とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

山形で全国伝統野菜サミット

2014年08月31日 | インポート

Dsc00592 全国伝統野菜サミットが山形国際ホテルで開催された。山形県では初めての試みである。当初200名規模と見込んでいたものの350名の参加となり、盛況だった。山形県では78品目を認定しており、有名ブランドとして、だだちゃ豆や食用菊の「もってのほか」、ウコギ、赤ねぎ、赤カブなどがある。
 伝統野菜とは何か。県としては、昭和20年代を基準に古くから各地で栽培されてきた野菜の在来品種で、主に農家の自家用として残っていたマイナーな野菜の事である。大量生産にそぐわず流通、販売のコストや独特の味などから、量販店の大消費地向けとしては消滅したものの、スローフードの回帰や地域おこしの戦略として、見直されて来ている。
 「あなたの作ったズイキ、ほくほくして旨かったノ。私の作った赤ねぎも甘くて旨かったから、食べてみれ」と野菜自慢の物々交換や、親戚や隣近所に裾分けする楽しみから、栽培し続けられたもので、そもそも販売の意志などはなかった。農家の密な楽しみである。
 野菜ではないが、酒田にもち米で献上米であった超一級品種「女鶴」がある。長い間、一軒の農家が自家用に作り続けていた。収穫量が極端にすくなく、倒伏で機械で栽培出来ない。酒田市バイオセンターで、品種改良して「酒田女鶴」を普及させたが「女鶴」のロマンは伝わらない。
 伝統野菜は適地適作が原則で、ネットを使った販売がなじむのかは疑問の残る所である。農家がこっそりおいしい野菜を栽培して喜び合うのが原点で、都会の人が食べたければ、現地に足を運ぶか、3倍の値段でいいから、おすそ分けが筋と思える。
 いずれにせよ、量販店で売られる野菜は、規格に合わせ大量に安価で、しかも、時無しが求められている。
 それとは反対にある伝統野菜が注目されることは、消費者の質の向上であり、農家の現場発信が今度は求められる。

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元酒田市長相馬大作が逝った

2014年08月27日 | インポート

Dsc00574 昭和46年より20年間、激動の時代に酒田市長を務めた相馬大作氏が逝った。その前、政権野党の市長が長く続き、国の財布に手が届かないと言われ、酒田市の遅滞を懸念する声はかなりあったが、社会党や社民党など、革新気風の強い酒田では市長を変える事は至難であった。
 それを、池田政之輔の秘書をしていた相馬大作が僅差で勝った。喜びに溢れた大勢の市民が、駅前近くにあった選挙事務所に押し掛け、飛び上がって喜んだ。古い建物だったせいか事務所の床が抜け落ちてしまったのである。周辺の道路は夜遅くまで人垣で溢れ、革命でもあったのかと思われる程万歳が続いた。
 勝ったのは僅差である。その後の市政に影を落とす事になる。先ず酒田北港開発が始まった。港湾荷役に山口組が入るなどといわれ、機動隊が配置される一幕もあった。住軽アルミと酒田共同火力の誘致は、公害で喘息や松林が枯れるなどと強烈な反対運動が起きた。少なくとも、どうしたら公害を無くすかと言う議論ではなかった。
 度重なる対話集会。深夜議会の連続で議論を重ねたが、一部は暴徒化し、後援会長の店の窓ガラスが破られ、不買運動も始まった。市長室前の廊下は反対運動者の座り込みで歩く事すら出来ない状態だった。市長の実家周辺も反対者で埋め尽くされた。身の危険感じた相馬市長は、知事公舎に身を隠す事態となった。
 終盤に差し掛かった頃、琢成小学校の体育館で市民対話集会が行われることになり「賛成の立場からも発言して欲しい」と要請があり、鐙谷課長より強烈な、にわかレクチャーを受けた。当日手を挙げた。同時にマスコミがマイク片手にどっと寄ってきた。周りは全部反対派である。足がぶるぶる震えた。酒田の未来のためにとの思いで、公害防止協定は科学的に信頼できると言った。
 当時、日本一厳しい公害防止協定を結んだ。ただ、火力発電所は住軽アルミのためだけとし、増設出来ないように送電線規制を?んでしまった。再生可能エネルギーの電力を送る余力は少ない。
 一連の運動で3年着工が遅れた。産業構造が変わり、住軽アルミは計画していた圧延工場を作ることなく撤退した。3年は痛い年月である。
 近代酒田の基礎を作った相馬大作は亡くなった。

