とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

風は山形に吹いている

2009年02月26日 | インポート

Img_1798  県議会議場に山形交響楽団の弦楽器合奏が鳴り響いた。バイオリン、ビオラ、コントラバス総勢11人の演奏である。指揮者は音楽監督の飯森範親さんで、今や世界の話題となった、アカデミー賞外国語映画賞受章の「おくりびと」に山形交響楽団と共に出演したタイムリーな企画である。狭いスペースで気の毒な気もしたが、音響はホール並みに素晴らしく満場の傍聴席の皆さんとゆったりとした時間を過ごすことが出来た。
 県議会130周年の祝奏ということで、山形県民歌「最上川」と、モーツァルトの「ディベルメント 二長調 K・136」約15分ほどの短い時間だった。拍手がなりやまず「アンコールもあるのかな」と脳裏をかすめたが、後の講演もあるためか、望みはかなえられなかった。「山形県の発展には、こうあるべきだ」「いや、違う」普段の議場は議論を戦わせる場だ。今日の企画は全てを超越した、音楽による山形県の心の団結を教示してもらったような気がした。飯森範親さんの挨拶で「おくりびとや、モンテデォ山形のJ1昇格など、風は山形に吹いている」が心に残った。是非そうあって欲しいと願う。

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吉村新知事のスタート

2009年02月21日 | インポート

Img_1777  吉村新知事の初舞台、2月定例県議会で所信表明があった。多くのマスコミと満席の傍聴席、緊張気味の議員の前である。本人の緊張は極限に達しただろうと思う。私自身も一言も聞き漏らすまいと、いつになく耳をそばだてた。「温かい県政」「対話の重視」の姿勢を強調する時は、特に声が大きかった様に感じた。
 全体を通して私の感想は、「信念が強く頑固そうだな」である。物腰は柔らかそうだが、新人知事だからといって甘く見るととんでもないことになりそうである。これから議論が始まる。議会との緊張関係もあるし、いい議会になりそうである。「温かい県政」に異論はない。しかし「甘い県政」ではない。だんだん厳しさが現実味を帯びてくるその時、どう対処するのか真価が問われる事になる。「対話の重視」は民主主義の根幹である。東京都知事に「一人でも反対があれば私はやらない」と言った人がいた事を思い出した。対話は、「私はこう考えてますから理解して下さい」と「積みあがってきた意見に私は違います」との2種類がある。皆が「いいよ」と言ってくれる対話など先ずない。利害の対立を調整するのが政治だからである。
 ほっとした事もあった。長年訴え続けた酒田港の活性化が所信表明で表明された。表舞台になりえなかった酒田港活性化の広範な取り組みが担保された意義は大きい。特別支援学校酒田校の設置も組み込まれた。その内、山形新幹線の庄内延伸も聞いてみようと思っている。

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中川財務大臣の辞任

2009年02月18日 | インポート

Img_1142  中川財務大臣が辞任した。世界同時不況をどう乗り切るのかを話し合う、先進7カ国財務省・中央銀行総裁会議いわゆるG7が、先週末イタリアのローマで開催された。そこでは、「日米欧が一斉に行動する事で効果が高まる」との声明を採択し、具体的には、歳出と減税を最大限に活用し景気のてこ入れを各国に要請した。その中での日本は、経済大国2位としての存在は大きい。
 世界が注目している中での日本を代表した中川財務大臣と、白川日銀総裁の記者会見で、中川財務大臣の酩酊が飛び出した。眠たいのかあくびをしたり、ろれつが回らない。会見の壇上に上がるのもやっとの状況が世界に配信された。私はテレビを見た瞬間に「これは、クビだ」と叫んだ。テレビは繰り返し繰り返しその映像を流し続けた。何故こんな事が起きるのか分からない。財務省高官が側にいただろうと思うが、止めることが出来なかったのか不思議でならない。記者会見場の日本の記者はその時点で何故、酩酊を指摘しなかったのか。日本の恥を世界にさらさせたくないと思う記者がいなかった事も残念だ。
 その後の総理の対応のまずさが事件に拍車をかけた。これは事件の性質上、辞任ではなく罷免であると思う。盟友とかで温情ある措置など出来ないはずだ。「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」格言を麻生総理は知らなかったのか。後手後手の対応に内閣の支持率はどこまで落ちるのか。自民党に席を置く県会議員の肩身はまた狭くなる

