党員、党友による自民党総裁選挙が2年続けて行われた。年金、後期高齢者医療制度、事故米、アメリカ発の金融不安、外交、農業問題、格差など政権政党の中核である自民党の責任は大きい。行政の失策はそのまま政権政党に跳ね返る。その総裁に麻生太郎氏が圧勝して選ばれた。特に、地方票141票の95%134票が麻生太郎氏だったのが痛烈な印象である。議員票571票は、5人の総裁候補者それぞれのしがらみの中でのことであり、民意度は低い。規制緩和や行政改革の美名の大合唱は、地方の疲弊となって現れた。その結果、小泉改革の継承を訴えて立候補した小池百合子氏の地方票ゼロは、それを示している。麻生新総裁の就任演説と記者会見を聞いて、力強さと、長いキャリアがかもし出す、政策の熟度と安定感を感じた。これから始まる痛烈な与野党の論戦に、充分耐えうるものと思える。
ところで、自由民主党山形県支部連合会にも3票の地方票の配分があった。党員党友の選挙人数は、13.983人で、投票率は54.17%だった。22日に開票が行われドント方式で、麻生太郎氏が3票獲得した。ドント方式とは、ベルギーの法学者が考案した計算方式で、各候補者の総得票数をそれぞれ1、2、3、4、と整数で順次割っていき、割った得票数の大きい順に票を与える方式である。これは、得票数の多い人にも少ない人にも比較的に公平に票が割り当てられるので、広くこの方式が使われている。
私もこの選挙に立ち会った。選挙はいつの場合でも緊張するものであり、予想も外れるものである。そして、一票は世の中を変える一歩でもある。
酒田灯台は、明治28年に日和山公園に保存されている木造の六角灯台が初代で、酒田北港緑地展望台の上に設置されている現在の灯台は3代目で、平成12年に移設建設されたものである。展望台は、酒田北港や、日本海を一望でき、特に太陽が海にの沈む夕日は絶景で、年間4万人が訪れ自然の醍醐味を満喫している。
ところが、この展望台の管理で今ゆれている。平成15年にNPO法人庄内海浜美化ボランティアがこの管理を依託され、「地元のNPO法人に管理委託」とのことで、全国的に注目されたのである。この活動に、海の日国土交通大臣表彰を受章するなど、ポテンシャルの高い事業にと発展してきた。平成18年に山形県は、指定管理者制度を導入し、3年契約でNPO法人庄内海浜美化ボランティアはこの展望台の指定管理者となった。契約は、3年間で1560万円だったが、実績は24万円の減額で成約している。指定管理者のNPO法人庄内海浜美化ボランティアは、名前の通り、飛島を始めとした海浜の美化に精力的に取り組み、展望台を活用した多彩なイベントを企画実行し、誰よりも「海」を愛する仲間同士である。
契約の切れる来年度から3年間、指定管理者の候補を選定をする土木部指定管理者審査委員会が開催され、NPO法人庄内海浜美化ボランティアは、候補者として不選定の告知があった。仙台の株式会社が3年間で27万円安い見積もりだというのである。3年間の収支や事業を公開しているものに対し、それよりも月9000円安く見積もりを出せばそういう結果になる。地元の多彩な活動は、報われない悲しい結論である。血も涙もない行政の結末は哀れなものだ。
事故米と言われる有毒米の流通が、日本を震撼させている。コメを原料にした酒、焼酎、せんべいや、和菓子等の加工食品への広がりが不気味さを増している。メタミドホスは、中国製ギョウザで有名になったが、アブラムシ等を駆除する有機リン系の殺虫剤で、日本では使用禁止されており、残留性が高い。カビ毒であるアトラキシンは、発ガン性の猛毒で危険この上ない物質が、事もあろうにミニマムアクセス米として強制輸入された外米から、私たちの口に入ってしまった。それも生食のまま、高齢者施設や、保育園など弱者に偏在して使用されてしまった事に強い憤りを感ずる。
米作農家は、加工食品用にと流通米価の4割程度の価格で一定割合を他用途米として出荷している。農水省との約束は、生食には使用しないと言うことになっているのだが、この事件が発覚してみると、転売を繰り返し何処で消費されているのか、分からないということになる。真面目な農家はバカをみる典型的な例である。
