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第131 水彩画 日曜展示

2022-10-16 04:36:42 | 水彩画
第131 水彩画 日曜展示
10号前後の作品です。






932「舟が行く」
2022.10






933「藤垈の山」
2022.10







934「瀬戸内のいけす」
2022.10





935「名蔵湾」
2022.10






936「宮良川」
2022.10








937「由布岳乙:2丸中央牧場」
2022.10






938「御嶽山」
2022.10








939「鳥海山」
2022.10







940「西伊豆」
2022.10






941「天草」
2022.10


 少し不調だった気がします。不調でも継続します。
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世界の持続可能性は江戸時代にある。

2022-10-15 04:04:38 | Peace Cafe


 日本が衰退し始めていると言うことは、共通認識になりつつある。その実情を踏まえた上で、これから政治がやらなければならないことは日本の未来社会像の議論だろう。どこに向かうのかについての議論がなければ、力が定まらない。

 そう思って内閣府のホームページを見ると、「日本21世紀ビジョン」と言うものがあった。内閣府のこれからの日本についての解説がある。「日本21世紀ビジョン」では日本は緩やかだが、着実な衰退を迎えてしまいます。としている。

 ビジョン検討委員会ではこのさきの衰退を予測している。この点ではアベ時代よりは一歩前進である。そして3つの方向が示されている。
(1)開かれた文化創造国家
(2)「時持ち」が楽しむ「健康寿命80歳」社会
(3)豊かな公・小さな官

 このことを議論してみたい。特に「開かれた文化創造国家」について、文化とは何を意味するのか。ここでの文化の事例として「日本の優れたモノづくり、アニメやファッション、食文化 。」と言うことが示されている。藝術、芸能は含まれていないところが内閣府らしい。  

 文明が明治の言葉で、文化というと昭和のどちらかと言えば戦後言葉のような気がする。開かれたというところに、日本が閉じているという感覚もあるのだろう。確かに日本は縮こまり、閉じこもったような空気になってきている。しかし、日本文化が高まった時代は江戸時代で、鎖国の時代である。

 物作り、アニメ、ファッション、食文化を上げたのは、経済と結びつかない文化は意味のない文化と考えていると言うことが見えてくる。文化勲章の対象は伝統芸能や画家などに与えられるが、それらの文化が未来に繋がっているとは考えてはいないのだろう。保護しなければ維持できないような文化は問題にしない。

 文化は趣味や娯楽と繋がっている。それを経済と最初から結びつけるのでは考えが狭まくなる。確かに文化は権力者や富によって支えられてきた。ところが権力はその余裕を失った。お大尽はお金にならない文化には興味を持たないつまらない人達になった。それが文化衰退の原因。文化も目先の経済性が求められている。そしてそれ以外の文化は問題にされない。

 江戸時代にも権力者に結びついた、琳派のような藝術もあったが、同時に庶民が支えた浮世絵のような物も存在した。仮名草子や浮世草子のように庶民が支えた出版文化も存在した。江戸時代の和服や織物の素晴らしさは、世界に誇れる物で格別だろう。能のような高尚な舞台芸術もあり、同時に歌舞伎のような庶民が親しめる物も存在した。

 盆栽や朝顔、等の園芸文化や、桂離宮などに見られる建築や造園の文化も世界有数なものである。日本鶏や金魚の趣味も江戸時代の文化は世界でも高い水準のものであった。何故江戸時代の経済の停滞した貧しさの中で、これほど高い文化が存在したのかを考える必要がある。

 明治時代に開国した日本が西欧に追いついたと言われるが、江戸時代の文化はむしろ西欧よりも優れていたと考えて良いのだと思う。特に江戸時代の庶民文化をかんがえてみると、日本は世界でも珍しい大衆文化国家だったのだと思う。加えておけば農業に於いても、江戸時代の水田農業の生産性は世界一であった。

 日本の未来を考える場合、江戸時代の文化に着目する必要がある。江戸時代を明治政府が、富国強兵や脱亜入欧で否定してしまい評価しなかったためにあえて江戸の庶民文化を否定した。その結果世界で評価される日本のアニメーションが突然現われたように考えてしまうのだ。

 御絵草紙があり、絵草紙があり、伽草子があり、俳句を庶民が楽しめた社会。そして漫画が生まれ、その先にアニメーションがある。文化はその社会の歴史的な蓄積の上にある。文化には厚みが必要なのだ。源氏物語絵巻や鳥羽僧正の鳥獣戯画のような高度なものを生み出す下地として必要な物が、大衆の文化レベルの高さである。

 文化を重視した日本の方角は大賛成だが、文化は経済とをつなげて考えてはならないと言うことだ。どれだけ貧しくともらんちゅうを飼い続け、盆栽に熱中した江戸の庶民がいたのだ。そういう中から、高度な文化が生まれる。同時に、江戸時代の日本の百姓が優れた自然観察者だったと言うことを考えておく必要がある。そうした中から文化は生まれてくる。

 文化を高めるためには教育が重要とも指摘をしている。同感である。問題はその教育の内容である。文化を高める教育をする必要があると言うことだろう。江戸時代の寺子屋教育を考えてみる必要がある。識字率は世界有数であった。寺子屋の名前の通り、教育では礼儀作法や倫理が重んじられた。

 倫理を確立する教育も必要であろう。果たして現代の教育はその方向になっているのかと言うことだ。残念なことに日本の教育はどちらかとえば、倫理を失い、能力主義競争主義が基本になっている。文化を高めて行くためには、教育の方向を変えなければならないのだろう。

 絵を長年描いてきて、美術教師でもあった。美術教育の大切なところは、美術は人間にとって、何故必要なのかである。美しいと感じる心は、どうすれば育つかである。何が良い文化なのかを教育では考えなければならない。豊かな感性の人間が、高い文化的創造物を作りうると言うことに成るのだろう。

 豊かな人間性、つまり美しいものを美しいと感じる感性を育てる教育があって始めて、高い文化の国はできる。具体的に言えば、作務を教育に取り入れることだ。日本人が高い文化を持ち得たのは、江戸時代には日本人の大半が手作業で生きていたと言うことがある。特に大半の人が自然と向き合う農業に携わっていたことにある。

