とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

最上川に鮭の復興

2018年12月30日 | 日記

 地球温暖化だけでは片づけられない「海の幸」の漁獲量の減少は、日本にとって大きな課題である。山形県においても多くの魚種で漁獲量減少が危惧されている中、「つくり育てる漁業」へ積極的な対策が求められている。
 現在、山形県のサケふ化放流事業は15カ所のふ化場で実施されているが、県全体のサケ稚魚放流尾数の約8割は月光川水系の3ふ化場から放流されている。この偏重はリスクが高く、サケ資源の維持・増大のためには、本県を縦貫する最上川水系の資源増大は必要不可欠と言われている。
 しかし、最上川水系には経営基盤の脆弱な小規模ふ化場が多く、施設についても老朽化が進み、ふ化放流事業の継続が危ぶまれている。
 また、沿岸漁業者から「銀(ぎん)毛(け)」と呼ばれる商品価値の高いサケの資源の造成が要望されているが、本県の主要なサケ稚魚放流河川である月光川水系は、河川が短く河口から産卵場までの距離が近いため「銀毛」資源造成には有効でなく、河口から距離のある最上川中流域から放流する事が有効で、最上川水系のふ化場と連携して「銀毛」資源を造成する必要がある。
 一方、サケを獲る定置網漁業者で構成される県定置網漁業組合から、県鮭人工孵化事業連合会に対して、漁獲金額の2%がサケ資源造成のための協力金として支払われているが、他県と比較してその割合が低く、県の指導が求められている。
 本格的な「つくり育てる漁業」に本腰を入れて取り組む時期に来ている。

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日本海総合病院でクリスマス音楽会

2018年12月22日 | 日記

 酒田市の日本海総合病院恒例の「クリスマス音楽会」が開かれた。これは、同病院スタッフが実行委員会を組織して開催しているもので統合病院発足の翌年から続けられ今年で10回目になる。入院患者も病室で見られるようになっており、多くの市民とともに、一足先にクリスマス気分を味わった。
 日本海総合病院ハンドベルサークル「ティンカーベル」の演奏で開幕した。次いで酒田光陵高等学校音楽部管弦楽班のクリスマスメドレー、ドレミの歌、エーデルワイス、瀬戸の花嫁など馴染みの曲が続いた。
 11時ごろにサンタさんからのプレゼントタイムとなり、サンタさんが出てきてクイズタイムとなった。1・クリスマスは何日ですか。2・そり引っ張るトナカイさんは何匹ですか。3・サンタクロースの名前は何と言いますか。4・ツリーに飾られているリンゴは何を意味しますか。クリスマスは12月25日と分かったものの、あとは正解が分からなかった。そりを引っ張るトナカイは8匹で、サンタクロースの名前はセントニコラス。ツリーを飾るリンゴはアダムとイブが食べた知恵の実であると正解を知ることになった。
 その後、日本海総合病院クリスマスデュオピアノ・バイオリンの演奏があり、最後はコーラス・アンダンテと川田麻美さんのソロ、そして会場皆で「きよしこの夜」をうたって終わった。
 クイズで知識の無さに自分が驚いた。「ぼうっと生きてんじゃないよ」と叱られそうだった。

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私の最後の予算特別委員会

2018年12月15日 | 日記

 私の県議会議員として質す、予算特別委員会の質問は終わった。最後の質問という事で後援会の皆様60名ほどが傍聴に来てくれた。ありがたく感じた。振り返れば、5期20年、私を支えてくれた皆さんである。酒田から県議会まで、バスで2時間以上はかかる。10時からの質問なので、9時半には控室に集まっていてくれた。
 10時きっかりに質問は始まった。「泣くなよ」と、冷やかされていたが、以外にも平常心だった。「おはようございます。私としてはこれが最後の質問になります。今日は赤穂浪士が討ち入りした日であります。始めがあれば、終わりがあるは、物の道理です。生死は仏法最大の因縁とも言います」と話し始めた。
 私が県議会議員になった経緯を振り返った。市議会議員3期目の9月議会の昼休みに、当時の荘内証券和嶋社長から呼び出され、酒田市長と助役の同席でソバをごちそうになり「県議選に立候補しろ」と言われ、「私は無理です」と帰った事。再三の呼びかけに、後援会と相談し、12月の中頃、最後の決心をする会議を終えて帰る出口に山形新聞の記者が張り込んでいて「決まりましたか」と問われ「うん」と答えた事。
 翌日の朝刊に、ベタ記事で「県議選に立候補を決意」と載った事から私の環境はガラリと変わった。ベタ記事の恐ろしさを味わったと等を話した。
 淡々と話したつもりだったが、仲間の議員から「胸が詰まったよ」と言われた。記者からも何故か「ありがとう」と言われたりして、聞いて下さっていた事がうれしかった。議会はまだ続くのだが、ひと山超えた気持ちでもある。

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気まぐれな冬の空

2018年12月08日 | 日記

 昨日までの暖かさが一変した。午前中のみぞれ混じりが、午後にはぼた雪に変わり、あっという間に20センチ位に積もった。重たい雪で竹も頭を地面につく程しなっている。除雪機械の準備も整っていないので、長靴で外に出た。
 電話がなった。酒田市高見台で松の木2本が雪の重さで倒れ、県道をふさぎ通行できないとの通報である。役所は休日なので、庄内総合支庁建設部長にダイレクトで連絡した。その後、部長の連絡によると同様の箇所が他にもあり、今日中には処理できないとの事。とりあえず通行止めにし、う回路を経由してもらうことにしたと報告があった。
 天気の気まぐれに翻弄される一日であった。

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県議会議員を引退

2018年12月02日 | 日記

 前々から自身で決めていた事なのだが、来期の県議選には出馬しない事にした。後援会との調整に時間がかかったが、乗り越える見通しがたった。
 世代交代がその理由である。3年前から30歳代、40歳代を中心に県議選へのアプローチを続けてきた。難関大学卒のJA職員、現役県職員、IT企業の社長、地域協力隊で山間地で頑張ってる人。私の近くには県議会で頑張ってくれそうな人の多い事に気づかされた。
 いきなり政治の世界に飛び込む不安は、どなたも口にされた。ましてや、退職して飛び込むリスクは想像を超えるものがあることも良く分かった。議員に年金がない事や、退職金もなく、ましてや若年で退職となると既存の退職金も少ない。そして知名度不足も手伝って、断る理由となってしまう。県政を担う青年が酒田・遊佐からも出て欲しいと今でも強く願ってる。
 周辺の酒田市議会議員とも何度も、何度も話し合いをした。しかし、結論には至らなかった。やがて新聞社からの取材攻勢も強まり、記事となってしまった。その後、ご苦労様でしたのねぎらいも多くあったが、お叱りも頂戴した。「私が立候補したいので応援して欲しい」と自宅を訪ねてくる人もいた。立候補する時よりも辞める時の難しさが身に染みた。
 県議会議員の責任は、選挙区の未来と山形県とどう向き合うのかにある。自分たちの地域の未来を背負うのは青年たちである。その方たちが、立候補しやすい環境を作る事も政治の担う大切な仕事である。
 若い人が手を上げてくれることを願っている。

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