とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

県政報告会で岸先生が講演

2016年07月29日 | 日記

  昨日、恒例の県政報告会とビアパーティの2部構成の会を玉姫殿で行った。いつもは県議会の報告とこれから取り組む具体的な課題を提供し、後で感想や意見を聞くスタイルである。今回は、25日で参議院議員を勇退された岸宏一先生の講演となった。
 私は岸さんの長い労ををねぎらった後で「岸さんは酒田の骨格を左右する大きなインフラに努力して頂いた。酒田市立病院と県立日本海病院の統合問題で、私の知事質問にはゼロ回答だったが、厚生労働委員長として国会で取り上げ、厚生労働大臣の「やる」答弁で、知事がコロッと変わって実現した。酒田中央ジャンクションは計画もなかったが、岸さんの働きで一夜で決まった。今は供用開始になっている。岸壁やクルーズ船も一昨年7月、県、市から10人位で上京、港湾局にお願いし予算化されたものである」と裏話を披露した。
 岸さんは「自民党の政策は多くの国民に受け入れられていると思う。しかし、決め方が荒い。一強多弱を作り出したのは官房長官が内閣人事局を作った事にある。広範な議論をしていた派閥も元気がない。党紀であまり除名処分はしないで、寛容で、幅広い政党であるべきである。今回の参議院選挙で私の後継を決めるのに、山形県連から何の相談もなかった。私は動かないと決めたが、安部総理から電話があって、「県連会長から行ってもらうので話を聞いて欲しい」だった。そして、県連会長が部屋にきて今までの非礼をわびた。しかし、参議院選挙の結果は惨敗である。橋本龍太郎さんは惨敗の結果、総理を辞職している。これだけ負ければ県連会長は、責任は取るべきである。それを言うのが藤彌君ではないか。あなたの責任も大きい」と叱られた。会場いっぱいの参加者は岸さんの席に押しかけ、行列が出来ていた。

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出穂まであと少し

2016年07月24日 | 日記

 連日、晴天のダシ風(東より)が風が吹いている。稲は穂ばらみ期に入り出穂まであと少しとなった。この晴天と乾いたダシ風は、稲の草丈を伸ばさず、稲体を硬くし病虫害にも強いものになる。稲にとっての一番大事な時期に好条件な気象となった。
 今後のきめ細かな水管理次第で根の活力が維持され、登塾歩合や品質、食味に大きな影響を与える。溜め水は根腐れの引金となり、乾きすぎれば根を痛めてしまうことになるので、デリケートな間断灌水が要求される。天候との駆け引きが始まるのだ。
 酒田農業技術普及課によれば、草丈は平年並み、茎数はやや少なく、䈎色は濃く、葉齢は平年並みから2日遅れで、出穂は8月上旬と予想している。
 農業は天候に左右されるやっかいなものだが、異常天候さえなければ、稲作は今の所、収穫に期待がもてる。しかし、豊作は過剰米を生み出し、価格の低落を招く。豊作が単純に喜べない矛盾を抱えた不安定な農政に大きな決断がいる。

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外航クルーズ船の酒田港誘致実る

2016年07月21日 | 日記

 ”プロスパートさかた”ポートセールス協議会の総会が山形市内の会場で開かれた。来賓出迎えをしていた小野観光推進監が私が入るとスーと寄ってきて「イタリア船籍の外航クルーズ船「コスタ・ネオロマンチカ」が、来年8月2日酒田港に寄港することが発表されました」と耳打ちしてくれた。
 「えぇっ」と耳を疑った。国、県,市が懸命の誘致活動をしていた事は知っていたが、来年の5月までに企画書を出して、それからの事と思っていただけに驚いた。振り返れば、昨年の春先から話題にはなってはいたが、9月の予算特別委員会質疑でトップセールスを促して、吉村知事が動き出してからの事である。もっとも、その前段に岸参議院議員の計らいで、7月には港湾局との下ごしらえはしていた。おかげで、今年度当初予算に外航クルーズ寄港に備えたハード予算と、高砂1号岸壁延長の調査費が共に予算化されていた。
 丁寧に話を聞くと、コスタ・ロマンチカ(5万7千トン)はヨーロッパ最大のクルーズ会社の船で、乗客定員が1800人。「東北ねぶた祭りと日本海周遊・釜山ルート」で福岡、舞鶴、金沢、酒田、青森、釜山に寄港の予定である。私は、酒田港の花火大会が頭をよぎった。
 総会で会長の吉村知事が「外航クルーズが初めて酒田港に帰港が決まったことはうれしい。県民挙げて歓迎をしたい。」と触れた。
 観光立県「やまがた」に新しい1ページが加わった。

 

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長崎市軍艦島の今昔

2016年07月17日 | 日記

 玄界灘に面した佐賀県、長崎県、福岡県の3県を視察した。長崎は雨だった。それも、大雨注意報クラスの雨である。
 鎖国していた江戸時代に唯一貿易を許された人工島「出島」も、高度経済成長に伴い、埋め立てやビル建設で陸続きとなってしまったが、国の史跡に指定され、復元工事が進めれれている。長期計画で19世紀初めの扇形の島を完全復元する計画であると説明があった。
 最も興味があったのは、明治から昭和にかけ海底炭鉱で良質な石炭を採掘した軍艦島である。正式名称は長崎市端島で、長崎港から16キロ南下した所にある無人島である。 往事は0,063K㎡の島に5000人を超える人が住み石炭を掘っていた。病院、学校、寺院もあり、人口密度は東京の9倍だという。昭和49年に閉山、建物の老朽化により立ち入り禁止になっていたが、整備された道路に限って上陸が許され、観光コースとなった。2015年に世界文化遺産に登録されると見学者は一気に増えた。
 大雨のため殆どの観光船が休船だったが、一社だけ近くまで行ける船があったので乗船した。出航時にはそれほどでもなかった船も外航に出ると大きく揺れた。軍艦島がかすかに霞んで見える近くまで来たが、乗船客の安全のため引き返すとのアナウンスがあり、上陸は果たせなかった。
 長崎港に帰航途中、大型の外航クルーズ船が停泊していた。長崎港には年間100隻、博多港には400隻の寄港があると言う。観光地は外国人でいっぱいである。

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自民党山形県連の危機

2016年07月11日 | 日記

 長い参議院選挙が終わった。結果は政権与党の圧勝である。TPPや憲法改正議論を内在しながらも、勝利したのはアベノミクスを柱にした経済政策や社会保障政策に政権与党の安定を求めた結果の様に思える。
 しかし、良く分析すると選挙区の与党の勝ち方は北低南高だった。日本の穀倉地帯である新潟を含めた東北7県で、自民党勝利は秋田県だけであり、全て惜敗している。定員3名の北海道選挙区は自民党が1議席獲得するにとどまっている。新潟を含めた保守王国と呼ばれた東北地方にも時代の流れを感じる。反面、東京を中心にした関東、北陸、中国地方、九州は圧勝している。
 一方山形県は、野党統一候補だった舟山康江さんが自民党公認の月野薫さんを12万票差余りで破り圧勝した。月野さんには、分厚い議員団組織、首長会ほとんどの推薦、会社や自民系各団体の推薦などの重厚な包囲網が敷かれている。それに大臣クラスや党要人が連日山形県に入り、街頭や個人演説会で月野さんへの支持を訴えた。空中戦は充分だった。みんなで辻立ちもした。
 なぜ自民党は惨敗をしたのか。自民党県連の責任は大きい。自民党県連の慢心からくる純化傾向が見える。自民党は懐の深い、寛容の気風に溢れた政党であると思っている。しかし、近年は多少の意見の違いを認めず排他的な傾向がある。国会議員の公募の在り方にも疑問がある。イギリスの国民投票は、一見民主的であるが国論は分裂している。若い国会議員の土着性にも課題がある。政策に地域の色が必要だ。田中角栄が今褒め称えられている。
 互いの立場を尊重し、寛容で懐深い政党に戻らないと自民党は先細りするだけだ。