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69年目の終戦記念日

2014年08月15日 | インポート

Dsc00554 今年も終戦記念日が巡ってきた。いつもの通り、日和山公園内にある酒田市招魂祭殿に眠る2340柱の英霊にお参りをした。戦地に命を散らした人々、惨禍の犠牲となった日本、アジアの人々に改めて哀悼の誠をささげ、平和であり続けられるよう祈念した。
 今年の遺族会が主催する「戦没者を追悼し、平和を祈念する8月15日の集い」は簡素化されていた。昨年までは太平洋戦争を振り返る研修会があり、ビデオでの学習会もあった。正午の時報に合わせて全国戦没者追悼式と一緒に黙とうもした。「酒田市遺族会会長が代わり、遺族の高齢化も進み簡素化した」と説明があった。これも69年経過した変遷なのか。戦時下を必死に生き抜き、良し悪しは別として命令に従い情熱をもって任務を遂行した、当時の心と知恵の検証なしに戦後は語れない。戦争の惨禍を風化させることなく当時の生きた重い証言を語り継いでいかねばならない責任が、私たちにはある様に思える。
 平和は万民の願いである。しかし、現実は世界のどこかで戦争や殺戮が絶えない。ナショナリズムの対立、宗教の対立、利権の対立、秩序を保つのは弱肉強食だけなのだろうか。人類に与えられた知性はそれを克服できるものと信じたい。そのための不断の努力を誓う日が8月15日なのだと改めて肝に銘じたところである。

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北区ママさんバレー選手団花火に歓声

2014年08月09日 | インポート

Photo 酒田市最大のイベント花火大会が2日、三ケ月を正面に、快晴の中で開催された。最上川河川敷一帯は、20万人とも言われる花火観客で溢れかえった。その中に、友好都市である東京都北区の花川区長を先頭に、北区ママさんバレー選手団33名と役員の一行がいた。勿論酒田市ママさんバレーの選手も一緒である。首が痛くなるほど見上げる大花火に歓声を上げた。
 東京北区とのママさんバレーと酒田市チームとの交流親善試合は平成6年に始まり20年の歴史を持つ。そもそもの始まりは私の市議時代の平成4年、当時の学生寮「荘内館」が北区にある事を理由に友好都市を当時の相馬市長に進言。平成4年10月16日、17日の日程で相馬市長と市議6名で北区を訪問した事に始まる。ふるさと北区 区民まつりに酒田市の特産品を販売する下心があった。
 翌年には酒田一中が修学旅行先に北区を選んだり、都会っ子ふれあい農業体験事業などの交流が始まり、平成6年、今は亡き長橋菊治市議にママさんバレー相互の交流親善試合を持ちかけ、決まった。北区の窓口は安田勝彦区議である。第1回目は酒田市での交流親善試合となった。北区ママさんバレーチームが大型バス2台で来酒。盛大な交流試合となり、終わっての歓迎会も盛り上がったものだ。
 平成7年に災害援助協定が結ばれ、平成9年に友好都市協定が締結された。ママさんバレーの交流親善試合は相互交流で往来をしていたが、酒田市は10年間で予算を打ち切ってしまったが、選手の持ち出し等で、細々と続けられていた。しかし、東日本大震災で23年、24年、25年は休止をしていた。今年は20周年記念当たり、復活の話がまとまり、花川区長を先頭に来酒され、交流試合が復活したことになった。
 東京北区は予算化されたのに、酒田市は予算に組み込まれていない状況にある。関係者の努力に期待したい

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対馬から高速船で釜山へ

2014年08月03日 | インポート

Dsc00496 対馬北部の比田勝港で出国審査を終え、釜山行き高速船「KJ145コビー」に乗り込んだのは午後4時過ぎ。ほぼ満席だったが、この船の座椅子が大きく、高級感は疲れをとる安らぎの場だった。約50キロを1時間程度だから、平均時速50㎞となる計算だが、湾外は60㎞位で航行しているものと思われる。揺れはなく飛行機程度の振動で乗り心地が良いのに驚いた。
 滑る様に釜山港に入港。視界いっぱいにコンテナヤードが並びコンテナ船が往来をしている。年間コンテナ取扱量は1400万TEUを超え、世界第5位の取扱高である。東京は420万TEUで世界第25位に甘んじている。実に東京3倍の取扱高である。しかし、ここに酒田港からも週3便、どのあたりの埠頭か分からないけれど、定期コンテナ船が入港してるんだと思うと妙に近親感を感じた。日本からは、57港週61便が定期コンテナ船として入港していると言う。
 岸壁に近づくにつれ、釜山に所狭し並ぶ高層ビルが目に飛び込んできた。人口341万人、韓国第2の都市である。1時間前の対馬とは対照的な場面に遭遇した気がした。船内はほとんど韓国語で、船内アナウンスは韓国語と、下手な日本語の二か国語の案内であった。船窓からは全形が見えない程の大型フェリー船のそばを通り、高速船は釜山港に着いた。人垣で溢れる釜山港の活気を肌で感じつつ日韓の複雑な想いを自身で確かめてみたいと思った。明日は在釜山日本総領事松井貞夫氏を訪問の予定である。

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