とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

北平田保育園に2代目「わんわんバス」

2021年12月25日 | 日記

 酒田市北平田保育園の人気送迎バス「わんわんバス」の2代目を迎える会が開かれた。園児や関係者に新車の「わんわんバス」が披露され、喜びを分かち合った。
 初代「わんわんバス」の導入は21年前の事。バス全体が立体的に犬の形にデコレーションされ、「わんわん」と鳴き声が出る事から「わんわんバス」と呼ばれ、当時は珍しく人気者だった。
 人気者のバスも経年劣化には勝てず、故障が多くなり新しい送迎バスへの買い替えが検討されていた。中央競馬馬主社会福祉財団の助成募集に応募、助成金が当選して新車導入が決まった。
 園児の減少傾向もある事から、初代バスより小型のトヨタ・ハイエースをベースにした園児24人、大人3人が乗れるバスとした。人気のあった「わんわんバス」を継承したいとの事から、立体的な犬の形ではないが、バス全体を犬として描き、デザイン化して正面はかわいい犬の顔にした。後には尻尾も書いてある。
 22日に行われた「わんわんバス」を迎える会では、園児が初代のバスで会場に入り、それを見送った。その後2代目「わんわんバス」が盛大な拍手で入場。手作りの花の付いたテープカットと園児のくす玉割りで会は始まった。子供たちは歓迎の言葉で「北平田保育園に来てくれてありがとう。いっぱい乗せてね」とバスに呼びかけた。
 2代目「わんわんバス」は元気な園児を乗せて今日も走っている。

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山形県議会の政務活動費

2021年12月18日 | 日記

 山形県議会の政務活動費に県民の注目が集まっている。政務活動費は、以前政務調査費であったが2012年に、地方自治にも政務活動費を認めるべきとされ、政務活動費と改訂された。
 12月14日、山形地裁は2010年度分の政務調査費支出の内、27人分189万円が不当支出として吉村知事が議員に返還請求するように命じた判決だった。市民オンブズマン県民会議が山形地裁に2012年に訴えていた事項である。
 政務活動費は県議会議長の厳重なチェックの上、報告書が作られている。調査に使用したガソリン代以外は、全てに領収書の添付は当然のこと。「いつ」「どこで」「誰と」「何をしたか」を明確に記載し、議会への関わりも求めている。
 県議は、概ね人口2万5千人に一人の割合で選出される。選挙区は広く、関係する自治体や自治会、各種団体、協議会、協会、ボランティア、教育関係団体、施設関係団体、コミュニティ振興会等多岐に渡っている。県議に現状を伝えたい、県の状況を知りたい、要望も陳情もありで忙殺される。
 当然、家庭と離れた事務所も必要で事務職員も不可欠である。しかし、政務活動費は政治活動や後援会活動に使えない。活動の区分けが難しい事から事務所費は2分の1としている。
 返還の対象となったのは、意見交換後の懇親会費用が概ねだった。懇親会に欠席とも言えず、会費を払わない事も出来ない。会議の延長でもある。会費の上限を5千円と決めて認める事にしているのだが、理解してもらえないのだろうか。
 公金の透明性は当たり前の事である。国会議員の文書通信交通滞在費はノーチェックで県議との違いは大き過ぎる。
 ただ、虚偽記載は論外である。

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東京8区の選挙区事情

2021年12月11日 | 日記

 報道による限られた情報のみではあるが、東京8区の衆議員選挙区事情には興味があった。
今回落選した石原伸晃氏は石原慎太郎氏の長男で、石原裕次郎氏を弟に持ち、一世風靡をした石原軍団の一員とも言える。
 父の石原慎太郎氏は一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞作家でデビュー。1968年に参議院に全国区から立候補し史上最高の301万票で当選している。その後、紆余曲折を繰り返すも1999年に東京都知事に就任、尖閣諸島の買収を模索するなど存在感の高い政治家だった。
 今回の選挙で黄信号の灯っていた石原伸晃氏は、自民党石原派(10人)の会長である。その第一声で聴衆から「何も役に立ってないじゃないか」とヤジられ、戸惑う姿が一挙に放映された。その後、岸田総理をはじめ、自民党が総力を挙げての応援も届かず、立県民主党、吉田はるみ氏に3万2千票の差で敗れ、比例にも届かなかった。
 当選した立県民主党の吉田はるみ氏は山形県河北町出身だった。両親は祖父の作った野菜を売る青果店を営んでいた。山形北高から立教大学に進み、シンガポール航空の客室乗務員に勤務。その後経営学を学び、経営コンサルタントを経て、旧民主党政権時代の小川敏夫法相の大臣秘書になり、政治家を目指すきっかけとなった。今回は2度目の挑戦で代議士となった。
 石原伸晃氏は落選後、岸田総理の内閣官房参与として待遇されたものの、コロナ助成金約60万円を受け取った事が発覚。世論の反発に耐え切れず、わずか1週間で辞任した。

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酒田から42年ぶりの関取誕生「北の若」

2021年12月04日 | 日記

 先の大相撲福岡場所で酒田市出身「北の若」東幕下(3枚目)が5勝2敗の勝ち越で、念願の十両昇進が決まった。酒田市出身の関取誕生は「若瀬川」以来、42年ぶりの快挙」と地元紙荘内日報はトップの見出しを打った。
 私は県議時代、山形県新相新撲連盟会長で連盟の副会長だった。新相撲連盟とは女子相撲の事で、オリンピック種目になるには男子競技だけでは参加が認められず、オリンピック種目を目指すために女子相撲にも力を入れていたのである。
 山形県相撲連盟では国体予選と東北総体予選を兼ねた大会が、毎年設備の整った酒田道場で開かれていた。
 2014年の7月、いつもの様に予選を兼ねた県大会で、私は歓迎の挨拶をした。永年関わってきたが、17年の参加選手の少なさに驚いた。少年の部で加茂水産4、新庄神室2、新庄北1、酒田東1、合計8名で、団体戦が出来ない。成年の部は登録選手6名で半分が棄権だった。
 選手の少なさ驚いて関係者に聞くと「今年は最低だ。しかし、中学生に東日本で2位の有望な子どもがいる。報道陣は少ないがスカウトの人が来ている」と教えてくれた。
 その子供が「北の若」だった。北の若は宮野浦小3年生で酒田相撲道場に入り、4年生でわんぱく全国相撲大会で3位となり、6年には全日本小学校大会で準優勝している。
 ひさびさの関取誕生に酒田は沸いている。「北の若、山形県酒田市出身八角部屋」と呼び出される大相撲が楽しみだ。

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