私自身、事故米という言葉も知らなかった。事故米は、汚染程度によって1キロ1.2円から10.9円で払い下げられていると報道されている。加工用米は70円くらいで流通されているとすると、加工用として売られても、莫大な利益を生む。ましてや、生食用になれば気の遠くなる様な儲けだ。
「儲けることは、悪いことか」と開き直った人もいるが、有毒米を食品として販売する倫理の欠如は、野蛮人そのものである。その一方、安いものを求めてえたいも知れぬ食品を買いあさる事業所も責任のいったんはある。農水省の責任も逃れることは出来まい。
山形自動車道と地域高規格道路新庄酒田線の交差地点に新しいインターチェンジを作る作業が本格化してきた。それは、酒田ICと酒田みなとICの中間地点に位置し、県道酒田松山線と交差する地点でもあり、交通の要所でもある。近くには、今年に県立病院と市立病院が統合してできた日本海総合病院もあり、救急患者の搬送の利便性の上でも大きな期待がもたれている。新設される仮称酒田中央インターチェンジは、間もなく地元説明に入り、近く、県の都市計画審議会に計画変更の手続きを予定している。
計画変更であるから、計画になかったICである。先般の県議選の前のことになるが、仲間と酒田の未来像について熱っぽく語り合ったなかで、このインターチェンジの重要性が浮かびあがってきた。「お前、これは実現できないのか」と言われ行動に出た。早速、建設常任委員会で質問し前向きの答弁を引き出した。国交省酒田河川国道事務所に出向き、訴えた。事務所では「必要性はあるが、計画の変更は大変なことだ」と尻引っ込みの感触だった。ならば国会議員だと携帯に電話した。「急いで上京せよ」との事。酒田市長に実情を説明したところ「是非頑張ろう」と一緒に上京した。国交省道路局長にお会いした。「遅すぎた。やりましょう」の一発回答。それから2年。関係者の努力が実り、今年度中に用地買収や、設計などの事業に着手するところまで来た。これが今なら、道路財源等の問題で不可能だったのではと思うと、間一髪の滑り込みとの感が拭えない。
しかし、課題はたくさんある。地権者の了解が得られるのか。変形田が多く発生するのことは申し訳がない事だ。料金所の設置はどうするのか。大野新田との取り付け道路の問題もある。酒田の未来のため皆で乗り越えなければならない難題でもある。
私の住んでいる酒田市北平田地区は、敬老の日より一足先に「地区長寿を祝う会」が行われた。参加資格は、昭和7年生まれの喜寿以上で、対象者が260人。その内、参加されたのが140人。地区の人口が約1500人だから、地区民の約1割が喜寿以上で参加されているのだ。これがまた元気で、昨日グランドゴルフを一緒に楽しんだ人も大勢いたのにはビックリした。「あれ、喜寿だったんですか」ビールを注ぎながら「若いですねえ」の連発。「あんたも、わっげもんだの」と励まされる始末。若い秘訣は、どうやら体を動かすかららしい。農作業の手伝いや、グランドゴルフはとにかく楽しくてたまらないと言う。
地区の中学3年生は、全員が給じ係で皆さんの世話をしている。小学校のマーチングバンドの演奏披露もあった。曲目が「りんご追分」「青い山脈」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」など年配への心配りに感動した。私は、お祝いの言葉で「8月31日フジテレビ系列で放映された平成教育委員会をご覧なりましたか」と聞いてみた。昭和57年の全国創意工夫展で、北平田小学校の梅津君(当時3年生)が「ふしぎな貯金箱」で恩賜賞を受章したその「ふしぎな貯金箱」の仕組みをクイズにしたものだった。もう35歳になった梅津君も登場したし、小学校の紹介もあった。なによりも、恩賜賞の副賞が小学校へ100万円の賞金だった。それが金管バンドの楽器を購入し、いまのマーチングバンドへ引き継いでいるのだ。敬老は、社会を構成していく中でもっとも大事なことである。