とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

沖縄県知事公室基地対策課を訪問

2014年01月27日 | インポート

Dsc00215 1月17日に沖縄県知事公室 基地対策課を訪ねた。世界一危険とされる普天間飛行場を辺野古周辺に移設する政府案に、仲井間知事が苦渋の決断を下した後の事である。
 議会事務局を通して「私自身、基地問題に特別な私見を持ち合わせている訳ではありませんが、貴県の県民意識と国との違いを報道で知るにつけ、その経過など直接お聞きし理解を深めたい」と、お願いした所、快諾を頂いたのである。質問事項を列記して送った。
 1 尖閣問題も含め、安全保障上、地形的に日本及び世界戦略上、貴県の役割は不可欠と思われますが。
 2 普天間飛行場の移転は民主党政権を挟んで、3転する事態を余儀なくされました。その経過について。
 3 仲井間知事が苦渋の決断をされ、県議会の対応の見通しを全国が注視しています。ご説明できる範囲でお願いします。
 4 私たちが出来る事があれば言って下さい。
 当日は、沖縄県知事公室 基地対策課  長嶺祥副参事 那覇竜麻主事 地域安全政策課 山里永悟主幹 小濱史人主事の四人が対応してくれた。
 一通りの説明の後、のっけからフリートーキングになった。「今の軍事技術は沖縄だけが戦略地域ではない。地球儀で見て欲しい。日本全土に分散しても、戦力は落ちない」「尖閣で何か起こった時、海兵隊が手続きなしで行動は起こせない。大統領が判断し、互いの議会の手続きが必要となる」「基地移転問題は一貫性が必要、総理の交代劇は痛い」「今回の知事決断は、腹をくくったものだと思う。総論賛成各論反対だけではなく、貴県でもシグナルを送ってくれると救いになる」
 日本の安全保障は国民の存亡にかかわる大事である。自分自身の事としての真剣な世論形成が不可欠と思える。

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目に留まった「思郷通信」

2014年01月24日 | インポート

Img_2658 荘内日報に佐高信さんが「思郷通信」を連載して32回になる。佐高信さんが酒田出身で著名な評論家である事を知らない人は先ずいない。それに、酒田東高では私の一年後輩でもある。辛口の評論は数々の話題を提供し物議を醸しだす事もしばしばである。空港の待合室などで何度か話した事もある。「俺は故郷に嫌われているのかなあ」などとつぶやき、故郷への想いの強さも知った。加藤紘一さんを高く評価していた事も分かっていた。
 いつもは、ななめ読みする「思郷通信」なのだが今回は、どきっとした。作者の意図は荘内日報で全文を読んでもらうしかない。つまみ食いを許していただくと「竹中(平蔵)流の格差拡大主義者として酒田に事務所を構え、衆議院をねらってる女がいるらしい」 中略 「本物のニセモノであるこの女を、もし、わが故郷の人間が認めるなら、私は酒田市民であったことを恥とし、放棄したい」
 「野田聖子の刺客として岐阜で衆議院に立候補して敗れ、次に東京で立ってまた敗れ、参議院に鞍替えして、いま議員となっているこの女は、まさに小林旭の「昔の名前で出ています」の「流れ女」である。今度は新庄が故郷だなどと言ってるらしいが、岐阜や東京で立った時は山形をまったく思い出さなかったのか。岐阜や東京でダメだったから山形でというのは完全に山形をバカにした言いぐさだろう。山形を故郷とする者として、これほど腹の立つ話もない」
 これを知ってか、知らずか得意げに連れ回している県議、市議もいる事を
付け加えたい

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鹿児島市の「山形屋」と山形県

2014年01月13日 | インポート

Dsc00160 鹿児島市に老舗百貨店「山形屋」がある。店名からも、山形県と縁がありそうだと思わせたが、やっぱり縁はあった。読み方は「ヤマカタヤ」読むのだそうである。創業は宝暦元年鹿児島城下唯一の呉服店で、二百数十年前とのこと。創業者が近江商人の血を受け継ぐ庄内出羽の岩本源衛門で、北前船商人だったと一号館の壁面にレリーフが掲げられている。
 山形屋の「北海道の物産と観光展」は歴史が古く50回にもなる。北海道が主催する物産展では、13年連続の日本一であり、昨年は9億円もの売上があり、鹿児島市秋の風物詩として、しっかり定着している。
 私たちは、店名や創業者の縁を頼って、ここに「山形県の物産と観光を売り込みたい」との思いが今回県議団「山形屋」の訪問である。山形屋の前身が呉服店で紅花との縁も深い。南国と北国のコラボレーションは興味深いものがある。「山形屋」が山形県を認識してくれた事は有意義である。今後の展開次第では「山形県コーナー」も夢ではない。誠意ある売り込みにその成否がかかる。 

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平成26年の正月

2014年01月03日 | インポート
 

Img_0916_2  明けましておめでとうございます。
珍しく雪のない三が日だった。今年は東京から長男と孫娘の二人が帰省し、長女の家族も加わり久しぶりの賑やかな家族団らんは、夜遅くまで続いた。気がつけば、孫の成長は驚くほど早い。親離れが進み子供世界には踏み入る事は出来ない。せいぜい少額のお年玉で気をひくしか手はなかった。それでも、普通である事の有難さを実感できた。
 自治会の新年会にも招かれた。その度に、おとそ気分で「山形県第三選挙区支部の自民党はどうなってる」「農業はどうなるんだ」と迫られる質問はきつかった。自論は述べるものの自身も先は読めない。「皆さんの思いがウマく行くように」と逃げの一手だった。
 2日は宮野浦日枝神社に初もうでに出かけた。今年が良い年であります様にと祈願する人でいっぱいだった。二礼二拍の儀式にのっとり家族の安寧を祈願した。宮司からは一列づつならんで、金属性の梵天のようなもので低頭の上からジャラジャラと厄払いしてもらった。
 神社の壁に今年の運勢が貼ってあった。春漁は大漁、網漁は小漁、キス漁は中漁、夏漁は大漁、秋漁は小漁、底引き漁は大漁、稲作は上作、畑作は中作、水難なし、火難ありとあった。当たるかも知れないし、外れるかも知れない。神のみぞ知る事だ。良い年である事を願いたい。
 

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