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豊な遊佐町

2009年02月13日 | インポート

Img_1659  最近、遊佐町の皆さんと話す機会が多くなった。酒田市から10キロほど北にある人口16000人で庄内を圧縮したような豊な自然と、山海の珍味溢れるところである。なんと言っても、でんと鎮座する鳥海山の恵みは有形無形にある。何処で眺めても景勝の地ばかりで、当然町民の顔も明るい。
 酒田から車で15分というのに、言葉が違う。「でって、おらあばすぎんね」「ほんだごどあば、ねあんぜ」「ほう、おぼげだごど」「ほぇだば、たいしたもんだ」イントネーションも独特で電話の声でも「遊佐の方だな」とすぐ分かる。話して不自由なことはないが、全てのことばに強調語があり、自分の気持ちを良く伝えようとする気風の表れなのかなと考えたりする。先の言葉を分からない方のために通訳すると「絶対自分は嫌いだ」「そんなことは無いよ」「驚いたなあ」「それは大したことだ」となる。
 酒田市と遊佐町は一体不可分の関係にあると思っている。互いに足りないものを補完し合い、相乗効果で発展してゆかねばならない運命にあると思う。酒田を飛び越えて、鶴岡や他の地域と協調発展は出来ない地の利である。

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10回目の新年会

2009年02月07日 | インポート

Img_1770  私の後援会「藤悠会」の第10回の新年会が、昨日1000人を超える参加者で盛大におこなわれた。知事選直後の大きなイベントであり成り行きが心配されたが、来賓として加藤紘一代議士と岸宏一参議員議員の本人出席で並んで座っていただいた。ヤジもなく二人の挨拶には大きな拍手があった。大多数の皆さんは選挙は選挙、決まったら力をあわせて地域のため頑張ってくれとのシグナルと私は受け止めた。
 私は挨拶で、「齋藤知事には酒田港の物流活性化のために特段の配慮を頂いた。仮称酒田中央インターチェンジは、もう工事が始まる。県としても自動車関連産業の誘致の上からも横のウェストラインの改良には力点を置く。日本海総合病院の増設も始まる。新知事には引き続いて進めて欲しい。対立ではなく更に進化させて欲しい」と述べた。遊佐町長選にも触れた。「前回の県議選から、遊佐町まで選挙区が広がった。私の応援を希望してくれる遊佐町議は誰もいなかった。その中で、時田議員が仲間二人を説得して応援してくれた。その時のご恩は今、時田さんに返したい」1000人の参加者からうなり声が聞こえた。大きなリスクも伴う。しかし、私に選択の余地はない。

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山形の塔

2009年02月06日 | インポート

Img_1679  沖縄県へは、庄内空港から羽田空港で乗り継いで、那覇空港まで3時間余りかかる。山形県から2000km以上離れた南国である。今の時期だと温度差20度はある。バスの中はゆるいクーラー空調をしていると聞いて驚いた。同じ日本とは思えない気候である。当然、文化や思考の違いはあると肌で実感した。沖縄民謡は、独特の音調と音色であり、観光客の入りこみ数は、沖縄県の人口の5倍、600万人が南国情緒を求めて訪れている。
 450年以上にわたり中国をはじめ、日本や朝鮮、東南アジア諸国との交易を通じ、独自の文化や芸能を華開かせてきた。首里城公園は、海洋王国「琉球王国」を色濃く残した沖縄県の数奇な歴史を偲ばせてくれるのに充分である。
 琉球王国は、やがて島津藩の支配下になり、廃藩置県で沖縄県となるのだが、第2次世界大戦で、多くの犠牲者を出し、その上アメリカの統治下におかれ、昭和47年5月15日に27年振りに日本領に復帰した。しかし、地形的にアメリカの軍事戦略上欠くことのできない米軍基地問題として、今も引きずっている。
 山形の塔は、昭和40年2月に太平洋戦争末期の沖縄戦をはじめ海外諸地域において戦没された山形県出身者40834柱の諸霊を祀り、山形県が管理している。
 沖縄県民の明るさと、おおらかさは沖縄の青い海や空のように訪れる人を感動させる。

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