とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

「歌会始」読師に酒井さん

2024年01月27日 | 日記

  今年の「歌会始」に旧庄内藩主酒井家18代当主酒井忠久さんが「読師」を務めるとの報道があった。暗いニュースの中での朗報だった。「読師」の役目は、歌会始全体の流れを仕切る大事な役目と知り、なかなかの重責と分かった。当日、テレビ画面を食い入るように目を凝らした。最後は両陛下ひとりひとりの前に進み、御歌を拝受し読む役の講師へ運ぶ仕事である。緊張が伝わってくる。
 旧庄内藩主忠久さんの父、17代目忠明さんが昭和29年の歌会始「林」のお題で佳作に選ばれている。山形県の和歌は「歌会始」に多くの作品が佳作に選ばれており、令和に入ってからも2年、3年、5年と続いて入選している。
 私が興味を抱いたのは、平成7年お題が「歌」で山形県の大滝市太郎さんが入選した時である。「紙切れを幹に押し当て歌しるす 山人われに春は来にけり」が深く印象に残っている。農作業の合間にふと我に返って思い浮かべたのかも知れない。今はテレビで「プレバト」が高視聴率を上げている。日本語の奥深さが面白い。

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伝統の「酒田凧」

2024年01月20日 | 日記

 今日から大寒、年間で最も寒い時期に差し掛かる。北国はこの頃に備えた冬支度を整える。北風の強い庄内は風囲いで家を守り、幹線道路はすべてに防雪柵で吹雪対策がとられている。雪は上から降るのではなく北風で舞い上がり横から襲い掛かるのである。しかし、今年の大寒はおかしい。雪もなく北風もなく気温は7~8度で晴天である。しかし、油断はできないとは思っている。
 北風の強い今頃、私が子供の頃は凧あげをして遊んだものだ。もちろん手作りである。竹ひごで枠組みを作り、和紙に武者絵を描いた紙をはり、凧が上がる角度を調整して丈夫な糸を結ぶのがコツである。凧の上部を糸で引っ張り丸みを持たせる。その糸に和紙を張ると凧の鳴き声がブーンと響き、張り方で音色は変わる面白さがあった。
 いつの間にかそんな遊びは消えたが、酒田凧を保存してくれていた「酒田凧保存会」(会長松田正美)が活動を続けて伝統を残してくれていた。酒田凧の歴史は古く江戸時代からと言われている。左官職人が冬場の仕事が無いとき、壁塗りの骨組みの竹を使って作っていたという。
 その保存会の作品展示会が酒田市の「山王くらぶ」で開催されている。自分たちで作るだけではなく、市内のイベントで子供たちに凧作りの楽しさを教える等、後世に引き継ぐ取り組みも進めている、すばらしい活動である。

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酒田の印染(しるしぞめ)

2024年01月13日 | 日記

 「政治と金」の問題は政治資金の管理を私たちと同じにするだけの事である。資金の公開も相続も特別扱いはおかしいと思うのが当然である。
 酒田山居倉庫内・華の館で開かれている「酒田の印染(しるしぞめ)」が話題を呼んでいる。酒田市で3代続く老舗染物屋「斎藤染工場」の作品や手仕事が「酒田の印染・斎染とデザイナーが育む手仕事の温もり」と紹介されて、数々の作品コーナーは訪れた人の目を引いている。
 斎藤染物工場は大正15年に創業し長い間、家紋や屋号を法被やのれんなどに印染めする「印染」を手掛けてきた。型枠に染料を流し込み、型紙を使って生地に染料を刷り込む「手捺染」の技法で、丁寧に生地の裏まで染め抜かれているのが特徴である。
 展示はこれまで手掛けてきた消防団の法被や神社ののぼり、最近では「ピアノ柄てぬぐい」や「もっとかわいいあずま袋」などと合わせて40点ほど展示されている。
 斎藤染工場の斎藤代表は「遠くから見ても分かるように鮮明に染められている所が印染の魅力」と語っている。印染の魅力は伝統技術と作者の意気込みの両立と思える。

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元旦に巨大地震

2024年01月06日 | 日記

 新年あけましておめでとうございます。
ブログ「とうやのひとり言」へアクセス下さってる皆さんに感謝申し上げます。今年の正月は長男たちの帰省もなく、近くに住む娘たちは海外旅行とかで夫婦だけの正月となった。大晦日のテレビは何となく紅白歌合戦をみて、ゆく年くる年、さだまさしトークとだらだら付き合い、元旦は遅めの雑煮となった。終わったあとに抹茶が出てきた。初釜なので良い年であります様にと正座で頂いて祈念した。
 ところが、夕刻にスマホのアラームが一斉に鳴り響き緊張が走った。しばらくして大きな揺れが来た。「これは大きい」と直感的に思った。テレビ画面が変わり能登半島の巨大地震と分かった。日本海には津波警報が出され、酒田市でも高台への避難が誘導された。海岸線の国道は全て通行禁止となり、テレビに映し出される残酷な映像に思わず手を合わせたくなる。
 2日には羽田で飛行機の衝突事故があった。年頭にこんな惨劇の連続には参った。後は、善いことだけが残ってると思いたい。

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