とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

鮭・漁獲増をオホーツクと連携で取り組む

2015年02月28日 | 日記

 北海道新聞が2月24日付け「食の大地」の約1ページを使って、「メジカ漁獲増へタッグ」と題して特集を組んだ。オホーツク漁業関係者と山形県桝川鮭漁業組合とタッグを組んで、鮭の回帰率を上げ漁獲量を増やそうとする壮大な計画である。
 そもそも鮭は日本海側の川で産卵、ふ化し数年かけてベーリング海などを回遊し、産卵のために母川に回帰して一生を終える、途方もない壮大な旅をする魚である。母川に戻れず、オホーツク沿岸の網に迷い込んだ鮭が「メジカ」と呼ばれ、シロザケの4~5倍の高値で取引されている。日本海側の乱獲や、ふ化放流事業の衰退で年5万匹あったメジカの漁獲量は1万匹まで最近は落ちていると言われている。
 日本海側の鮭の回帰率は1~2%と言われている。、オホーツク漁業関係者のノウハウは多岐にわたるが、新たなふ化場の建て替えも加えたソフトの伝授で、回帰率が10%程度にアップする可能性があると見込まれている。このことは、メジカばかりではなく本州日本海側に戻ってくる鮭が大幅に増える事が期待される。
 北見管内さけ・ます増殖事業協会(網走市)宗谷さけ・ます増殖事業協会(枝幸町)は技術関係者を何度も遊佐町に派遣し、連携して鮭ます漁業の復活に期待をかけている。
 桝川鮭漁業生産組合長の尾形さんは「オホーツクの関係者のアドバイスはお金に変えられない貴重なもの。メジカを増やして恩返しするしかない」と感謝している。そのノウハウを今度は尾形さんから山形県全域に広げて欲しいと願っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉だけが躍る地方創生

2015年02月22日 | 日記

 山形新聞「私の主張」に昨日、「地方崩壊招く農協改革」として中山町の大友達彦さんの投稿があった。その中に、安倍首相は「涙が出るほど美しい棚田の風景」と言っていますが、産業競争力会議の某委員は高知県の中山間地に行って、「こんな所に無理して人がすんで農業をやってるから余計な金がかかるのだ」と言ったそうです。」と言う下りがある。
 農業は庭師ではない。国民に食料を届け、命と健康を守るその対価として金銭を受け取る生業としての職業である。その副産物として国土保全があり、食料安保があり、涙が出るほど美しい日本があるのだ。海外に勝てる農業も一部にはある。その拡大を目指す取り組みも間違ってはいない。しかし、農地の乏しい日本は、戦後の食糧難時代、中山間地にまで農地を広げ、干拓を国策として実行した歴史の上に、今の農業がある事を忘れないで欲しい。
 一時、農工一体論が寵用された時もあったが、今は影を潜めている。地方創生が流行語になり、言葉は踊るものの県予算の内示もバラバラの取り組みで、中山間地創生の言葉すら見当たらない。内示前、当局とあんな熱い議論を交わした片りんもない。県土の相当部分を占める中山間地創生に向けた政策に、残された時間は少ない。
 いきいきした故郷創生は、県民の望む所だ。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幽玄の世界「クラゲドリーム館」

2015年02月19日 | 日記

 東北電力酒田営業所の視察研修が、効率的電気利用モデル施設「クラゲドリーム館」だったので、私も参加させてもらった。いわゆる加茂水族館のことである。
 加茂水族館の歴史は古く1930年に設立されている。1955年に現在地に移転し鶴岡市立となる。1968年に年間21万人の入館者を記録したものの、その後の入館者は低迷を続け、1971年に閉館。翌年に市民の寄付などで再開するも、25年間も低迷は続いた。1997年に偶然水槽内にクラゲを見つけ、2000年にはクラゲ展示種類日本一になり、5年後は世界一となる。オワンクラゲでノーベル化学賞受賞の下村脩さんが来館するなど話題が広がり、2014年6月に改築オープン。その4ヶ月後には入館者50万人を突破する快挙となった。
 東北電力で視察するには訳がある。新しい水族館はオール電化方式が採用されている。和食レストランは調理のための火は一切使っておらず、大きなラーメン釜も、「煮物」「焼き物」全て電気である。厨房特有のむんむんする熱気と湯気、コンロから上がる炎とは無縁となった。厨房内温度が上がらない利点がある。クラゲレストランはクラゲメニュウーで大盛況である。
 クラゲ飼育は種類によって温度管理はすべて違う。小型熱源機を6台連携し、きめ細かな制御。ヒートポンプにより給湯、空調設備を安定的に運用している。
 私は新築後、初めてである。越前クラゲに代表されるように、クラゲの印象は余り良くないのだが、クラゲドリームのクラゲは優雅で幻想的なものだった。ちょっとのきっかけで、世界一の誕生も夢ではないことを知った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16回新年会で故相馬氏に黙とう