 眼で自然を見て判断する。身体を使い、手で仕事をする。この積み重ねがあって日本人は文化人になった。物を見る眼を持った日本人が大量にいたからこそ、江戸時代日本が文化国家になれたのだ。自然を見る眼も、文化的創造物を見る眼も同じである。

 自然を見て美しいと感じる心がなければ、絵を見て美しいとは思えない。自然のわずかな変化を感じられる感性があって始めて、創作活動ができる。江戸時代の日本はどこの国より、掃除の行き届いた美しい国であった。自分の暮らす場を美しく保つと言うことが、江戸時代の里地里山である。

 掃除をすることが美徳であり、教育である。そういう作務教育こそ文化を育てるのだと思う。明治以降の日本文化は、実は衰退してきたものといえる。いよいよ江戸時代の遺産を使い果たしたところだと思う。次の時代の文化国家を目指すためには、地に足の着いた暮らしを取り戻さなければならないと言うことになる。
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「道元禅師」立松和平著を読む

2022-10-14 04:52:11 | 身辺雑記


   2回目のひこばえが順調に生育している。一回目のひこばえは穂を付けるところまで言ったのだが、台風で収穫できなかった。そこで収穫するより1週前の早刈りをすることで、幼保が形成されないという山岡先生に従い、早刈りをしてみた。2週間経過した段階では確かに幼保は現状形成されていない。

 立松和平の書いた「道元禅師」を読ませてもらった。永平寺の発行している「傘松」(さんしょう)という機関誌に掲載された文章をまとめたものである。かなりの大著である。余り読みやすい本ではなかった。特に前半部分の文体が肌に合わなかった。泉鏡花賞を受賞した理由がこの文体なのだろうかとおもった。

 立松和平の道元禅師は私が子供の頃から作り上げていた、道元禅師像とはかなり異なるものであった。異説もあるのだが、上級貴族の人間関係を断ち切らないまま生涯を通すという所が違う。生涯の全体の流れを考える上での権力との関係がどこか不自然で成らない。道元の時代の修行道場はもう少し小さな物と考えた方が良いのではないだろうか。

 弟子の数も少し多すぎると思う。もっと小さな修行集団だったと考えた方が私には道元らしいと思う。また、肝心の正法眼蔵の読解が立松和平にはされていない。私は理解できていないので、この本に期待したところがあったのだが、この点でも期待外れであった。
 
 私が寺院で育ち、曹洞宗の学校に通い、僧侶になり、見聞きして作り上げた道元という人とはかなり違っていたことになる。その違いが気になり、極めて読みにくい本になってしまった。それでも最後まで読むことは読んだ。正法眼蔵と言う内容の深い大著を、書き上げると言うことにはどれほどの時間を傾けたのだろうかと思う。

 立松氏は道元禅師は繰返し読んでも意味不明である。もし正法眼蔵を理解した上で、この本を書いているのであれば、誰にでも意味が伝わるように書けたはずである。難解なのはかまわないが、正法眼蔵の位置づけが明確でないと、道元禅師のことは書けないことになる。

 何故、道元禅師が修行僧に日常の些末なことまでの行動規範まで書いたのか、この本では触れていないが、そこに騒動宗創立時の道元の心情が出ているように思う。道元禅師が修行道場の運営として、細か水ぎるような規範を示したのだろう。弟子に対して細かく、細かく指導したのだろうと思う。始めて禅の修行道場を作るためには必要なことだったのだろう。

 先進国中国からの帰国者として道元には、日本になかった寺院の生活規範を作ろうとしたのかも知れない。道元禅師はある意味神経症的に細かいことにこだわりのある人と考えている。当時の日本の仏教は、日本化した仏教だったのだろう。特に仏教者の生活の在り方が、道元禅師には耐えがたい物だったのではないだろうか。

 道元禅師が最初に書かれた書物が普勧座禅儀である。座禅のやり方の指導書である。座禅をどのように行うべきかを主にその実際の手引き書というように、具体的に書いている。同様な意味で、禅の修行法を細かく記した部分が正法眼蔵にはかなりある。

 道元は曹洞宗を作り、その禅の修行法を残さなければならないと考えて、永平寺で繰返し説明や指導が必要だったのだろう。実際に54歳で道元が死んでから、曹洞宗では弟子の間で混乱が続く。とくに初期の弟子は達磨宗から出発した人達であった事が影響する。

 達磨宗に関して立松和平は否定的な捉え方である。どちらかというと異端扱いである。しかし、曹洞宗が宗派として成立したのは達磨宗の人達によってである。道元禅師には宗派を作る意図もなかったし、そういう能力のある人ではない。道元禅師には自分とそのまわりの人だけの只管打坐で良かったのだろう。

 道元禅師は宗派を作るなどまったく考えない人だと思う。それでも心が開いていた人だったのではなのだろう。来たる者拒まずの姿勢。それが修行者の姿勢と考えていたに違いない。修行を一人で行う事を危険と考えていたに過ぎない。達磨宗の人との交流は福井にいってできたと考えた方が良いのではないか。

 正法眼蔵は言葉の飛躍が至る所にあり、道元禅師独特の論理性が哲学詩と呼べるように書かれている。そもそも読解することを拒絶しているような性格の文章もある。入り込むのが極めて困難なものだ。私はキリスト教徒が聖書を時に手に取り開いて一文を読むように、アトリエカーには置いてあり、時に開き読むと言うより、文章を眼に入れる。理解は出来ないがすごい文章だとは思う。

 道元禅師の禅の思想は中国の仏教とはまったく異質な物になったのだと思っている。正法眼蔵にあるもの道元であって、仏教といえるものかどうかも分からない。哲学という物に一番近いのだろう。哲学であれば、言葉の既定と言うことが重要になるが、矛盾や飛躍と言えば違うのだろうが、言葉に縛られていない物だ。松岡正剛の書評は正法眼蔵を読む参考になる。

 正法眼蔵の道元の文章の分析の実際については、Wev春秋にある、坐禅とは何か――『正法眼蔵』「坐禅箴」を身読する 藤田一照・宮川敬之のものがとても参考になる。そういう成り立ちなのかと教えられる所ばかりだ。キリスト教には聖書学という大きな学問体系がある。

 曹洞宗でも正法眼蔵学というものが必要なではないだろうか。藤田一照・宮川敬之のお二人の解説は、学問研究といえるものだ。このようにして深く研究分解していただかない限り、最も重要な聖典が読みこなせないという、情けない曹洞宗の一僧侶と言うことになってしまっている。

 立松和平の本のことだった。一番違和感があったのが、道元と許嫁であった邦子という人の話だ。道元は得度をしたから関係は解消されるわけだが、最後まで強い絆があり、寺院を作る際に後ろ盾になってくれる。という書き方である。
 
 邦子という人は後堀河天皇准母、皇后宮。膨大な荘園群を父から譲られ成立した安嘉門院領が道元の活動を支えているという話が作られている。この辺りの筋書きが、まったく納得いかない話になる。天皇家に支えられて、曹洞宗が成立したかのような印象を与えてしまう。

 私の想像してきた道元禅師はそういうことを受け入れられない人だ。鎌倉幕府北条時頼は鎌倉に寺院を作るので、道元に住職になるよう希望するが、道元はそれを断る。それなら何故鎌倉に行ったのだろうかとも思う。この辺りの実際を道元という人間から導き出す必要がある。

 永平寺を福井に作るときの後ろ盾が、北条氏の家臣波多野義重である。その関係から時頼の依頼を断れなかったとなっているが、そういう人ではない。たぶん興味があったのだろうと思う。権力者に興味を抱き鎌倉に半年いたのではないか。

 この辺りがどうも道元禅師という人間が分かりにくいところである。達磨宗との関係も含めて、立松和平の本に於いてもその解明はなされていない。もちろん私にも分からないが、複雑な人間である事は正法眼蔵を読めばある程度は想像できる。


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のぼたん農園の新しい機械

2022-10-13 04:53:53 | 楽観農園


 のぼたん農園にトラックターが戻ってきた。半年も修繕に出ていたのだ。のぼたん農園ではすぐに使う予定もなかった。それに戻ってきても雨ざらし状態なので、預けて置いた方が良いと言うこともあった。これからトラックターで代掻きが始まる。

 戻ってきたと同時に、フレールモアーを付けて戻ってきた。何しろのぼたん農園3.6ヘクタールはすごい草の海である。手刈りでは到底無理な面積である。道路部分だけでもフレールモアーで刈ろうという計画だ。

  しかし、まだ調整途中でなかなか上手く作動しない。草がよく切れないので、刃を替えようと考えている。果たして出来るだろうか。まだまだ課題がありそうだ。かなり古い中古を買ったので、調整を十分にしなければ上手く行くわけがない。

 トラックターに3点のワンタッチジョイントでつなげるのだが、微妙にサイズが違っていた。ボルトの太さが大分太いので、サンダーで削って合せた。三点のずれは、切断して、溶接して位置を合せた。その上にユニバーサルジョイントが短い。

 これは2つつないで連結。その上にトップリンクもわずかに短い。そこでトップリンクは交換した。これで一応トラックターに付けて、動くようには成った。試運転して一応草は切れた。それでのぼたん農園まで運んだ。そこからまだ課題があった。

 VベルトがSB46が3本なのだが、これが石垣では売られていない。そこでLB46で代用しようとしたのだが、これが少しきつい。それでも何とかはめ込むことが出来た。しかし少しきついので、押さえのローラーが側面の金属にあたる。

 当たると熱を持ってしまい、どうも擦れた熱で着いて来たベルトは切れたようだ。古いものだったから、切れても仕方がない。ローラーが当たらないように、おおいをとっていれば良いのだが、覆いの金属のケースの幅を広げることは出来るのだろうか。

 そして次は刃だ。どうもついている刃が摩耗していて、切れ味が悪い。交換刃を買わなくては成らない。ネット注文で交換刃を調べるのがなかなか難しい。どうもいま付いている刃は、代用品のようだ。それはいいのだが、止めているボルトが、摩耗して錆びて、外れるかどうかが課題だ。

 次々に問題が出てくる。もう一つは回転速度のようだ。早く回転させると草は切れるようだが、どのくらいの速さで良いのかがまだ分からない。いずれ刃は測って注文して、取り寄せたい。その間はすこしづつ作業をして様子を見ようと考えている。

 もう一つ来たのが軽トラダンプだ。いままで軽トラがなかったので、不便をしていた。農家に軽トラがないのでは、どうにもならない。軽トラは買うことにしていたのだが、どうせ買うならダンプが良いと言うことになった。土をかなり動かす必要がある。落ち葉や堆肥や選定チップも運びたい。

 ダンプが出来る軽トラは普通マニュアルである。オオトマ車を探したがなかなかない。小田原に行った時に、南足柄市の前から何回か軽トラを買ったお店によってみたら、幸いなことに軽トラのダンプがあった。もう買うしか無いと思い購入した、4万キロで40万円だった。

 運送費は船便で9万円だった。石垣にはないのだから仕方がない。小田原から金沢に行く日に早朝に軽トラダンプで有明のフェリーターミナルまで行った。9時について、すぐ預けることが出来た。御陰で東京駅には10時過ぎには着いてしまい。大分早く金沢に着けた。

 金沢から、名古屋に出て石垣への直行便に乗って帰った頃に石垣港の南西港運から電話があり、もう着きましたと言うことだった。どうも予定の舟より一つ早い船に乗せてくれたような気がする。台風で火曜日の便がだめと言われていたのだが、火曜日の船が動いたようだ。

 ダンプはそこそこ調子が良い。小田原から有明まで高速道も乗ったのに問題が無かった。重い荷物の上げ下ろしもしたが、問題なかった。これから大いに利用したいと考えている。早く倉庫が出来れば駐車スペースも出来るので、安心して止めることが出来るようになる。

 ダンプはいま干川さんのところに置いてある。トラックターのロータリーも置いてある。ロータリーをダンプに乗せて、のぼたん農園まで運びたい。しかしこれがなかなかできない。重たいので、ユンボが来た時に持ち上げてもらわなければだめだ。田んぼの代掻きもしなければいけないから、早くロータリーが来て欲しい。

 次にあったら良いというのが、ユンボだ。バックホウ、油圧ショベル、パワーショベルだ。土木工事があれこれ必要なので、どうしても借りているだけでは無理だ。ただし直すことが難しいので、その点が課題になる。もう少し直し方も勉強したら、ユンボを買いたい。

 ユンボがないと作った道がすぐ通れなくなる。柵の周囲の道路に牧草があると、水牛が柵を壊して食べようとする可能性がある。水牛の柵や溜め池の設置も難しい。一番の課題は、牧草の中に出てくるススキだ。これを根こそぎ抜かないと、いつの間にかススキが増えて行く。前牧場をやっていたときも、ススキが増えたことで挫折した感じだった。

 水牛はかなりなんでも食べるのだが、放し飼いにしていると、どうしても嫌いな草が増えている。これが続くと牧草がなくなってしまう。良い牧草地を作るためにはススキを退治しなければならない。さすがに除草剤は使えないのだから、ユンボで抜根するしかない。

 まだ田んぼの造成工事が一つある。8番田んぼを移動しようと考えている。理由は水がその方が安心だからだ。2番から水を通しておけば、水が足りなくなることはないだろう。8番はぬちぐすい診療所の田んぼだ、とても熱心にやっているので、来年水を切らすことはしたくない。

 ユンボが買えないとしても借りてでもやらなければならない。どうせならこの際ユンボを買って思い切ってやった方がいいだろう。石垣のどこかにユンボはないものだろうか。本気で探してみよう。置いてあるところに尋ね歩いても良いぐらいだ。確か名蔵にはユンボがあるところが2カ所あったから、まず聞いてみることにしたい。リースで使うにしても近ければ搬送代がいくらか安いかも知れない。

 自給農業では機械はできる限り使わないに越したことは無い。しかし、手作業で出来るところは手作業で行い。機械を使わなければ出来ないことは、円りょんなく機械を使うべきだと考えている。農園が完成すれば、手作業だけの自給農園になる。

 機械を使う理由は私が歳をとったからである。のぼたん農園の完成を自分の手で達成するためには時間が少ない。そろそろ始めて1年が経過しようとしている。5年で土木的な作業は終わりたい。その後は農法の定着と言うことになる。
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生きることをやりきる

2022-10-12 04:19:10 | 暮らし


 人はどこから来て、どこへ消えて行くのか。これを考えることが仏教者の一番に行うことであると道元禅師は言われている。あと長くても二〇数年すれば消えて行く。人間が消えて行くのは生命の持つ摂理だから、受け入れたうえで、どう考えれば良いかの問題になる。

 消えて行くまでの日々をどう生きるのかと言うことを考えている。考えていると言うより、不安に思いながらその煮詰め方を思っている。しかし、日々全力で生きると言うことの行き所がなかなか難しい。まったく不明なことだ。良い絵を描くと言うことなのか。多分そうではない。

 限りある命の残りの日々を十二分に生きたいと思うことだけはたしかだ。今その消えた先のことなど考えたところで無意味なことだ。今生きている事をどう充実させることが出来かだけを考える。生きていることを噛みしめて、残りの時間で何をするのか。只管打画ということか。結局やりたいことをやりきることか。

 十分に生きると言っても実際の所、生きていると言うことはほとんど無駄なくだらないことの連なりである。なるほど有意義に生きたというような確かなことなどほとんどない。生きる充実はどこにあるのかを探している。その先に只管打坐と主張した道元の生き方は道理にある。

 死んで消えて行くという、むなしさだけが確かな事実としてある。生きている今にかろうじてしがみついて居るように絵を描くということがあるのが私の日々である。死んで行くことを残念なこととか、嫌なことだとか思わない事はできる物なのだろうか。

 しかし、実際には私が描いた絵など、私が死ねば消えてゆくだけの物だ。偶然のように残ったところで同じことだ。私がどこまでやれたかという恥をさらすだけのことになる。それが現状の絵のような物のじったいだろう。それを仕方がないとはさすがに思えない。

 なんとしても、もう一歩進まなくてはならない。そう思って生きている。道元禅師は極めて理屈っぽい人だと思う。正法眼蔵は難解という以上に、理解不能な書物である。まともな論理の人だったのかとさえ思う。あれほどどうでも良いようなことの詰まった書物が果たして正法眼蔵なのかと、思ってしまう。

 何度も正法眼蔵を読もうと挑戦したが、その都度挫折した。理解が出来ないのだ。理解力がないから理解できないという以上に、論理とはいえないもので書かれている。分かる部分と言えば、様々な作法である。まさに箸の上げ下ろし、顔の洗い方、歯の磨き方、等々の生活のすべてが難解な言葉で、細かく細かく書かれている。

 実際の生死に関わることが一番重要だと書きながらも、生死を究る事が、箸の上げ下ろしと言うことになる。修行する人間一切の行動から、意志を取り去ろうとしているように思える。仏道に生きるものは石になり、一挙手一投足をこの規範に従い日々を過ごして死ねば良いと言うことのように読める。それでも、曹洞宗の僧侶なのだから、もう一度読んでみようかと思っている。

 確かに絵をもう一歩進めたいと言うことはある。と言っても進む先はあやふやな世界だ。どれほど描こうとも進んでいるのか、交代しているのかが見えない。上手になれば良いわけではない。評価されれば良いと言うこともない。自分の納得と言うことなのだろうが。この辺りが禅と似ている。

 描いた絵が自分が描いたとほこりをもてるところにまで進みたい。昨日より今日である。今日描く一枚に期待して、進んでみるほかない。絵など描いていては、道を誤ると言うのが道元禅師の教えである。確かにそうらしいと言う感触はある。しかし、只管打坐に徹すると言うことは人間として生きるということを止めると言うことでもある。庭石になれと言うことだ。この矛盾を得度して以来60年近く考えてきたことになる。

 絵を描くという目的と同時に、のぼたん農園の完成がある。自給の暮らしの実際を形として作り上げたい。これも欲の一つなのだろうが、やり遂げなければおもしろくない。そこまでやらなければ、今まで何をやってきたのかと言うことになる。

 人間の未来に期待しているからなのだろう。人間は様々な思想の元に社会を作ってきた。原発事故が起こった。コロナパンディミックが起こった。ロシアが侵略戦争を始めた。すべては資本主義が限界まで到達し始めた結果はと見て良いのだろう。

 中国の国家資本主義が競争に有利となった。もう一つが資源国だけが豊かな国になる。自由競争が限界になり、起きていることだと考えられる。真面目に正直に働いていれば、普通に生きていけるという状況は遠ざかっている。要領の良い、小賢しい人間だけが豊かになる嫌な社会。道元禅師は貧しいことが大切だと書いている。

 資本主義の限界が人間の倫理を壊し始めている。にもかかわらず資本主義の次にある経済の姿が見えてこない。中国は共同富裕をかかげながら、その実態はすさまじいほどに貧富の差のある社会である。これは極端な経済成長のひずみかと思われるが、実態はさらに悪い方に進んでいる。

 歪んだまま中国はより独裁国家となり、世界への影響を強めている。世界の状況がより中国を独善的な国家にしていると言うこともあるのだろう。中国も遠からずその独善のままには進むことが出来ない時が来る。独裁という形は必ず失敗が伴う。

 プーチンも失敗したが、独裁のためにそれを正す仕組みがない。正す仕組みがなければ、最悪の暴発まで進まざる得ないのだろう。戦争という物のくだらなさを痛感する。それが人間のデタラメなのだろう。中国が同じような失敗をしないことを願うばかりである。

 人ごとではなかった。自分のことである。自分がやりきれるかであった。やりきるためには、人の手を借りなければならない。多くの人と交わり、多くの人と共に進めることだ。それ以外に自分という物を生かす道はない。禅も修行道場を作り、一人でやってはならないというのはそのことだろう。

 禅は道元の書いた書物を読んでも病気かと思えるほど独善である。人の爪楊枝の使い方などどうでも良いはずである。それが黙っていられない人である。こういうある意味病的な人が、一つの宗教を作り出せたのはまわりの人の御陰だろう。

 回りに良い人がいたので、曹洞宗という宗教は成立したに違いない。人間をみがくには人間という砥石が必要である。里芋の皮むきのように、人間どおしが擦れあって始めて、丸みが出てくる。皮が向けで本質が現われてくる。良い仲間を大切にすることだ。

 
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五輪汚職も統一教会も同根

2022-10-11 04:11:01 | Peace Cafe



 東京オリンピックは経済活性化が盛んに言われて開かれたオリンピックだった。経済効果が何百億円だとか、だから開催すべきと言うことだった。確かに金儲けをしたい人には格好の機会だったようだ。こんな情けないオリンピックの開催国になるべきではなかった。

 誘致活動でも確か竹田恒和・元招致委員会理事長 は賄賂起訴されて裁判をしているのでは無かったか。竹田という人はそれで止めたはずだ。日本人の拝金主義がオリンピックという場をとおして、世界に宣伝されている。国家の品格が泣いている。

 日本人がこれほどお金に卑しいとは、がっかりしてしまった。清貧を美徳にした日本人はどこに消えたのか。ホリエモンが登場した頃から、拝金主義がまるで正しい行為のように扱われ始めた。犯罪ギリギリの線の金儲けが奨励されている。上手く法律をかいくぐり金儲けした物が勝利者だという考えが、力を持ちはじめた。

 残念なことに日本人の倫理観が変化したのだ。金儲けが卑しいことだという倫理観がかつてはあったのだ。昔の話で、そんな倫理観があったと言うことすら、大半の人に忘れられているようだ。最近は金儲けを上手くやったという話が一番興味をひくらしい。ネットにはお金の儲け方が満載である。人を集めるにはこうして、ああして金を儲けたという話が一番のようだ。

 たぶん株式投資が政府から奨励されるように成って以来、投資で儲けることに罪悪感がなくなったのではないだろうか。政府は税金に於いても、投資を奨励している。相場師と言えば、昔であればどこか胡散臭い匂いがあったのだが、いまやはまっとうな職業のように思われているのではないだろうか。高利貸しの金色夜叉は明治の話である。

 オリンピック汚職はそんなこともありそうだと誰もが感じたと思う。経済効果が一番に強調されたオリンピックだったのだから、オリンピックで金儲けして何が悪いか、と言うことだろう。当然それに便乗して一儲けしたいという人は群がったはずだ。

 一体何千億円も賄賂を払って何が儲かるのかが分からない。角川書店ではオリンピックオフィシャルスポンサーになると何千億円も本で利益を上げられると言うことなのだろうか。そんなことはあり得ない。何か見えないことがまだある。

 電通の高橋とかいう人は、なんとあの強面の森元総理さえ脅していたというらしい。森氏も後ろめたいことがあったのだろう。闇の中にある電通の情報操作が伴う商売方法をオリンピックに於いても用いてしまい、東京オリンピックの組織委員会の理事が公務である事を忘れたに過ぎない。

 自民党の政治家の多くはこのあやうい塀の上の綱渡りをしているような人達だ。ホリエモンも自民党から衆議院に立候補したことがあったのだ。そして落選したら塀の中に落下したのだ。どうも塀の中で少しも更生はしなかったようで、相変わらずである。

 今頃になってオリンピック汚職が問題になったのは安倍氏が死んだからだ。違う勢力が金儲けのために敵対勢力を壁の向こうに引きづり落とそうとしているのだ。多くの選挙民がそんなもんだと考えているから、自民党政権がどれほどひどいことをやっていても、金儲けさえさせてくれる方が良いと支持される。

 泥棒の集団の中で、リーダーを決めれば、一番泥棒が上手いやつがリーダーになる。社会の大勢が拝金主義になれば、一番金儲けさせてくれそうな人物が選ばれるのが、日本人の行う議会制民主主義だ。金儲け党のしずかな独裁が始まるのだろうか。

 私は立憲民主党の立党以来の支持者だった。立憲民主党には大いに期待をした。随分馬鹿にされたわけだが、それでも期待する気持ちは持ち続けてきた。ところが、その立憲民主党の中にも統一教会の集会に出たような人が何人もいた。

 これはひどく辛いことだった。まさかのことだった。政治のことを考えることがつくづく嫌やに成った。あきれて物が言えない。当選しなければ始まらないという選挙至上主義なのだろう。何故勝共連合に立憲民主党が繋がるのか。いくら何でももう立憲民主党は解党しなければだめだ。

