とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

酒田市障がい者スポーツ大会

2014年06月22日 | インポート

Dsc00460 酒田市障がい者スポーツ大会に出席した。以前は広い酒田陸上競技場で開催されていたが、最近は酒田市体育館で行われている。79名の選手に20名のボランテァが参加した、酒田市のパラリンピックとも言える。9月に天童で開催される県大会の出場予選も兼ねており、選手によっては県大会の優勝も狙っている。
 競技種目も多彩である。カローリング、ダーツ、ターゲットボッチャ、輪投げ、アキュラシ―、スカットボール、ラダゲーム、RDチャレンジ、シューティングボール、魚釣りなど、新しい種目が取り入れられ、専門的で、あなどれないテクニックを要する。来賓として魚釣りに出場した。昨年は1位だった記憶があるが、今年は5人中4位だった。
 カローリング種目の所で「やってみたら」と言われ、初めて挑戦した。カローリングはカーリングの陸上版の様な競技で、キャリヤのついたストーンを10mほど先の的に入れて得点を争う団体種目である。興味深いものだった。どうにかまっすぐは進ませる事は出来るが、力加減で行き過ぎたり、手前で止まったりで思うようにはならない。「チームを組んで参加したら」と言われたが、レベルが競技に臨めるものでは無いのでお断りをした。
 ダーツも面白そうだった。各競技を回ってみたが皆さんの真剣さで日頃の練習振りを知る事が出来た。障がい者のノーマラゼーションは、その環境を作り上げて行く努力が社会の責任であると思う。

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ALS協会山形県支部総会に参加して

2014年06月15日 | インポート

Dsc00445 ASL協会山形県支部総会に出席した。それは一分間の黙とうから始まった。年間数人は亡くなられ、現在山形県のALS罹患者は129人で、85名の方が在宅で治療されていると報告があった。患者数は少ないものの重症度から見て、ALSは難病中の難病である。
 総会は患者2名と家族関係者合わせて数十名。来賓は山形県健康福祉部障がい福祉課長、山形病院副院長、県議、国会議員代理秘書、障がい福祉課職員、各地域保健所職員だった。県選出国会議員秘書のほとんどが出席されており、前と比べて関心の高さを改めて感じさせられた。
 総会の中で、二人の男女から配偶者の闘病報告があり「わが家は大家族ですが、私の生活は妻が中心です。妻が居てくれるから私も生きて行けるのです。代わってやりたくてもできません。私が健康に気を付けて生きて行けるのは妻のお蔭です。ALSが発症すると周りに迷惑がかかると思ってしまう人が多いと聞きますが、家族にとっては居てくれるだけで生きがいです。もっと介護がうまくなろうと頑張れます」同様に寄り添って闘病されている女性の方は「一緒にリハビリをしていると、昨日よりは少し良くなったみたいと思う」と夫婦の絆の深さに感動でいっぱいになった。
 私はあいさつで「患者の皆さん、ご家族の皆さん、病院の皆さん、それを支えて下さっている関係者の皆さんに心から敬意と感謝を申し上げます。ALSを正しく理解してもらい、理解の輪を広げたい」と申し上げるのが精一杯だった。平成27年に施行される「難病患者に対する医療等に関する法律」に今日の声が反映されるように力を合わせて努力したいと思っている。

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保安林を守りながら日沿道は進む

2014年06月11日 | インポート

Dsc00426 全線開通が急がれる日本海沿岸東北自動車道が期待通りの工事進捗が見えない。原因はベースになる予算が減額されている事にある。その理由は、どうやら復興予算に重点配分されている事と東京オリンピック関連工事のプライオリティの高さにある様に思える。
 いつも後回しにされる日本海側インフラは、人口集積が少なく経済効果が少ないとデジタル数値がはじき出す結果、現状に甘んじる事に至っている。「鶏と卵」ではないが、沿線に暮らす住民は、明るい未来志向で、大都市との繋がりも発展の鍵と思ってる。地方の時代などとおだてる前に、国の責任で道路をつなげて欲しい。
 そんな中、平成21年に整備計画が決定され、事業着手された「酒田みなと~遊佐」間12キロの工事現場を視察した。この路線は、庄内砂丘を国道7号線と併行して伸びる路線である。砂丘は先人が飛砂から暮らしを守るため植林された人工林である。風の通り道と指摘されていたこの箇所は、地元要望で70mのボックスカルバーとし、上に土砂を盛り植林をして、防風林を再現する事になっている。
 保安林を守ることと、利便性の向上は難しい選択ではあるが共生の道を探りつつ一歩前に進めて行かなければならない。

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木材貿易完全自由化から50年

2014年06月03日 | インポート

Dsc00410 山形県の森林面積は県土の72%、67万haと公表されている。森林面積は北海道が断トツトップで、岩手、長野と続き、山形県は8番目に位置する。しかし、人工林率はその28%と極端に低く、東北で最下位、それは急峻な地形に由来するものと思われる。
 昭和20年、戦後復興に入った日本は大量の木材需要が起こり、国策として造林事業を進め、草地、広葉樹林を伐採してまで針葉樹の植林事業を進め、人工林は森林面積の40%にまでに達した。
 一方、高騰する木材価格を抑えるため昭和26年に丸太関税を撤廃し、昭和39年には木材の貿易完全自由化となり、安い輸入木材が世界中から押し寄せた。昭和30年に95%だった国産材利用は50年後には18%まで落ち込み、木材価格はピーク時の3割まで下落した。その結果、林業が成り立たず現在は山林の荒廃、山村の崩壊現象に至っている。
 戦後植林した木材は50年以上たち、木材を供給できる宝の山と変わっているのに、安易な自由化が林業と言う基幹産業を失った今、昔に戻る事は出来ない。しかし、山は育っている。山形県産材価値は4千億円とも推定され、伐採、植林の循環を取り戻す試みも始まっている。
 県内最大の製材業者「株式会社 庄司製材所」の本社工場が真室川町にある。秋田県・山形県を中心に原木を集荷し、コンピューター化された製材作業設備で無駄を省き、全国のホームセンター等にジャストインタイムで納入できるシステムが出来上がっている。女性の社員も製材作業を行っていた。樹皮や端材はバイオマスボイラーで熱源に変換。外材に負けない県産材の作り手として頼もしい存在だ。

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