今日から県議会11月定例会議が始まった。12月15日までである。議会は、本会議と委員会と予算特別委員会が連続的に開かれ、最後に本会議で採決され、閉会となる。今日の本会議前に、議員の永年勤続の表彰伝達式があり、25年、20年、15年、10年の議員12名が知事表彰も合わせて行われた。25年は県会議員7期目の当選がないと該当しない。7期も県民の支持を得る事は大変なことであり、頭の下がる思いである。健康である事も大事な要素だ。
私はまだ2期8年、それでも振り返ると、良くここまで通ったなあと思う。8年前は、高速道路もなかった。47号線から13号線を経由して2時間半もかかり、さすが山形は遠かった。今は、1時間50分位で大分近く感じられるようになった。当時は、定数が49名で、4年前に3名の定数削減があり、現在は町長に転出して1名欠員となっており、45名である。来春は、2名の定数削減が決まっており、44名になる。
本会議前には、議会運営委員会が開かれ、議会日程が決められこれ以外の事は議題にならない。何か追加する事があれば、議会運営委員会にかけられて追加議案となる。議会運営委員会の前に議会対策協議会という非公式協議がある。各会派の代表者が、会派の考えを出して激論を戦わす場である。相手の胸の内を読み自分の会派の主張をどれだけ通せるかが、かかっている場所でもある。ここが空転し、午前0時を超えた事もあった。私も2年間つとめた。民主主義とは、回りくどいものである。
酒田北港に、酒田共同火力発電所がある。昭和48年に住軽アルミニウム工場の酒田立地に伴う発電所として設立されたもので、当時の公害防止協定で酒田市を二分した論争が思い出される。一基35万kWの一号機が運転を開始したのが昭和52年10月1日、翌年に二号機が運転開始して、フル稼働になった。その5年後には、住軽アルミニウム工場は解散した。産業構造の変革の始まりであった。
昭和59年に一号機が石炭だきになり、平成4年に2号機も石炭だきになり、現在の姿となった。山形県の電気消費量を120万kWとすると、70万kWは県民にとって、有難い存在である。東北で電力移入県は、岩手県と山形県だけで、酒田共同火力の持つ意味は大きい。石炭は、オーストラリアからの輸入が中心でインドネシアや中国も増えてきており、年間140万トンを超えている。
心配された産廃税の導入で石炭灰への課税は、100%リサイクルされる事で有効な資源になった。港の取り扱い量は、この酒田共同火力発電所が大きなシェアを占める。
山形県の50%以上の電力を賄う酒田共同火力発電所は、港があるから存在し得る事を忘れてはならない。港湾の未整備区域は、土砂が崩れ、港を浅くしている。コスト削減は、船舶の大型化が必須となる。港が浅くならない手当ては、最低限 港湾管理者のやらなければならない事である。港湾の持つ意味を県民にもっと分かって欲しいと、心から思う。
酒田地震は、1894年(明治27年)10月22日17時35分に発生した庄内北部を震源とした地震で、酒田を中心に局地集中的に被害が出たことからそう言われている。観測体制が不備で、正確な記録に乏しくマグニチュードは7.0 最大震度5と記録されているが、被害状況から、最大震度は7くらいはあったのではとも言われている。余震も数多く住民の不安も相当なものだった様である。
酒田では、大火災が発生し総戸数の8割が焼失と記録にある。死者739人、負傷者8403人、破損家屋7863戸。この地震をきっかけに、木造建築の耐震性を問うこととなり、木造建築改良仕様書が発表されるのである。
わが家は、その翌年、明治28年に建てたと棟札に書いてある。現在も住んでいるのだから築111年現役と言う事になる。柱の太さは、大きいものは30センチ、その他は20センチ。筋交いがたくさん入っており、耐震性に充分気をつけた後が伺える。梁は、木の形をそのまま生かした、不正形で、釘も使わず組み立ててあり、しっかりしたものだ。
