とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

研究開発投資でイノベーションの促進

2022年01月29日 | 日記

 庄内地域に蔓延防止等重点措置が指定される前日の26日、山形新聞社主催の庄内県勢懇話会が鶴岡市(グランドエル・サン)で開かれた。感染防止の換気で会場は寒い程だった。「2022年の経済展望~中長期の視点から」の演題で講師の対木さおりさんは地元出身で興味があった。
 新型コロナ禍の世界経済動向を解説した後「世界が激変する中、日本は研究開発費用や教育投資など、イノベーション促進のための政策を急ぐ必要がある」と力説した。
 日本の少子化の背景には、子育ての負担感に加え、政府への信頼の低さがある。
 グローバルな競争力を持つある企業が、東京以外に研究施設を設け役員会もそこで開く。同じ人が同じ場所に毎日通う同じ環境からイノベーションは生まれる訳がないと言うのがその理由。庄内はそれに適した環境にある。優れた交通の便持たせ、その立地条件を最大限に生かして欲しい。
 講師の対木さおりさんは、米沢興譲館高校から東京大学経済学部卒業後、1999年に大蔵省(現・財務省)に入省している。その後三菱総合研究所、フリーのエコノミストなどを経て、2018年よりトーマツリスク管理戦略センターで活躍している。

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甘くみた「五十肩」

2022年01月22日 | 日記

 昨年12月、右肩に違和感を感じて整形クリニックで受診したところ、不覚にも「五十肩」と診断された。今さらとの思いとガッカリで情けない。
 今思えばその兆候は秋口にあった。ちょっと変な形で右手を使うと肩に負担を感じていた。「歳かな」との思いで鍼灸治療院で治療していた。治ったようで、治らないような状態が続きスッキリと完治はしなかった。
 その内、ズボンの後ろポケットから小銭入れを取り出そうとした時、激痛が走った。明日になればと思いながら日々を送っていたが、やっぱり右手をかばい、左手で作業する状態が多くなっている。手前の作業は何ともないが、後ろ手作業や上にあげる作業に痛みがある。
 整形クリニックに行くことに決めた。12月10日のクリニックは混んでいた。レントゲンを撮り診察の結果は「五十肩です」と告げられ、一メートル程の棒を使うリハビリの訓練を指導された。
 ろくにリハビリもせずにいた。夜寝ている時に痛みもあったりして再診察に行った。先生に「雪搔きと、リハビリは違うよ」サボりを見抜かれた。投薬も処方され、今度は2週間力いっぱいリハビリして、診察を受けた。「少し良くなってるようだが、リハビリはゆっくり正確にやりなさい」と指摘された。
 クリニックでの専門リハビリとも言われていたが、それは免れた。無知は怖い。ドクターの指示に従って頑張る毎日である。

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寒い雪国に寒鱈の「どんがら汁」

2022年01月15日 | 日記

 寒い雪の北国に寒鱈はほっこりと映える。特に熱々の「どんがら汁」を冬景色を眺めながら、いただく日本酒のぬくもりと合わせて寒さを忘れる至福の時となる。吉田類の「酒場放浪記」そのままの気分になれる。
 寒鱈は深海魚の真鱈が産卵のため浮上し、寒中に捕獲されたものを指し、この時期は脂ものりきってまさに旬。卵をいっぱい持っているメス、オスには美味しい白子があり、全長1メートル体重20キロの大型魚で冬を代表する魚である。
 この時期に庄内では自治体ごとに「寒鱈まつり」が催され、観光客ツアーも組んだ盛大なもので人出で賑わうのだが、コロナで昨年は中止、今年は鶴岡のみで実施されると聞いている。
 庄内を代表するB級グルメに成長した「寒鱈どんがら汁」にも仕掛けがある。今では考えられない事だが相馬市長時代、予算陳情に酒田の経済人と夜行列車に寒鱈を積み酒田に関係する官僚に「どんがら汁」振舞い、それが好評だった。
 そこで市長は「酒田日本海寒鱈まつり」を開催した。当初は寒鱈の多量仕入れで値上がりしたと苦情もあったが、次第に定着し広がりを見せた。今では、庄内全体のイベントとなっている。

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新型コロナ、今度はオミクロンか

2022年01月08日 | 日記

 昨年の7月に2回目のファイザー製ワクチン接種を終えて、一安心と思っていた。ところが今度は、変異したオミクロン株が急速な勢いで感染拡大と連日の報道で不安がよぎる。
 新型コロナウイルスは、2020年1月20日ダイヤモンドプリンセス号からコロナの罹患者が見つかり、日本とコロナの長い闘いが始まったと思っている。
 一昨年の3月24日にオリンピックの延期が決まり、感染を恐れた観光客等の人流も止まり、疲弊した国民に一律10万円の給付が始まった。
 「密集」「密室」「密接」の三密を避け「マスク」「手洗い」行動が生活様式の必須となり、飲食店、デパート、スポーツや文化活動にも大きな影響を与えた。不評だったアベのマスクもこの頃に配布されている。
 菅政権に代わり、先進国より遅れたものの、ワクチン接種が始まり国を挙げて強力な布陣が敷れた。そんな中、2021年1月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉に2度目の緊急事態宣言が出され、オリンピック開催に備えた対策が取られた。
 デルタ株拡大の5波が2021年6月下旬頃から兆候が始まり、8月20日に感染者数2万5千人のピークとなった。その後は急速に減少に転じて、10月1日には約1千人となり、それからは2桁代の推移で落ち着いていた。
 ほっとしたのもつかぬ間、今年になってオミクロン株が現れ、爆発的な拡大傾向の入り口となった。デルタ株の3倍近い感染力があると言われ、沖縄県は一挙に感染者数1759人となり「まん防」の指定となった。
 全国的に蔓延の兆しがあり油断ができない。たとえ軽症でも罹患すれば周辺に迷惑がかかる。

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正月行事の今昔

2022年01月02日 | 日記

 明けましておめでとうございます。
今年の年末年始は厳しい寒波に見舞われた。数日前にドカ雪が降り、その後に雨と暖かさで雪が融けたものの、もう少しと言う所に寒波と強烈な北風が吹いた。猛吹雪である。
 帰省予定の長男と孫の帰りは、羽越線新潟行が終日運休となり、午後の振り返バスで新潟に向かった。上越新幹線に運休は無いらしい。無事に着いたとの連絡があった。
 正月といっても、神仏に全員でよい年である様にと祈願して、恒例の雑煮餅を食べるだけの事。紅白歌合戦もなれ合いで観たものの感動を呼ぶほどの事もなかった。
 昔の正月は厳粛なものだった。年越しは新米に納豆汁。元旦の雑煮作りは男子の役目。日頃の女性の炊事に感謝し休ませるのだと教えられた。その雑煮を食べるのは、早朝でなければいけない。怠けをいさめる意味があり、その早さを競ったものだ。
 元旦の雑煮は家族一同で仏間で頂き、若返る様にと若水とお屠蘇を飲むのも儀式だった。仕事始めにと神棚に供えていた、わらで作った米粒等を履く「なで」で履き初めをする。仏間で南に向いて、福を履きいれる儀式で、それは長男の仕事だった。
 それら一連の行事が終わると「におをつむ」と言って夜が明けるまで仮眠をするのが習わしだった。
 「一年の計は元旦にあり」何事も初めが肝心である。今年も佳い年であるように祈念する。

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