物資の仕分けと輸送が始まる。石巻総合運動公園が支援物資輸送基地となっている。そこから孤立地域への空輸や、軽トラックを使っての輸送作戦が始まった。洗濯機や簡易トイレ等も欠かすことは出来ないが、被災地域が広大なためなかなか行き届かない難しさも出た。
 米軍との共同活動も実施された。校庭の汚泥除去や体育館の清掃など、日米の円滑な連携作戦がされ、特に仙台空港の復旧に米軍は威力を発揮し、短時間で空港の一部が回復するなど、空港関係者は感嘆の声を上げていた。
 自衛隊は、激励演奏会を被災地の要望に応える形で、小中学校の卒業式などで演奏し心のケアも含めて、きめ細かな活動をしている。自衛隊は国民の財産である。過去に自衛隊の卒業式で「君たちの活躍の場がないほど国にとっては良い事だ」と訓示した総理大臣の言葉が心に残る。

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