 宗教の名をかたる集団が政治組織に近づいてくるのは、必ず見返りを求めてのことだ。統一教会は今も政治家を応援すると、平然と息巻いている。これは自分たちを抹殺して困るのはあなた方ですよと言っているのだろう。自分たちを見捨てれば、落選させると脅しているのだろう。劣化した民主主義がこの事件の背景にある。

 拝金主義社会では拝金主義のオリンピックになる。結局金メダルもお金のメダルにしか見えなくなる。クーベルターンのアマチヤリズムは遠いい昔の話になった。思い出してみれば金沢大学の美術部はアマチヤリズムを主張していた。プロの絵描きには藝術としての絵画を探求できないという考え方だった。

 その考えはいまでも引きずっている。生活が藝術の前に来れば、藝術はどこかへ行ってしまう。それは宗教と同じだ。金儲けが先に来るようになれば、大なり小なり、統一教会と変わらない。絵でお金を稼ぐ人が、良い商品絵画を描く人と言うことになる。いつの間にかそれがお金の必要な芸術院会員であり、文化勲章となる。

 創価学会だって似たような組織だ。現世利益である。しあわせになりたいから宗教を信仰をする。しあわせはお金がある事だから、コロッと金儲け話の御利益にすがりつく。お金に惑わされるようなしあわせなどない。そのことを教えるのが宗教ではないのか。

 のぼたん農園は、お金から離れて進みたい。儲かるとか経営とか、そういう物とは関係のない農業である。これは確かに農業者には嫌われる。しかし、普通の農家が消滅する時代に、農業が生き残るためには、アマチヤリズムしかない。

 自分が食べるものを自分の手で作るという原点で進みたい。どこまでも楽しいことをやる。やりたいことをやりたいだけやる。お金になるからやるなどと言うことは一切考えない。農業者には抵抗があるだろうが、この原点に立ち戻りたい。

 資本主義の次にあるものを示すためには、お金から離れる必要がある。農業と言えば、経営が問題にされるが、そういうことから一番遠いいところで、「のぼたん農園」はやって行きたい。お金のことは一切考えない農園でありたい。この考え方は一番理解されにくいかも知れないが、ここだけは徹底しないと道を間違うことになるだろう。


 
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陰謀論とエセ科学

2022-10-10 04:09:32 | 自然養鶏

 田んぼに植えられたサジオモダカ。

 コロナワクチンを打った人は5年後に死ぬというようなデマを流す人達がいる。情けないことに、こんな悪質なデマに乗せられる人がいる。これが今のご時世と言うことなのかもしれないが、ネットで情報が流れるように成って、どんな馬鹿な話でも、ある意味病的に歪んだ人達の間で蔓延する。

 蔓延し始めると、それほど異常ではない人までうっかりはまる。はまってその筋の情報を繰返し読んでいる間に、本の狭い範囲の歪んだ情報を、世間での当たり前の話だと思い込んで行く。生の人間との交流が不足したまま、ネット社会の中に漂う危険である。

 そもそも人間は一人でいれば歪んで行く動物である。多くの人間と接触し、交流することで、常軌を保てるのだと思う。怖いのはネットでの疑似交流を繰り返している内に、その歪んだか乗用の渦に巻き込まれてしまい、自分が多くの人間の間で生きているような錯覚に陥る。

 そして歪んだ人間同士の情報交換の結果おかしな情報を、みんなが知っている既定の事実のように思い込んで行く。統一教会の中にいれば、おかしいのは外部の人間で、統一教会が被害者のように思い込むのだろう。良い人間と交わることがいかに大事かと言うことになる。

 金正恩独裁者でも良いが、プーチンでも良いが、習近平でも良いが、まともな正しい人間との交わりがないのだろう。独裁者は祭り上げられて行く内に常軌を逸する。プーチンが徐々に追い込まれてゆき、どういう終わり方をするのかは着目に値する。

 それぞれに歪んだ能力は傑出しているから独裁者になるのだろう。ところがまともに批判する人を失えば、人間のゆがみが生じる。一度歪むとそのゆがみに適合する人が集まる。歪んだ人間達の集団が出来る。こうなると取り返しの付かないような独裁が生まれるのだろう。

 批判をしなければならない。あらゆる事を疑ってかかる必要がある。確かにコロナワクチンが安全なものであるかは、科学的な思考をしなければならない。政府の発表を鵜呑みにしてはならない。世界で行われた結果を冷静に見なければならない。

 コロナワクチン陰謀論の根拠は、人口増加を抑えなければ人類の永続性が無いと考える人いて、人口増加を抑制するために、コロナワクチンの接種をしているというような繋がりらしい。そもそも、人口増加を願っている日本社会ではあり得ない話だ。

 陰謀論を信ずる人は、世の中に対する不満が大きい人なのだろう。何か社会の裏では陰謀が渦巻いているために、この社会全般に許しがたい不満な状況が作られていると思い込んでしまう。そう信じんたい心理があるから、陰謀論が生まれる。

 水ビジネスという物がある。水に何か一見科学的と見えるような操作をして、その性質を変えることで、環境で起きている問題が一気に解決できるという、機器の販売をする事業である。人間が環境や健康に不安を抱えている時代である。何かにすがりつきたいという気持ちにつけ込む商売である。

 統一教会の霊感商法と同じである。水ビジネスをやる人は様々旨いことを主張するが、その根底には金儲けが必ずある。創生水という物があった。長野の上田の人で、確か深井さんと言われる方が小田原に営業のために見えたことがあった。

 創生水を使えば、田んぼが無農薬で出来る。養鶏では最高の卵が出来るという売り込みであった。小田原にその営業所のような物をやられた人がいて、その人が農の会でも使うように、深井さんを呼んで農の会で話をして売り込みをしたわけだ。

 私が自然養鶏をやっているので、上手く巻き込めば商売になると考えて、熱心に誘われたのだろう。上田の方に用事があったので、それを使っているという実際の畜産を見せてもらうことにした。エセ科学に違いないと思ったけれど、創生水を使って匂いがまったくない畜産農家があると言うので、実態はどうか見に行った。

 ひどい匂いがしていて、これでは創生水がエセ科学だと言うことの事例のような物だと思った。それでもつべこべ、機械が最近壊れていたらしいとか言い訳をして、余りに熱心なので、そこまで言うならどうぞ田んぼを紹介しますので、そこで創生水を使ってやってみてください。きちっと収穫まで出来たならば、考えましょうと約束した。