もっとも、雨戸や屋根は手をいれている。また居住区間は断熱材を使い快適性は現代的である。リフォームの際、レーザー光線で柱の傾きや、水平を調べたらほとんど狂っていないと、皆で驚いた。石の上に乗っかっているだけで100年以上も頑張ってる木造建築の素晴らしさに脱帽である。
明治の大工の腕前に敬服し、大事にこれからも住んで行こうと思う。
先般、一泊二日の東京出張があった。私事都合もあったので、庄内空港から7時10分発の一番機に乗った。300人乗り位だろうか、8割の席は埋まっていた。
さすが飛行機、8時5分前に羽田に着いた。所要時間45分、もう東京である。
日本の政治、経済、文化の中心である東京は、さすがにエネルギッシュである。こんな狭い所に日本の1割りの人が住んでいるのだ。1時間前の酒田の様子との落差には、驚かされる。会議の後、県の宿泊施設「つきやま会館」に泊まって翌朝、東京駅9時12分発「 MaXとき313号」で帰途についた。この電車は新潟までノンストップで1時間37分、快適な速さである。
新潟で「いなほ3号」に乗り換える。乗り換え時間は10分、大急ぎである。ここからが問題だ。新幹線のスピードに慣れた直後だからだろうか、ゴットンゴットンときしみながら走る。それでも「村上」辺りまでは、乗客が多いので都会的な雰囲気は残る。「村上」を過ぎるとカーブとトンネルの連続になり、華やいだ東京と逆比例に電車は走る。
「余目」を過ぎるとまもなく電車は徐行運転になった。車窓からは、真新しい防風柵が延々と出来ていた。そういえば昨年の12月25日、ここで突風による電車転覆事故があったのだ。1年経っても、傷は癒えない。そっと手を合わせた。
酒田に到着した。4時間の旅、新幹線に取り残され12万人の街が、下を向いてじっと耐えている様に、私には見えた。
山形県の監査委員に就任して1年半。曲がりなりにも皆さんに助けて頂いて、この重責を執行中である。監査というと聞いただけで堅苦しく感じるのだが、それ程でもなく緊張の中にも、一服タイムもある。難しいことを言うと、監査には、大別して定期監査、行政監査、財政的援助団体等の監査、住民監査請求による監査、決算審査の5つである。
特に決算審査は、一般会計、特別会計及び公営企業会計の決算について議会の認定を受けるに当たって、監査委員の意見を付けて、知事は議会に提出する事が義務付けられている。決算審査意見書がそれである。
住民監査請求による監査も2回あった。この時は、弁護士である委員の存在が頼もしい限りだ。監査委員は議会選出委員が2名、識見委員が1名、常勤の代表監査委員の4名で構成されている。識見委員の委員が弁護士の先生である。
議会選出の委員は、議会会派で選出するのだが 正直のところ、人気が無くなかなか引き受け手がいない。特に後期2年は、選挙を控え大変なのだ。監査箇所244箇所、年間83日が監査で拘束される。監査職員18名は、計数のエキスパートである。
監査委員室は、県庁16階の最上階、広くゆったりした部屋である。デスクが4つ、応接セットと10人分位の会議デスクがあり、ここで膨大な資料に目を通す。警察、学校、県庁の関係する公所は、ほとんど訪れた。忙しいけれども山形県を知る機会に恵まれたことは、有難い。
食と国柄には密接不可分な関係がある。食べる事、即日常の生活である。生活習慣病や、体位、体型にも重大な影響があり、その国の思考にも及ぶ極めて基本的な日常行為で、これを軽んじてはいないのか再思考する必要がある。
日本人が長い間培ってきた食文化、和食が世界的に見直されているこの時に、日本人はどちらを向いているのか疑わしい限りだ。わが国の食料自給率は、約40パーセントで、胃袋の6割は海外に依存しているのだ。安さ、手軽さ、速さを安直に求め過ぎてはいないのか、改めて自分の胸に手を当ててみたいものだ。
日本人がこよなく好きなラーメン。一杯約500円の中味は、小麦粉と豚肉とメンマと薬味のねぎが、一般的である。国産の食材は、水とねぎ位で、国産自給率は約4パーセントで550キロカロリー。小麦粉はほとんど輸入で、その量は年間580万トン。米の消費量は750万トンでその大きさがわかる。
