とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

川辺川ダム中止と五木村

2010年01月30日 | インポート

Photo 熊本県の川辺川は、日本三大急流のひとつ球磨川の最大支流で、宮崎県境に水源を発し、平家の落人の里と伝えられている五木村を通過し人吉市付近で球摩川と合流する。もともと雨量の多い急峻な山岳一体は、大雨のたびに遊水地が少なく中流の人吉盆地の相良村や、下流の八代市はたびたび大規模な洪水被害に見舞われている。
 治水ダムの必要性の歴史は古く、昭和30年代の後半に頻発した洪水による大災害をきっかけに、昭和44年に川辺川ダム事業が着手された。問題は、このダムによって水没する403戸・528所帯約1000人の五木村の存続である。五木村と五木村議会は決議を以って反対する姿勢を明確にし、建設省との交渉を断絶した。当時総理大臣だった田中角栄によって「水特法第9条等指定ダム」とし、通常のダムより手厚い補償対策が行われることになり、五木村は少しずつ態度を軟化させていった。しかし、補償交渉が妥結しないまま閣議決定されるなどの不手際もあり、法廷闘争を引き起こし8年もの空白期間が生じるなど、工事の長期化は40年にも及んで今日に至っている。
 現在は、1戸を残し全部が移転新築が終わり、村役場、消防署なども移転し、新しいダムを中心にした村落形成が整い膨大な道路整備も9割方、山岳道路とは思えない立派なものに仕上がっている。産直のおばさんの声が耳に残っている「下流の人たちは、洪水になるから協力してくれと言っておきながら、今度はダムは要らないと言う。バカにしないでよ」
 八ッ場ダムと川辺川ダムは、政権交代でダムの中止が決まった。「五木の子守唄」は名子と呼ばれる小作人の子どもが8歳になると口減らしに人吉方面にだされ、子守をしながら辛さを歌った作者不詳の伝承歌である。
 「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる・・・」犠牲者を泣かせてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

負けに不思議の負けなし

2010年01月25日 | インポート

012  1月24日に自民党全国大会が東京のホテルで開催された。その前日に自民党本部で、全国幹事長会議、全国女性部長会議、全国青年部長・事務局長会議、地域ブロック会議があった。中でも全国総務会長懇談会は初めての開催で、私も出席した。谷垣総裁を筆頭に党三役、総務副会長がずらりと並んだ。テレビでおなじみの平沢勝栄さんもいた。谷垣総裁がすぐ目と鼻の先にいる。10人の県連総務会長であったが、ほとんどの人が発言した。「地方議員ががんばってるのに、ソフトボールに興じる長老前議員の放映一発でイメージが壊れる」「定年制に例外を認めるのなら、定年制は作るな」「本部は地方が分かっていない。ボトムアップ体制を」「地方議員の後援会に乗っかっての選挙はダメ」熱を帯びた意見が総裁の前でポンポン飛び出す。驚いて私は発言が出来なかった。
 党大会は三千人規模だろうか。これでも例年の三分の二規模だと言う。広いホテルの会場はテレビカメラやメディア記者でむせ返るようだ。司会は小泉進次郎衆議院議員と丸川珠代参議院議員の若い人気議員だった。講演は前楽天監督の野村克也さん「皆さん、昨年負けましたね。負けに不思議の負けなし。負けて反省するが、勝って反省はしない。そこに落とし穴がある。皆さんは巨人の心境でいたと思うが、上に立てば足を引っ張られる。捲土重来がんばって下さい」会場の笑いが笑えない厳しさを語っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型インフルエンザを乗りこえて発表会