2015年02月12日 | 日記

 私の後援会「藤悠会」の新年会が16回目を数えた。いつもながらの荒天で、路面はつるつる、冷たい風が吹いていた。参加者数を心配していたが、ありがたいことに立食の会場は満杯だった。妻が後援会の行事に出ることはないのだが、この日ばかりは出てもらう事になっていた。ドキドキすると言っていたが、無事役目をはたしてもらった。
 ご来賓の皆様には、それぞれ身に余るお褒めの言葉を頂き「穴があったら入りたい」心境だった。私はあいさつで、故相馬大作氏に黙とうで哀悼の意を表したいとお願いし、全員で20秒間の黙とうをささげることが出来た。肩の力がストンと落ち、残躯を力いっぱい頑張る覚悟を決めた瞬間でもある。
 私はあいさつで、地方は人口減少問題が最大の課題である。人口減少率を抑制する具体的なプランが、今政治に求められていると考える。出口を決めて、入り口は多方面から入り込む工夫と、総合力を発揮する組織力が必要であり、地元企業を知る事に始まり、学校も家庭も企業も行政も全力で若者の地元定着に向けた努力をしなければならない。
 観光を中心とした交流人口の拡大も急務である。そのためのインフラ整備を急ぐ必要があり、どれが早く開通出来るのかを見極めて、選択すべきである。山形新幹線の庄内延伸はその選択肢のひとつである、と述べた。
 会場をまわりながら、たくさんのご意見を聞く事が出来た。ポテンシャルが上がり、キックオフの気分になった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最上町長「里山を活かした地域づくり」を講演

2015年02月08日 | 日記

 「NPO法人ひらた里山の会」が主催した「里山資源を活かした地域づくりin庄内」に行ってみた。行政関係者のみならず、関心のある市民150名ほどが参加していた。若い人も里山への関心は高まっていると感じたのが第一印象である。
 最上町町長 高橋重美氏の「木質バイオマスが地域産業を興す」の講演は、森林を中心にした地域おこしの実践例は興味深かく、「最上町に住みたい」の声が出るほどだった。
 最上町の84%を占める森林面積は、多くが造林されたもので、近年まで特別な想いもなかったが、3・11の大災害の発生後、森林への見方が変わった。管理者の高齢化は、森林の荒廃を生み整備は急務の課題と考え、育ちの悪い木を伐採し質の良い木が育つ健康な森林の再生に舵を切った。
 高性能林業機械を導入し、一伐三残間の列状間伐により、選林と収集の効率化で魅力的になった林業は、若者の就業につながる。間伐材は木質バイオマスチップに変換され、チップボイラーのエネルギーとして、給湯、暖房、融雪へ利活用される。その結果、子供たちの環境問題への関心を高め、保育所や福祉施設の冷暖房をまかない、チップボイラーを中心にした集合住宅の建設も考えている。
 視察者も増えているが、午後に案内して泊まって頂くように仕掛けてある。これは、役場内の連携で、特産物やふるさと納税とも結びつき、ふるさと納税は2億円を超えた。地域に自信と誇りを持ち、大学との連携を大切にする事が基本である。
 今、NHKで「限界集落株式会社」が放映されている。その中のセリフに「ムラがなくなったら、何も出来なくなる」が心に残る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする