とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

宗教と政治

2022年09月24日 | 日記

 安倍晋三元首相が参議院選挙の遊説中に手製の拳銃で撃たれ、倒れたと速報が流れた。瞬時に「日本で、まさかや」と耳を疑った。一瞬思い浮かんだのは、62年前になる日比谷公会堂檀上で浅沼稲次郎社会党委員長が17歳の右翼少年に刺殺された事件だった。
 安倍元首相の死亡が伝えられると奈良県警の警備に論点が移った。どこに瑕疵があり防げなかったのか。演説場所なのか警備配置なのか気の緩みなのか総括は無限に続く。ある警察関係者との懇談で私は「奈良県警本部長は即刻首だね」というと「もっと上でしょう」と返ってきた。
 犯行に及んだ青年の動機がその母親が宗教団体「統一教会」への多額の献金で一家離散した恨みだったと言う。生命保険や高級住宅街の自宅売却などで1億円以上の献金が明らかになった。
 41歳の青年が何故宗教団体「統一教会」関係者ではなく安倍元首相を狙ったのか。そこからこの宗教団体と政治の闇があぶり出され、政治が歪められた可能性に国民は不安を持ち始めた。
 政治と宗教はともに内心の問題であり、誰もが立ち入ることは出来ない領域である。しかし、マインドコントロールで人の心も変わる弱いものでもある。

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幻のもち米「女鶴」

2022年09月15日 | 日記

 在来品種もち米の「女鶴」を栽培してる方とお会いした。「女鶴」は極上のもち米として酒田市円能寺周辺の狭い地域で戦前から栽培されていた。大地主の本間家が「女鶴」を原料にした羽二重餅を老舗菓子舗「小松屋」に造らせ寒中見舞いとして毎年献上していた。献上米を栽培していた農家にその棟札が残っている。
 「女鶴」は明治初期に民間育種家が作り出したもち米で、父方が「今田もち」と言われているがそれに関する文献は見当たらない。「女鶴」は形状が鶴のくちばしの形をしているところから名付けられたと言われている。
 「女鶴」は籾の比重が軽く、餅をつくと柔らかいがこしが強く粘りがあり、煮崩れがしない。そして、奥深いかおり、と味がする。しかし、草丈が長く倒伏するので機械化に馴染まず、それに収穫量も少ない事からで栽培する人はいなくなった。酒田市では「女鶴」を残そうと研究センターで改良を加え、短丈にして「酒田女鶴」として登録されている。
 しかし、その「女鶴」を今も伝承している農家がいる。酒田市布目の堀正人さん(54)は「6アールほど栽培している。これも我が家の伝統で祖父の時代から引き継いでいる」と稲を刈り、杭掛け乾燥の作業中だった。
 幻のもち米「女鶴」はたった一人の農家で守り伝承されている。

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ネギ栽培で世界一を狙う男

2022年09月10日 | 日記

 9月9日、山形新聞フロントラインの囲みに「ねぎびとカンパニー」社長清水寅さん(41)のネギ栽培にかける意気込みが掲載されていた。
 記事によれば、新型コロナ感染の影響で一時流通が止まり、中国からの品が入ってこなくなった。このためネギの単価が上がり、国内の新規参入農家が増えた。そこに、農業機械の進化で労働生産性が上がり栽培面積が更に増え、供給過剰で単価が下がる悪循環スパイラルに陥っている。
 ただ、作物は機械や資材で作るわけではなく、技術、腕が必要。自分のやり方を常に見つめなおし、腕を磨く事を心がけている。清水さんは長崎県生まれ、25歳で脱サラし奥さんの実家天童市でネギ栽培中心の農家を始めた。販売にも力点を置き、15年に8本1万円、19年には1本1万円の商品を発売、発表した。19年に県ベストアグリ賞農林大臣賞を受賞している。
 私は、8年前の2014年11月に清水さんの農場を訪問している。就農して3年目の時である。「ネギ栽培面積初年度は2.7ha、2年目5.7ha、3年目8.6haとなり日本一であり、世界一かも知れないし、世界一を目指している」と熱く語られた事を思い出している。
 彼の手法は先ず売り先を確保して栽培をする。マスコミ、吉本興行などととも連携しブランド力を高めてシェアを広げる。モットーは、私たちは農家ではない。アーテストである。世界一を目指している。世の中の常識を変えるのは必ずしも専門家ではないと語っている。
 「すごい男に出会った」あの時のカルチャーショックは今も鮮明だ

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酒田港に新しい食と観光の拠点

2022年09月03日 | 日記

 酒田港の荷さばきをしていた巨大倉庫は、物流が酒田北港に移って利用される事がなく、県の遊休資産となっていた。私が県議現職時代、港オアシスの一環として食、観光の交流拠点施設に利用できないか県関係者に迫っていた。
 特に、観光クルーズ船は小湊ふ頭に接岸しても市街地に遠く、出店等の対応でしのいでいた。観光客が酒田を楽しんでもらえる一角が必要との思いは強かった。海洋センターを中心に賑わっている港オアシスの施設は、東ふ頭上屋をリニュアルした交流施設「SAKATANTO」(サカタント)が加わる事でその重みは増した。
 8月2日にオープンした「SAKATANTO」はラーメンや活魚などの飲食店6店舗が入る予定、とりあえず4店舗で新装オープンした。酒田港水揚げ主力のスルメイカを中心にした食堂やフィッシュ&チップスのファーストフード店、最上地鶏の焼き鳥、唐揚げ店、ラーメン店などが軒を並べている。釣り具のレンタル所も設置され港らしさに溢れている。
 施設の外、港側には日傘テントと椅子テーブルが設置され、港を眺めながら飲食が出来るスペースがあり、行きかう船を眺めながら楽しめるように配慮されている。残りの上屋半分はイベントスペースとして利用できる。
 全体的な雰囲気はレトロ調の港町酒田が滲み出ている。

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