とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

山形県の鉄道事情

2015年06月27日 | 日記

 山形県には奥羽本線、羽越本線、陸羽東西線、仙山線、米坂線、第3セクター運営のフラワー長井線が運行されている。国鉄時代、山形県の鉄道は仙台管理局、新潟管理局、秋田管理局の3局に分割管理されていて、複雑な苦い経験をしている。昭和63年の国鉄分割民営化で、東日本旅客鉄道・東北地域本社の管轄になった。
 6分割された旅客部門とは違い、貨物部門は全国一本化され、東北唯一、羽越本線で貨物列車が縦貫してその役目を担ってる。
 平成3年夏に東北新幹線と連結する目的で、福島駅・山形駅間を奥羽本線改軌工事を国の補助を受けて開始した。翌年7月、日本初のミニ新幹線が開業した。その7年後の平成11年には県費単独で約350億円をかけて新庄まで延伸し、現在の山形新幹線として運行されている。
 その先、庄内延伸については、平成18年斎藤弘知事時代、羽越本線の高速化との費用対効果で、わずかに羽越本線改良が有利との判断が下され、そのまま凍結状態になっている。そこに吉村知事が、奥羽本線・羽越本線フル規格の整備新幹線構想を打ち上げ、難問題化してしまった。
 私は国交省をはじめ、関係各所の調査を始めた。確かに奥羽・羽越本線が整備新幹線の基本計画として図面にはある。現在、北陸新幹線の敦賀経由大阪まで、函館・札幌間の延伸が確定視されて開業年次も明らかにされている。一方、基本計画とは100年単位先のたぐいで、夢物語ようなものだ。それに、1キロ100億円単位の工事費は、地元負担が30%程度かかる。
 板谷峠の遅延・運休を減らすためJR東日本が3年程度で調査をすると明らかにした。知事は早速JR東日本に出向き、フル規格に併せて前倒しの改良をお願いしたと報道されている。私の調査では、国の基本計画のフル規格とリンクはしない事が分かった。JR東日本独自のものである。
 山形・新庄間のミニ新幹線は、県単事業で行なわれたが、新庄・酒田間が現実になれば、国の補助は可能である事も分かった。それにしても山形県の意思統一が不可欠である。酒田商工会議所や自治会連合協議会が署名活動を始めると報道されている。いよいよ佳境に入った。

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全国初のALS患者セフティーネット

2015年06月15日 | 日記

 平成27年度の日本ALS協会山形県支部の定例総会があった。患者さんの出席は少ないものの家族やボランティア、関係機関のスタッフなどそれぞれの思いを胸に、充実した総会だった。
 報告で特筆すべき事は、全国で初の災害対策の支援体制システムが出来た事である。それは「停電を伴う震災時における人工呼吸器装着在宅ALS患者の慢性期病院への搬送システムの構築」である。つまり、在宅で人工呼吸器装着ALS患者が、ハイヤー及びタクシー協会と協定を結んで、長期停電が発生した時に病院へ搬送するシステムが出来たということである。
 人工呼吸器を装着した患者さんの移動は大変なことである。それを関係者が力を併せて、安全な病院へ行けるシステムはいわゆるセフテーネットとして、安心できるものである。
 私は、「この自分の右手は誰も代わる事は出来ない。しかし、手を重ね、寄り添う事は出来る」と挨拶した。大勢の県民が手を重ねてくれるだろうと思った。

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「山形屋」でサクランボのトップセールス

2015年06月12日 | 日記

 鹿児島市を代表する、老舗百貨店「山形屋」で「第1回東北6県味と技展」が6月10日から16日まで開催されている。その初日、吉村知事をトップに「さくらんぼのトップセールス」が行われた。1階の正面玄関口は、100個準備された「さとう錦」のプレゼントに並ぶ人や関係者、マスコミでごった返した。
 ここに至るまでには6年の歳月がある。佐貝全健さんが議長時代、全国議長会で鹿児島県金子議長との出会いに始まる。西郷隆盛と山形県との関わりに造形の深い佐貝議長は、議員間交流を持ちかけ、相互交流が始まった。酒田市にも南洲神社があり、今も南洲翁遺訓の勉強会が続いている事から私にも声がかかり、数人の県議会議員同士で交流を続けていた。
 相互交流の4回目ころ、鹿児島市「山形屋」の創業者が山形県庄内出身の北前船商人で、1751年に薩摩藩主の許可を得た呉服商で始まった事を知った。早速「山形屋」に乗り込み山形県特産品を扱ってもらえないかと現社長と話し合った。「北海道の日はあるのだが山形県の知名度はまだまだ」のことが分かってきた。その後、それぞれ関係者の努力が実って、今日を迎えることが出来た。しかし、東北6県の中で山形県のブースは小さい。
 会場を移して「吉村知事を歓迎する会」が鹿児島県知事を含め100人の規模で開催された。山形県側は議員10名と県職員含めて16名の参加である。両県知事と両県議代表と山形屋社長のあいさつがあり、薩摩太鼓と薩摩琵琶の演奏とで、セレモニーは1時間。乾杯の発声は私だった「遠い北国山形県と南国鹿児島県の本格的交流はこれから始まる」といって乾杯をした。

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いか釣り船団出航式に11隻が集結

2015年06月06日 | 日記

 いか釣り船団出航式が酒田港袖岡ふ頭で開催された。酒田市と山形県漁業協同組合の主催は、水産振興と酒田港や海産物のPRを目的とするもので、今年で9回目となる。山形県船友漁労長会の協力で今年も11隻が参加している。その内9人が飛島出身の漁労長である。
 酒田港を出航すると、いか釣り船団は日本海をいったん南下し、イカの群れを追いかけながら北海道沖やロシア海域まで北上し、来年の2月ごろまで長期間の操業を続ける。操業時には13隻の船団になる予定で、山形県漁協の稼ぎ頭である。乗組員には酒田市外国人漁業研修生受入事業協会のインドネシア人研修生31人が乗り組んでいる。この船団の船は冷凍船であり、釣ったその場でイカを急速冷凍する。「船凍イカ」は、鮮度抜群のイカとして市場の評価は高い。
 今日の出航式は雨がパラついたものの、広い埠頭は市民で埋め尽くされた。200トンほどのイカ釣り漁船が11隻も並ぶと見事な迫力である。海産物のテント出店に大勢の市民が押しかけている。イカ焼きの匂いが会場に漂い、いか刺コーナーは行列だった。私はイカ焼きと焼きそばを買った。11時40分過ぎ、五色のテープで別れを惜しみつつ船は出て行った。大漁を祈りながら袖岡ふ頭を後にした。

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