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気になる首長の発言

2016年07月06日 | 日記

 参議院選挙も終盤を迎えた。読売新聞、共同通信が終盤情勢を報じている。与党が堅調で民進が苦戦と、どちらも同じ様な調査結果が出ている。しかし、東北の一人区は与党の苦戦と報じられ、山形県では野党統一候補に2重丸が付いていた。同様なのが岩手県と沖縄県の3県である。山形県は自民党県議が30人で与党が7割を占め、市町村首長の殆どが与党候補を推薦しており、野党統一候補に2重丸が付く理由が分からない。
 地方自治は二元代表制である。首長も議員も選挙で選ばれ、同じ民意として地方自治を担っている。しかし、首長に強い権限が与えられており、予算執行権は議会にはない。議員の要望は首長の同意がないと実現しない仕組みになっている。公務員は地方公務員法や公職選挙法で選挙活動は制限されているが、首長などの特別公務員は自由である。しかし、その言動には注意が必要だ。
 昨夜、与党候補「つきの薫」さんの個人演説会に行ってきた。応援弁士で与えられた時間は5分である。最初に終わって、後はじっくり他の弁士の話を聞いていた。国会議員4人もいると国会の立ち位置も分かり、個性も現れる。修羅場をくぐった議員の話は迫力がある。「つきの薫」さんの必死さも伝わり良い演説会だった。
 首長の気になる発言があった。「私を応援してくれた多くの市会議員が私と一緒に与党候補の応援をしてくれない。酒田の発展を思うと政権与党とつながる事が必要だと思っている。。酒田市長として恥ずかしい事であり、許せない。それを見極めて対応するつもりだ」言い過ぎかもしれないがと前置きしての発言だったが、どきっとした。
 政権与党とつながることも大事だが、議会とつながる事もさらに大事だと私は思った。

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岸先生に押し掛けた

2016年07月02日 | 日記

 それは参議院選挙告示の前の事だった。後援会の会議が一段落したころ「岸さんの任期は間もなく切れる。任期中に上京してお礼を言いたいなあ」と提案があった。うん、それはいい。宴席は「とうふ屋うかい」ではどうかと、具体案も飛び出した。「とうふ屋うかい」は東京タワーの真下にあり、離れ個室が58部屋もある高級料亭で、めったに行くことはない。度肝を抜く提案にうろうろしたものの、話が進んで事務的な打ち合わせが詰まっていた。
 7月1日に決行と決まった。せっかくの訪問なので、山形県で初めて日本遺産に認定された「生まれかわりの旅」出羽三山にちなんで、国宝五重塔を含めた文化財の保護や、世界に発信する伝統文化について文化庁からお話を聞きたいと、お願いをしていた。3時半ごろ参議院会館の岸事務所に着くと、文化庁文化財部大谷圭介伝統文化課長と岡田晃章文化財保護調整室助成係の2名が来て下さっていた。「観光立県目指す山形県としては、西の伊勢参り、東の奥参りとして出羽三山は著名であり、インバウンドを狙えると思う。しかし、伊勢に比べ参拝客は減りつつあり、きっかけがあれば充分リバウンドできると思っている。文化庁の助けが欲しい」と訴えた。すると大谷課長は「良く理解できる。先ずは山形県として話を整えて要望されたらどうでしょうか」だった。先ずはそれからである。
 1時間半ほどのレクチャーが終わり、待望の「とうふ屋」に行った。ずらりのお迎えに、目のやり場がない。奥まった離れの一室に通され宴が始まった。岸先生のあいさつは「自前で東京まで来て、招待されて感激している。大体は断っているのだが今日は有難い。2次会は私に任せてくれ」その通りに2次会は赤坂のスナックだった。最後まで付き合ってくれた岸先生のやさしさに感激した。

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