サンマ定食は、野菜の鉢物にご飯とみそ汁、漬物少々で、450キロカロリーで国産自給率は、82パーセント。値段は少し高いが見事なものである。
食育教育とよく言われるが、少し考えて、一人一人が食事をとると、それだけで日本農業や漁業は大きく変わる。自分の便利さだけでなく、日本の国柄も考えてみてはと、つくづく思う今日この頃です。
県政報告会も16回目を数えるまでになった。いつも、大勢の皆さんに足を運んで頂きありがたく感謝のひとことに尽きる。まだまだ、力不足で皆さんの思いを県に伝え、満足してもらえる結果が出ていない事に、お詫申し上げたい。よく、政治は結果責任といわれる。議員の存在感や人脈、タイミングどれひとつ欠けても、良い結果はでてこない。
今日の県政報告会は、いつになく自己主張が強かったかもしれない。「自分のやった事は、ちゃんと言え。トンビに油揚げでは、応援する方が情けない」と事前に忠告があったので少し力を入れてみたのだが、皆さんどう感じたか心配なところだ。
農業のこと、地域医療のこと、港のこと、地域経済力のこと、新幹線庄内延伸のこと、高速道路にインターチェンジをもう一つつくることなど、話し切れない内に、時間になった。詳しくは、ホームページで、述べていこうと思っている。
ひとりでも多くの人に、自分の考えを伝え、支援の輪が広がる事を祈るばかりである。
待ちに待った山形県北部を横断する、地域高規格道路の新庄酒田間の酒田側の起工式が行われた。100名を越す関係者が、工事に着工する喜びを祝い、工事の安全を願う盛大な式典だった。
平成6年12月に計画路線に指定されてから、実に12年の月日が経っている。先ずは、酒田余目間12.7キロメートルを、余目酒田道路として整備するものであり、完成すると、所要時間が25分から2分の1短縮され、13分くらいになる。最上川を横断するもう一本の長大橋が架けられ、渋滞緩和と両岸地域の交流、連携の促進が図られる事になる。 式典には、国土交通省 道路局長の宮田年耕さんが、わざわざ出席し挨拶をされ、国土交通省の力の入れ方をうかがわせた。頼もしい限りである。
一日も早い開通を願うのだが、10年位はかかると言われており、新庄までは30年とか、40年という年数らしい。この年数の短縮こそが、政治の知恵の出し所である。
うれしい情報がもう一つあった。山形自動車道(日沿道)とこの道路の交差する所に、ジャンクションを開設することを前提に、国土交通省と東日本道路公団と県が正式に協議に入ったの事。
私達が要望してきた、山形道への乗り入れ口が増えることになり、高速道路網の利便性が向上する願ってもないことである。道路は地域を変える、大きな起爆剤になる。
通称「月山道」と呼ばれている、六十里街道の峠越えは今、街道の補修工事ラッシュで渋滞が慢性化し参っている。
月山道は、高速自動車道路「山形道」の庄内と内陸を結ぶ国直轄管理の自動車専用道路16キロメートルを含めた112号線周辺の25キロメートルをさしている。 標高は約1000メートルで、全国でも有数の豪雪地帯である。その上、橋梁とトンネルの連続で、痛みがひどく補強工事が多くなる。その中に、2620メートルの月山第一トンネル、月山第2、志津、湯殿山と四本のトンネルがある。この道路の監視体制や、除雪体制は全国最高級と言われており、大雪で道路が通行止めになった事は一度もない。
庄内と内陸を結ぶ大動脈だけに、一日の交通量は6000台~8000台で、海水浴シーズンや連休などには、さらに倍増する気の抜けない道路である。降雪前の補修工事はラッシュで、交互交通の交通規制がやたら多い。 交互交通は、今日6箇所、3日前は10箇所もあった。うまく行っても30分は待たされ、長い長い渋滞になる。9月議会の建設常任委員会でこの問題をとりあげ 「補強工事は有り難いが、工事の平準化は出来ないのか? 交通規制の距離はもっと短くならないのか?」 私にとっても通勤道路の、このロスは痛いところだ。「夏休み期間中は工事を控え、降雪前には工事を終えるとなると、物理的にこんな結果になる。カーブやトンネルが多いので、規制距離が長くなる」と言う答弁だった。まあ、やむを得ないか。