とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

荘内南州会「えらぶゆりまつり」

2024年06月29日 | 日記

 酒田に西郷隆盛を祀る南州神社がある。庄内藩は佐幕派で戊辰戦争は新政府軍と最後まで戦った。その時の弾痕が杉林の杉に残っているとされる激しい戦いだった。敗れた庄内藩の敗戦処理に西郷隆盛が寛大な措置したことから、旧藩士らは西郷を慕うようになり交流を深めていった。西郷隆盛を祀る南州神社が篤志家によって建立され、遺徳を後世に伝える「庄内南州会」が設立された。
 その南州会による初めての「えらぶゆりまつり」が26日から始まった。十数年前から西郷隆盛が流刑になった沖永良部島か「ゆり」の球根が送られていた。球根は神社周辺に地植え等をしていたが、参拝者らに美しい「ゆり」を鑑賞してもらい西郷をもっと知ってもらおうと、その球根を計百鉢ほどに植え替え「えらぶゆりまつり」が企画された。
 南州神社の西側に西郷と菅実秀向き合った銅像と記帳所がある。記帳名簿には全国からたくさんの記帳があり西郷隆盛の遺徳が現在にも伝え継がれている実感が伝わる。

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豊な海を目指して

2024年06月22日 | 日記

 山形県遊佐町にすごい男がいる。桝川鮭漁業生産組合組合長であり、山形県鮭人口孵化事業連合会会長も兼務する尾形修一郎である。遊佐町は鳥海山の伏流水が至る所で溢れ出ており、清流で名高い牛渡川がある。鮭の遡上で人工ふ化事業は江戸時代からともいわれている。彼はそれを引き継ぎ温暖化で危なくなった孵化事業を先進地の北見・宗谷管内に技術を学び2016年に指導を受けて先端技術の詰まった孵化場を完成させた。巨額の投資だった。「日本海を豊かな海にしたい」が彼の壮大な夢だった。
 孵化場新設の4年後、孵化場は遡上する鮭の豊漁に沸いた。例年の2~3倍の鮭が帰ってきたのだ。すでに不漁に悩む各地の鮭産地から卵の融通が求められて700万個前後の卵を出荷して仲間を救った。全国さけます増殖振興会会長の鈴木俊一(現財務大臣)さんから表彰されている。
 孵化場の新設に合わせて石碑も建立されていた。めじかの故郷 桝川孵化場が正面で揮毫は友人で元酒田副市長、書家の中村護さんである。裏面は尾形組合長の理念を私が短文で書いたのが石碑になっている。私の名前を刻みたいと以前からつぶやいていたが、昨日出来たと連絡あったので訪れた。恐縮の限りである。石碑は永久に残る重さがある。

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酒田港で漁火まつり

2024年06月15日 | 日記

 酒田はイカの街として別の顔がある。全国でもトップクラスの水揚げ量を誇り港町のシンボルとなっている。コロナ禍以外は毎年「イカ釣り船団出航式」が10艘以上も集結し賑やかに開催されていた。しかし、近年のスルメイカ漁は不良が続いており山形船団でも廃業船が出るなど打撃を受けている。好漁場である大和堆周辺は違法操業の外国船が押し寄せ、トラブル寸前となっている。
 出航式が見送られる中「第1回酒田港漁火まつり」が酒田本港で開催された。本県中型イカ釣り船団の半数以上が能登地方の会社が所有する船であることから応援しようと実施されたもので、県漁協とサカタント運営会社が共催したものである。来場者は漁船の漁火がともる中、イカなどの海鮮ものに舌鼓を打っていた。県漁協の専務は「出航式はないが、イカの街酒田を盛り上げよう。石川県を元気づけよう」とあいさつした。
 売上金の一部を石川漁協に寄付される事になっている。

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月山花笠ライン

2024年06月08日 | 日記

 国道112号線は山形市中心街を起点に一部山岳地帯と鶴岡を経由する酒田までの県管理国道である。しかし、山形自動車道のミッシングリンクである峠越えは、112号が国直轄自動車専用道路として併用されている。併用部分には長大な月山第一トンネル、第二トンネルがあり、傾斜もきつく急カーブの連続で山形自動車道としての全線開通は見通せない。
 しかし、112号線山岳地帯の景観は素晴らしい。西村山郡西川町大字月山沢の周辺道路は、月山花笠ラインと呼ばれ「日本の道100選」に選ばれている。その花笠ライン沿線に寒河江ダムがあり、そこに高さ112メートルまで噴射する日本最大の噴水がある。10時より一時間の間隔で大噴水は上がる。国道112号だけに親しみを感じる高さである。湖畔には休養所や水をテーマとする博物館などの施設もあり大勢の観光客で賑わっている。

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羽黒山の大鳥居

2024年06月01日 | 日記

  出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、それぞれに過去、未来、現在と見立てられ、三山廻ると「生まれ変わりの旅」として信仰をあつめている。松尾芭蕉の「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」奥の細道の大きな目的地のひとつがここだったと言われている。伊勢神宮に祀られている「天照大御神」は太陽の神様で、「月読命」(つきよみのみこと)が月山に祀られている事から人気を呼び「西の伊勢参り」「東の奥参り」と言われる程に参拝者が絶えなかったと伝えられている。
 三山山頂にそれぞれの神社はあるが、羽黒山頂に「三神合祭殿」の大社殿がある。羽黒山頂まで2446段の石段をのぼって行くのだが、今はバスでもマイカーでも行けるようになった。羽黒山の国宝五重塔を含め一見の価値はある。
 羽黒山に向かう県道「羽黒街道」が鶴岡から東に伸びている。この街道に東北一を誇る大鳥居がある。これは昭和4年に山形市の篤志家より寄贈されたもので、老朽化が進み4年前に新しく建設され、ここから延びる神域、神路坂を守っている。

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