とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

大雪で市民生活に疲れ

2011年01月30日 | インポート

004  1月も明日で終わりである。正月は穏やかな天気だったものの、その後は連日の寒波と降雪で参った。酒田は比較的に積雪は少ない地域なはずだが、今年は違う。連日屋敷内の除雪に一時間はかかる。それに狭い小路は、圧雪が日中には緩み車を押し合う光景が日常的に見られる。高齢所帯に与える大雪の影響は計り知れない。助け合う連帯で乗り切るしかないのだが、日頃の隣近所との付き合い方の大切さをあらためて思い知らされる。
 幅の広い幹線道路の除雪はさすが完璧であり、防雪柵の威力は肌で感じ取ることが出来る。ところが狭い路地や対応の遅れた道路に苦情が殺到している。「こんにちは」と訪問すると「除雪車が来ない。何とかしろ」「狭くて排雪以外にはどうにもならない。何度頼んでもダメだ」と真っ先に先制パンチを浴びる。公共工事が減り建設会社も人手を削減してきている。国の除雪費にたいする予算も渋い。東京で豪雪の辛さは理解出来ていない。積雪地帯のハンディを地域主権などと言われたらたまったものではない。
 羽越本線はダイヤの乱れが続いている。29日は特急いなほを含む上下36本が運休となり、3600人に影響がでた。今日もまだ運休がつづいている。ファンの多い寝台特急「日本海」「あけぼの」は全く信頼の持てない電車になってしまった。東北日本海側を縦貫する羽越本線だけに、運休と遅延の連続にはうんざりする。

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酒田港からコメ輸出の第一歩

2011年01月22日 | インポート

004  「割高な日本のコメは輸出できるのか」長年の懸案であった。たゆまぬ技術革新と品種改良により、価格が半分以下に抑えられ、安全安心な日本のコメが日本食ブームと共に、国際的な認知度が上がった。農業の進歩である。
 中国に日本のコメの需要があるという。昨年、日中の政府間で日本から20万トンのコメを輸出する覚書が交わされた。今までも10トン単位の輸出はあった。山形県でも昨年10トン、一昨年18トンの実績がある。中国にコメを輸出するには、指定精米工場と病害虫を駆除する登録燻蒸倉庫での処理が義務付けられている。
 条件を満たす施設は神奈川県一か所で、全国すべてのコメがここに集荷され中国へ出荷される。20万トンともなれば、施設を増やすことになり昨年末から燻蒸倉庫の登録を募集していた。全国30か所から応募があり、その中の8か所が選ばれ東北では唯一「酒田港西埠頭上屋」がノミネートされた。これから3ヶ月かけて調査され、問題がなければ、指定精米工場とのセットで条件が整うことになる。
 昨年の暮れにある企業を訪問した際「公募に山形県はどうしているのか」と聞かれた。早速、農林水産部に電話したが話がかみ合わず「調査します」だった。数日後「すべて条件は整わないが、手を挙げます」と連絡があった。そして1月19日「酒田港が東北で一つだけ選ばれました。一歩前進です」と、うれしい知らせが入った。頑張ってくれた関係各位に感謝感謝である。

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後援会「広報部」の仕事

2011年01月16日 | インポート

075  県議会当選以来の広報部の仲間である。この写真を撮っている人を加えたメンバーが12年間会報を作ってくれた。今回の会報が18号目になる。仕事は一応真面目ではあるが、作業を終えてからが延々と続く政治談議である。年齢も職種も肩書きすべてなしの無礼講発言の連発である。国会議員であろうが市長であろうが県知事であろうがすべてが論破の対象である。私も加えて決して、ほめられるる事はない。
 12年前はみんな若かった。会社の地位も上昇中だったし、先の見通しもあった。今は、退職したり、起業したり、第2の職場に移ったり、ボランティア活動したり、再就職を目指したりが多くなって時代の変わりを思う。
 今回の酒の肴はきりたんぽ鍋であった。きりたんぽを持ってくる人、地鶏を仕入れてきた人、ねぎと野菜と味付けはプロ級の人がいる。この人がコーデネートしているのだろうと思うが、これがまた、妥協許さぬ強者なのだ。
 4年前のこの会での話である。「未来に残せる大きな仕事はないか」に始まり「酒田中央インターチェンジが作れないか」となって取り組んだ仕事である。工事が始まり、形が見えてきた。形が見えると、あちこちで「私が作ったたんだ」と手柄話する議員の話を聞くのも楽しいものだ。
 車座の飲み会。これほど楽しいものはない。オフレコ話もぼんぼん飛び出す。本音の言い合える仲間こそ原点である。

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事務所開き

2011年01月11日 | インポート

004  今日、事務所開きを後援会の皆さんと共に行った。
2011年1月11日11時である。役員会でこの日が良いだろうと提案した人は定かではないが、めったにないごろ合わせである。
 神事が始まり、皆さん敬謙な気持ちで祝詞奏上に頭をたれた。気持ちが一体になった瞬間である。誰にも分からない未知の得票に挑む不安が身に染みる。自分の今までの政治行動がどう評価されているのかいないのか、神のみ知る世界である。
 私はあいさつで自分の思いを述べた。未知の県議会議員に当選させて頂いて12年。酒田港の振興に全力で取り組んで来た事をまず述べた。そして、高速交通に取り残された庄内を何とかしなくてはいけない切実さを訴えた。雇用の不安は一大事である。解決の鍵は、地場企業を活性化する事に尽きる。それには、山形県の支援策が必要である事。農業はひん死の重傷にあり、政策抜きには滅亡する事などの思いを伝えた。山形新幹線の庄内延伸は今こそ訴えるべきである。羽越本線の遅延、運休の続発は、交通機能としての信頼を完全に失っている。今こそ絶好のチャンスである。鉄道インフラが不可欠である事は理にかなうことだ。
 中央政治が乱れている今、地方議会からの発信こそが救国の政治であると危機感を熱っぽく話した。県議会議員に当選するには、一万人の皆さんの支持を頂かなければならない。この厳しさは並大抵ではない。ひとつひとつの行動をじっと観察されている自覚に押しつぶされる。ふるさとの発展に行動あるのみである。皆様の支持を心からお願い申し上げます。

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酒田魚市場の初セリ

2011年01月06日 | インポート

001  5日早朝、酒田水産物協同組合の初セリに行った。全員で神棚に拝礼をした後、威勢のいいせりが始まった。酒田のおいしいものの代表はは何と言っても魚介類である。この日の酒田魚市場には秋田県沖で獲れた10キロくらいのマダラが人目をひいた。タイ、ブリ、カンパチ、サザエ、エビなど全国から入荷した魚が所狭しと並んでいる。トロ箱もずらりと並んだ。
 今年は海水温が高く、水揚げが少なかったものの現在は正常に戻り漁獲量も増えて、市場にも活気がみなぎってきた。自然相手の水産業の難しさがここにある。これからがいよいよ本番の寒ダラのシーズンになる。酒田の味覚を全国に発信したいものだ。酒田魚市場が元気になることは、酒田の元気につながる。

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家族で初もうで

2011年01月03日 | インポート

005  明けましておめでとうございます。
正月三が日は、予報が外れて穏やかな天気に恵まれた。この季節は一日でも雪のないことが有難い。元旦に鹿児島は観測史上初めての積雪があったとニュースで見た。山陰地方の豪雪も報道され一千台の車が動けなくなったと言う。酒田の元旦は、温かく日差しがまぶしかった。車に閉じ込められたことで、昭和52年に農協青年部全国大会に出席した時を思い出した。2月4日、折からの猛吹雪の中、今の344号線を仲間と一緒に車で酒田駅に向かった。終日猛吹雪は止まなかった。午後4時牧曽根から3キロのところで車は渋滞し動けなくなった。万事休止である。私の車はガソリン満タンであったので暖はとれたが、ガス欠の車が続出し、悲惨な状態が続いた。10時間後の午前2時、牧曽根公会堂に避難させられた。炊き出しのおにぎりがふるまわれ、とりあえず家に電話をしたら「東京かと思った」と笑った。早朝、歩いて酒田駅から「いなほ」に乗った。夜東京で新聞をみた。閉じ込められた私の車が一面に大きく報道され、苦笑した思い出がある。
 「1年の計は元旦にあり」それぞれの家庭で「今年こそは」と祈願したに違いない。私も満願成就を願った。恒例になるが酒田発祥の地と言われる宮野浦神社に初もうでに行った。大勢の参拝客がいた。当選祈願のお札を頂いて帰路に就いた。「困ったときの神頼み」現在の心境である。

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