2010年01月15日 | インポート

001  昨年の4月にメキシコで確認された新型インフルエンザは、WHOの警告通り瞬く間に全世界に広がった。WHOは、1ヶ月もたたない4月29日には、世界的流行の警戒水準をフェーズ5に引き上げ、6月11日には最高レベルのフェーズ6を宣言するに至っている。もうどうにも止まらないレベルである。
 日本でも当初、空港の国際線を中心に厳重な水際作戦を展開したが、防げるものではなかった。夏の終わりごろには全国的に感染が拡大して、人ごみの中でのマスク姿が定番になりマスクの品不足が発生するなど「風が吹けば、桶屋が・・」現象になったが、幸いにも重症化率が少ないのが救いだったものの、年少者の罹患率が高かった。酒田市教育委員会によると、新型インフルエンザで休校、学年閉鎖、学級閉鎖などで何らかの臨時休業を実施した小学校は、29校中27校。中学校11校中11校全部となった。授業の遅れや、学力の低下が心配されるところである。現在臨時休業の学校はない。
 北平田小学校では、全学年が断続的に学年閉鎖が実施され2度閉鎖された学年もある。このことで、全校で取り組んでいるマーチングバンドの発表会が出来なくなった事を心配した学校では、特別企画として平田中学校の体育館を借りて、今冬で一番寒かった零下の中での発表会が行われた。ギャラリーには大勢の関係者が、熱心な子どもたちの演奏に、力いっぱいの拍手と声援を送っていた。この一体感は、子どもたちにも届いただろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大動脈羽越線の乱れ

2010年01月09日 | インポート

001 庄内の大動脈JR羽越線の遅れや運休が、とうとう新聞記事になった。朝日新聞8日の記事で、「羽越線、年末年始に強風で運休」の見出しでそのことを伝えている。
 運休と遅れは12月21日22日から始まり、28日は特急いなほ2本、31日は特急8本を含む上下20本以上が運休した。元旦は特急18本が全面運休。2日は特急7本が運休、3日も特急2本が酒田ー秋田間で区間運休するなど乱れが続いた。このため、温海温泉の旅館では、新潟駅まで送迎バスを出して対応したと報じている。庄内地区の温泉旅館やホテルのキャンセルは、実態を把握できていない。それよりも、庄内への交通アクセスの信頼性が損なわれたマイナスは、計り知れないものがある。
 JR東日本は、4年前の羽越線脱線事故以来、風速20メートルで速度制限、25メートル以上は運休とする安全策をとっている。気候の変動、凶暴化は今後も続くと考えるのが定説である。安全の大切さは理解できる。しかし、速度制限のみの対策ではあまりにも情けない。抜本的な対策を講じる必要を強く望みたいと思う。山形県は、庄内30万人が生活していることを忘れてもらっては困る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パンとサーカス」政治からの脱却

2010年01月01日 | インポート

011  あけましておめでとうございます。
今年の正月は暴風雪で明けた。昨日までは雪ひとつない穏やかな天気だったのに、夜半あたりから風音が荒くなった。羽越線は全面運休らしい。この前の特急寝台「日本海」の遅れを思い出した。最近、羽越線の運休や遅れが頻発しているように思える。山形県では、羽越線の高速化に力を入れると言っているのだが、全くの机上プランの掛け声政策である。庄内の孤立が心配だ。
 元旦の読売新聞の社説は読み応えがあった。見出しは「ニッポン漂流」を回避しよう、と現政権の危うさを指摘している。国家戦略なき日本は、国際社会の荒波の中で孤立化し、やがては漂流することになるだろう。これでは困ると訴え、連立の弊害の指摘と、日米基軸が国益に沿うと訴えている。非常時には大胆な政策が必要であり、「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズが一人歩きし、危険な状態にあり、地方が疲弊しているときに、即効性の高い公共事業の活用も大切だと指摘している。ローマ帝国の滅亡を早めた「パンとサーカス」の、大衆迎合的「ばらまき・見せ物政治」から一日も早く抜け出さなければならない、と結んでいる。
 集落の新年顔合わせ会でも、このことで話題は尽きなかった。今日の天気のように政治が荒れるのか。国民を苦しめるのは政治ではないし、国民に責任を転嫁してはならない。
 昨年の暮れに、酒田で子ども歌舞伎があった。これも国の事業である。費用対効果では計り知れないものも大事にしなくてはならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする