とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

お国訛りは故郷の手形

2012年02月25日 | インポート

002 8月に宮城県を会場に、県議会対抗の野球大会が開催される事になっている。山形県議会も参加することを決め、その結団式を兼ねた懇親会があった。選手になれそうもない議員も含めて、30人位が集結し士気を上げた。酔いが回るほどに、テンションも上がり練習試合も企画され、程よい強さのチームの名前が飛び出すなど盛り上がった。
 道すがら「カラオケスナック」に誘われ、数名が同行した。先客がいた。夫婦とその友人らしき女性が、すでに歌っていた。わが一行も水割りも整わない内に、選曲が始まり「味噌汁の歌」など歌いだした。これが、心にしみる名調子でうまい。「お前も一曲歌え」と強要され、仕方なしに従った。
 先客のご夫婦と話してると、奥さんが酒田市出身で私の近く、しかも中学校の一期下の同窓であると知らされて「おや、まあ」となった。話しているうちに、ご主人が酒田市の金生沢(とがりざわ)出身で、高校の先輩である知らされて二度びっくり。金生沢は自宅から数キロの集落である。いやはや懐かしさと、昔話に花が咲き、カラオケどころではなくなった。
 二日後の昨日、金生沢出身の佐藤兵一さんから、一冊の自署本が届いた。金生沢弁(とがりざわべん)と題した、庄内弁の金生沢地区で使われている方言を、エッセイ風に解説した本である。方言を通して、生まれ故郷を懐かしく思い出している様子が、心を和ませてくれる。
 私はほとんど分かる。5年生と3年生の孫が来ていたので、本を読んで聞かせた。半分以上はもう死語になっている。方言でなければ伝わらない、文化や伝統があることを改めて知る機会になった。

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放射能汚染と農業

2012年02月19日 | インポート

001 原発事故により、福島県は人類まれにみる苦悩を味わっている。特に、土に生きる農業者の苦しみは、計り知れないものがある。断片的に報道される事だけで、現状の実態は伝わりにくいと思われることから、北平田農業振興会は研修会を開催した。
 福島大学うつくしまふくしま 未来支援センター小松 知未博士の「放射能汚染の現状と食と農の再生」の演題で、約1時間の講演だった。小松博士は、北海道大学農学部出身で29歳の女性。農業経済学が専攻で、放射能の専門家ではない。しかし、25年前のチェルノブイリ事故調査を参考に、放射能と農業の再生へ示唆に富んだ迫力ある講演だった。
 講演の要旨は以下の通りだった。
 
 「政府は絶対安全、全部除染と言い続け、1年がたった。あまりにも遅い。暫定規制値と穴だらけのサンプル調査に、消費者だけでなく生産者も不安を感じている。荒い土壌調査ではなく、100m単位の細かい調査で、先ず実態を公表する必要がある。

 試験的に農地の除染を実施しているが、効果が上がっていない。すべての農地、山林は不可能である。放射能吸収の少ない作物に、キャベツ、キュウリ、ジャガイモ、トマトなどがある。アルコール、エタノールに加工すれば放射能はゼロになる。作付を止めたら、農地は元に戻らない事を知ってほしい。
 何よりもあきらめないことが大切で、科学的な分析と、食品モニタリング本調査により、実態に応じた対応を明確にすべきである。福島大学に農学部がないのが残念だ。作付前に来年の農業の指針を示すべきである。」
 私たちが、何を一番知りたいのか考えてみる必要がある。土壌の放射能は1年1cmづつ地下へもぐっていく。 

