とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

海向寺に二体の即身仏

2019年10月25日 | 日記

 酒田市の海向寺に参拝する機会に恵まれた。海向寺は日和山公園の近くにあり、即身仏2体が祀られている。全国に現存している即身仏は17体で、内6体が庄内に祀られている。海向寺は森敦の小説「月山」の舞台となった湯殿山注連寺の元末寺で、注連寺の影響が大きい。

  修行僧が瞑想を続け絶命し、原型を保ったまま亡骸の状態になる事を即身仏と言い、死後に加工して保残されるミイラとは違う。強い意志によって五穀断ちをし、木の実や種、果物だけを食べ、山ごもりに入る。体から急激に脂肪が落とす。腐敗の原因となる水分を多く含む脂肪は、熱を逃し易くするするためにも大事なステップである。

 更に、次の段階では、木の皮と根だけで命つなぐ更に過酷なダイエットに入る。それも徐々に量を減らした木食行を続け、僧は瞑想の世界に入り脂肪と筋肉を削ぎ落してゆく。うじ虫も寄り付かない文字通りの骨と皮だけになる。体を極限に保つために、漆を飲む事もあったと言い残されている。

  過酷な過程を経て、準備が整った僧は鉦(りん)を手に地下3メートル作られた石室にはいり、座禅を組んだ形で埋められる。石室には竹筒で空気穴が作られ、鉦を打ち流しながらお経を唱え続ける。やがて鉦の音が聞こえなくなると竹筒が外され、僧侶の墓となる。

 1000日後に石室から掘り起こされ、その後寺に祀られ即身仏として崇拝される。海向寺に祀られる忠海上人(1775年)円明海上人(1882年)は海向寺の住職で、二体の即身仏は保護のためニカワを塗っただけで、原型そのままですと説明があった。衣替えはされてるものの祈り続けた荘厳さの気迫さが伝わってくる。

  湯殿山注連寺の奥深さに触れた。森敦の「すべて吹き寄するところ月山なり」の石碑がある。

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からとり芋

2019年10月21日 | 日記

 

 地域の方から「からとり」を頂いた。近年「からとり」は頂く事がなかったので、郷愁にかられ懐かしさに浸った。子供のころ「からとり」は、堆肥のたっぷり入った屋際の苗代の後作として、どの農家でも栽培していた当たり前の光景だった。

 晩秋に農家の方たちが、市街地の親戚に「からとり」を自転車に積んで、お歳暮がわりに配っていた事を覚えている。お礼にと一杯ご馳走になって、ほろ酔い加減で帰って来る懐かしい交流もあった。田植え機械になると苗代が消え「からとり」も消えた。今は、庄内の珍味として残っているだけとなってしまった。  

「からとり」は里芋の一種で、芋の部分は「ずいき」と呼びじっくり煮込み、とろけるような歯ざわりと濃厚で緻密な食感と、まろやかな味わいは無類なもの。庄内の味として一部に栽培される程度である。

 茎は、逆に淡泊であっさりした食味で、シャリシャリした歯ざわりである。また、風通しの良い日陰に茎をつるし干した「芋がら」は、昔ながらの保存食で、お汁の具材や、納豆汁には不可欠な存在である。しかし、いずれにしても調理に手間ひまがかかり、若者には敬遠されるしろものでもある。

 フランス料理やイタリア料理がハイカラで、からとり芋はダサイ料理だとは思わないのだが、時代は流れる。

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城輪柵跡を散策

2019年10月16日 | 日記

 酒田市に出羽国府が置かれたと言われる城柵、城輪柵は昭和6年に国指定史跡となり、昭和56年に再指定され、平成元年度から一部復元工事が始まり、観光スポットになっていた。

 この史跡は奈良時代の末期に秋田城から移転された城柵といわれ、東北の先住民、蝦夷地を統治する最前線にあったのではとも言われ、謎めいてはっきりした事は解明されていない。

 発掘調査の結果、一辺約720mの築地塀の正方形の中に、築城などに囲まれた政庁があった事が分かった。外郭の四辺中央には門が設けられ、政庁のある中心部に向かって大路が作られており、国府の跡とされている。

 平成元年度に国の「史跡等活用特別事業」の採択を受け、3か年事業として政庁南門、東門、および築地塀の一部が実物大に復元された。自然杉の巨木を探すのに苦労した話を聞いている。

 中途半端に終わったような城輪柵跡の復元も、今は劣化が進み観光客もまばらとなっている。しかし、郷土のルーツを訪ね、意義ある時間を過ごす事が出来たと思っている。

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保育園の茶道教室

2019年10月06日 | 日記

  先日、北平田保育園で茶道教室があった。保育園児が茶道の所作をどんな風にに学ぶのか。案内があったので好奇心半分出かけてみた。私自身、茶道の知識はまるでない。身振り手振りぐらいは何とかなるだろうと思いながらの参加である。

  園児の年長組、年中組が対象で今年2回目の教室との事である。正座や運ばれてくる抹茶を飲む作法はおおむね取得済みで、それらしい雰囲気はあった。あぐらをかいたり、姿勢を崩すと園児から、即ブーイングが来る状態だった。

 畳のへりからちょっと引いて座り、懐紙を左側に置く。その後、和紙に載せた和菓子が運ばれて来る。「お先に頂きます」と隣に一礼し甘い和菓子を頂く。これが一巡すると抹茶が運ばれてくる。抹茶碗を手前に引き寄せて、運んできた来た人に一礼をする。隣に挨拶をして右手に茶碗を持ち、左手で底を持つ。

  茶碗の正面を避けるため、2度ほど右回りに茶碗を回してようやく抹茶を頂く。飲み終えると口を付けた茶碗の部分を手で拭いて、又右回りに茶碗を回して、元に戻して「美味しかったです」と運んできた人にお礼を述べる一連の所作である。  2回目の教室で学んだだけなのに、園児の学習力には驚いた。3回目はお茶を点てる事を学ぶ計画と聞いている。

 詳しくは北平田保育園のホームページにアップされている

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