 それでその営業所の人が田んぼをやってみた。ひどい田んぼになってしまい、収穫もろくに出来ないで終わりになった。そこでもさまざま言い訳をするので、それならもう一年やってみてくださいと話したが、さすがにやることはなく話は終わった。

 養鶏所の水も創生水にしろと散々言っていた。そう考えるなら、2ヶ月以上経過した卵が孵化できる生命力を持ったときに相談しましょうと話したら、どこかでやるようなことを言っていたが、これも成功せずに終わった。エセ科学は話だけで、実戦すれば嘘は明らかなのだ。

 陰謀論もエセ科学も、理屈だけで現実がない。ネット上の話は実践が伴わなくても、話や映像はいくらでも偽造できる。注目されたいと言うことで、静岡で洪水が起きているという映像を流した人が最近もいた。この注目を集めると言うことが、お金と結びついている事があるから、要注意である。

 ユーチューブでは1000人ぐらいの人が登録をすると、お金になるらしい。そういうことをユーチューブの料理を紹介しているひとが言っていた。自分は料理を紹介したいと考えていただけなのだが、ユーチューブからお金が振り込まれたと言っていた。

 まだ仕組みがよく分からない。何時どこで自分の口座を登録したのだろうか。映像を公開するには登録費用がいるので口座を伝えたのだろうか。お金になると考えて、何かに登録するのではないのだろうか。まあどうでも良いが、ネットが陰謀論の発生源になりやすいと言うことだ。

 プーチンの侵略戦争もネットで影響を受けるようになっている。いかにも事実のような嘘が蔓延している。これを判別するのはほとんど不可能だろう。しかし、様々な物を冷静に判断しながら見ていると、新聞やテレビ報道よりは事実が見えてくることがある。

 新聞という紙媒体が、テレビが出来て機能を変えた。テレビも新聞もネットが出来て機能を変え始めている。まだどこに落ち着くのかは分からないが、ネットは個人を尊重したが、個人がよほど自立していないと、社会全体が陰謀論やエセ科学にだめにさせられる危険があると言うことになる。
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第130 水彩画 日曜展示

2022-10-09 04:04:40 | 水彩画
第130 水彩画 日曜展示

10号前後の作品です。





922「岬の村」
2022.10







923「渓谷手取川」
2022.10






924「篠窪雨」
2022.10



925「名蔵シーラ原」
2022.10







926「宮良川」
2022.10






927「斜面の畑」
2022.10






928「金石港」
2022.10






929「篠窪の雨」
2022.10





930「医王山の田んぼ」
2022.10






931「並んだ樹木」
2022.10


 小田原で描いた絵。金沢で描いた絵。戻って石垣で描いた絵。混ざっている。何故こんなに違うのかと自分でも驚く。なんとなくは感じていたが、考えていた以上に描く場所で絵が変わる物だ。

 風景を写していたわけでもない。その場所にある何かに随分と影響をされて描く。描く場所が絵にはとても重要だと言うことなのだろう。当たり前のことだろう。
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円安と日本の衰退

2022-10-08 05:08:12 | Peace Cafe



 円安と言われている。アベノミクスが始まり、マイナス金利を続けているから、金利を上げ始めたアメリカに世界の投資マネーが流れてゆき、日本への投資が減って来た。円はを買う人が減少して円安になっている。これがアベノミクスの目的なのだろう。

 円が安くなれば、日本の輸出品は海外に売りやすくなる。企業は販売が増えるのだから、儲かる。アベノミクスの本質は企業優遇である。企業が良くなれば、給与として労働者に配分が増えると言うことが言われていた。ところが賃金は増えるどころかこの間、賃金の相対的価値が低下した。

 円安であるから、当然輸入産品は価格が上昇する。日銀の主張してきた消費者物価の2%の目標は超えた。普通の生活者は苦しいくなり、貧困指数はかなり深刻なところまで来ている。それがアベノミクスの目標としていたことなのだ。企業の既得権益を守りさえすれば良いという、現状維持派の希望だったのだ。

 この間日本の経済はアジアでも中間層に位置するようになった。日本の経済低下が言われている。アベノミクスが日本を衰退させたと考えているが、アベノミクスは成功だったという人が未だにいるぐらいなのだから、もう少し違う原因があるのだろうかと思う。

 日本をここまでダメにした責任者が、国葬を持って弔われるということがどうにも耐えかねる。この10年何か良いことがあったのだろうか。悪い事ばかりに思える。せいぜい安倍氏に功績があると言う人がいるならば、もっとひどいことになるところを、いくらか軽減したという主張ぐらいだろう。

 それでも円安は日本経済には悪くないのだから、継続すると主張している。その主張を聞いていると、日本の相対的な実力はかなりひどい物になっているので、円安ぐらいしか生き延びる方法がないのだ、と主張しているように聞こえる。

 ホルベインの水彩絵の具を購入してみた。以前からホルベインの水彩絵の具は十分使えるという話は聞いていた。先日の水彩人展で絵の具の専門家であるワタさんから、ホルベインの絵の具は信頼して大丈夫だという話を伺い、それなら一度使ってみようかと考えた。

 30年前に始めて水彩画を描き始めたときはホルベインの水彩絵の具を使った。ところが色が重く、明るい発色が物足りなかった。それでニュートンに変えた。はるかに明るい色調で驚き、それ以来使っていた。ところが7,8年前に突然色が濁った。

 色によっては使えない物がでてきた。そこでシュミンケの絵の具に変える色が出てきた。それ以来、シュミンケとニュートンを使って何とかしている。何とかしているが、色については不満を持ちつつ止むえず使うという状態で来た。

 絵の具はかなり大量に購入してある。2,3年ぐらい買わないでも十分に絵の具ある状態で安心が出来ない。円安の時に絵の具は買わないでも良い。そのうち円が戻れば買おうと思っていたのだが、円はさらに安くなると思われる状態である。

 こうなると買わないで居ればいるほど、絵の具は高くなるばかりと考えた方が良いので、そろそろ買うかと考えた。しかし、待てよこの先外国の絵の具など買えなくなるぐらい円が安くなるのかも知れない。それなら、ワタさんの話もあるので、一度試しにホルベインを買ってみようと決断した。