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雪中芝居の黒森歌舞伎

2012年02月17日 | インポート

002 雪中芝居の最終日、黒森歌舞伎に行ってみた。朝方は大粒の雪が舞っていたが、 11時過ぎの到着時には雪と風がなく、黒森日枝神社の舞台は大勢のカメラマンや見物客でごった返していた。外国人もたくさんいた。バスで来たという数人の留学生と、振る舞われていた呉汁をいっしょに食べながら、片言英語で話しかけた。オランダ人でバスに10時間以上も乗って来たと言う。江戸時代から継承されている黒森歌舞伎の重さを感じた。
 式三番叟の後に、少年歌舞伎で黒森小学校の男子児童による白浪五人男が演じられた。鳴り物にのって弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門が登場すると拍手喝采である。桟敷席もいつの間にか満席になり、上々のムードである。
 口上が始まった。「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の歳から親にはなれ、身の生業も白浪の沖を超える夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて・・・・賊徒の張本日本駄右衛門」独特の間と見栄を切り、ドスの効いた口上に満場の拍手である。名台詞が次々に飛び出して5人の口上は終わった。
 19日には、酒田こども歌舞伎が希望ホールで発表会がある。演題も同じ「白浪五人男~稲瀬川勢揃いの場~」である。歌舞伎は日本古来より大衆の娯楽文化として親しまれてきた。 

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めじか広域連携交流会

2012年02月10日 | インポート

001 遊佐町の「遊楽里」で、めじか広域連携交流会が開催された。北海道オホーツク総合振興局の働きかけで、北見管内さけ・ます増殖事業協会の漁業協同組合の代表者の皆さん17人も参加し、総勢70人を超える大交流会である。
 基調講演は、日本海区水産研究所の戸叶恒さんだった。興味深かったのは、耳石温度標識放流だった。ふ化中に耳石標識装置で、適温である12℃を瞬時に4℃下げると、鮭の耳石に模様ができる。これは一生変わることがなく、その組み合わせでハッチコードが決まり、ふ化場の特定が出来る。
 そもそも「めじか」は、日本海沿岸の河川、特に月光川で鮭のふ化放流された稚魚が、ベーリング海で成長し、母川に戻る前に、オホーツク沿岸の定置網で捕獲され、生殖機能が不完全な鮭の事で、脂肪ののった高級鮭として高値で取引されている。
 せっかく孵化放流した鮭が、母川に戻る前に、捕獲されれば回帰率が減少するので規制をしたいのが、ふ化場側の言い分であるが、山形県鮭人工孵化事業連合会の尾形修一郎さんは「孵化事業も定置網も、ともに水産業の発展が本望である」と共生の道を探っている。
 最後に尾形修一郎さんの提案があった。「関係する地域が「めじか」の振興策を連携して、具体的に実施するための協議会を設立しよう。ふ化場の老朽化も進み、近代的、大規模なものにしたいと思ってる」
 北見管内の今井会長から、「前向きに持ち帰り、北海道全体で協議したい」の返事があり、スケールの大きな交流会になってきた。

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節分の「鬼」

2012年02月04日 | インポート

004 きのうは節分。ゆかりの地で、著名人や地元名士の豆まき風景が報道された。それぞれの家庭の「豆まき」で、「福は内。鬼は外」の大きな声が、深い雪の中に吸い込まれそうである。
 我が家の昔。いり豆を一升ますに入れ、神棚に供え、灯明をつけて家族で礼拝の後、長男が各部屋に入り、南の方角を向いて「福は内。鬼は外」と豆を投げた。恥ずかしくてなかなか大きな声を出せずにいると「声が小さい」などと気合を入れられた。部屋中の豆の掃除も大変な仕事だった。
 それが、いつの間にやらラッカセイに変わり、今は小袋に包まれたピーナツやでん六豆に変わった。今年の節分は、私が鬼役となり、孫たちが私めがけて「福は内。鬼は外」でピーナツ袋を投げつけられた。
 そもそも「鬼」とは誰なのか。民話や郷土信仰に登場する鬼は、恐ろしい物、強い物、怖い物で大きくて角や牙があったりで、何となく分かるようで、抽象的で難しい存在である。「心を鬼にして」鬼役を務めたが、鬼が悪者でもない。浜田ひろすけ童話の「泣いた赤鬼」は、自己犠牲と風評被害を乗り越えようとする、心優しい「鬼」の物語である。
 ナマハゲやアマハゲは強い子供に育つようにと、地域ぐるみで続けられている郷土信仰でもある。「鬼」は外にあるのか内にあるのか、そこが問題だ。

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