 円安はこの先さらに進み、海外旅行どころではなくなるのではないだろうか。残念なことに大好きな台湾にも行けなくなるのかも知れない。海外旅行など夢のまた夢だった、あの昔に戻るのかも知れない。何故これほど日本が衰退してきたのだろうか。

 日本の生産性が低くなったと言われている。工場の合理化や革新が出来ない。労働者が新しい世界の働き方について行けない。と言うようなことよりもどうも、日本の働き方がおかしくなっている気がして成らない。

 一ヶ月以上前にのぼたん農園に水道を引きたいので、水道屋さんにお願いをした。ところがお願いした水道屋さんはそんなもんですよと言うのだ。まさかと思い、役所に確認に行った。役所のひとが言う理由は届け出の書類が不足しているからと言うのだ。

 それなら不足している書類を申請した水道屋さんに何故出せと言わないのだと聞いたが返事がない。どんな書類かと聞けば、農業委員会の証明書だという。それならすぐ隣が農業委員会なのだから、その書類はそこにあるのだから、聞いてくれれば良いだろうと言った。

 そんなことは自分はしないとぐずぐず言うから、一緒に農業委員会に行こうと無理矢理行ってもらった。するとその必要な確認はその場で分かった。こんな馬鹿なことで1ヶ月も待たされたのだ。しかし、こんなもんですよ、と平気で返事をしていた。

 水道屋さんは書類不足の上に、何故一ヶ月も聞きに行かないのだろう。1ヶ月水牛に水を運ぶ負担を想像して欲しい。農業者が水牛を飼うために、農地に水道を引いてもらう権利はある。何故、農業委員会の許可が必要なのかも理解できない。

 何しろこの水道屋さんは申請費用だけで4万円請求しているのだ。4万円の仕事ぶりがこんなものか。私自身がやっていいなら、3000円で出来る。水道屋さんが申請しなければならない決まりだから我慢しているだけだ。専門家が専門家の役割を出来なくなっている。

 この仕事ぶりを見て、つくづく日本の労働生産性の低下の原因を実感した。こんな状態では国際競争力が低下して当たり前だ。つまり、人間の能力が低下したのだ。総理大臣の能力も随分低いと嘆いていたが、そうではないようだ。

 日本人全体の能力が低下を始めていると考えた方が良いようだ。これでは生産性が下がるのは当たり前の事だろう。何故日本人の能力が下がったのか。それは百姓が減ったからだ。百姓の眼と技を日本人は失った。自然を見て手入れして行く能力を失った。

 教育から作務が失われた。身体で覚えなければ身につかないことがある。歩き方だって、走り方だって、人間が生きていく基本動作は身体が動いて学習して身につける。物を見るという能力は物を見て判断して、徐々に身につく。百姓仕事はそういう人間の能力を育てる仕事だったのだ。

 家の中で、スマホやテレビゲームをやっているのでは人間は育たない。自然の中で自分の食べるものを作る。生きると言うことの根源を知る。こういう人間の原点を育む暮らしのやり直しをすること。これ以外に日本の再生はないだろう。
 
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動禅体操を楽しめる

2022-10-07 04:07:00 | 暮らし


  動禅体操を続けている。石垣島に来て太極拳を始めたのだから、4年目に入っていると言うことになる。最初はスワイショウ、八段錦、太極拳を教わりながら、見たとおりやると言うことだった。一年ぐらいが経過した頃から徐々に自分流なものに変化した。

 今は太極拳をやると言うよりも動禅を行うという気持ちでやっている。日本では道元禅師が提唱した座禅という物がある。曹洞宗の僧侶であるから、寺院で修行をしたこともある。家で座禅を続けたこともある。しかし、私には座禅を続けることは出来ない出来た。

 このまま座禅をやれないままで終わるのかと思っていたのだが、考えを変えて、動禅をやることにした。動禅という物があったはずだと考えるようになった。立禅という物はわずかだが今も行われている。日本立禅会という物があるようだ。

 そこでやられている立禅を動画で見せていただくと、動禅とはほとんど関係がない動きのようだ。立禅はインドでヨガの一つ形として行われていた物だと考えている。達磨大師やその他のインドのヨガの行者が中国に仏教と共に伝えた物だと考えて良いだろう。

 達磨大師は座禅を仏教の修行法として座禅宗と呼ばれるような仏教の宗派を作る。座禅宗は仏教ではあるが、老荘思想の影響を受けて、中国的な禅宗という物に変わって行く。それは1600年ぐらい前の時代である。日本には仏教はその少し前に伝わっている。その後いまから1000年ほど前に、道元禅師が中国から日本に禅宗を伝えることになる。

 道元禅師は只管打坐を教義として他のことは行わない。たぶん、道元禅師が中国に行かれた時代にはまだ、立禅も動禅もあったと思われる。ただその時代には座禅を強調したこともあり、他の禅の修行法は排除されたような気がする。道元禅師にその意図があったのかは分からないが、1000年前の中国では修行法として、様々な物が混在していたかも知れない。

 私は山梨県の藤垈にある小さな曹洞宗の寺院、向昌院で生まれた。祖父は黒川賢宗という僧侶で、私が15歳の時に得度した師匠である。祖父は幕府の通弁であった父を幼少期に失い、寺院に預けられ育った。若い時代は北海道に宣教師として渡るが、身体を壊し本山に戻り、後に向昌院の住職になる。

 向昌院は自給自足の暮らしをしていた。そこで私は生まれたので、自給自足をする僧侶の生き方は見て学んだ。祖父は毎朝お勤めと言うことで勤行は行っていたが、僧侶らしい人ではなかった。座禅をしたのは見たことがなかった。

 座禅を始めたのは世田谷学園の中学に入学したときである。当時の世田谷学園にはお寺のような禅堂が有り、そこで早朝座禅が行われていた。そこで三沢智雄先生にお会いし、僧侶という物はすごいと言うことを感じた。そのことがあって、15歳の時に自分の意志で得度をすることにした。

 座禅修行は自分なりに本気で取り組んだのだが、何度も挫折した。只管打坐という物が、一切を排除するということで、私にはどうしてもそれが受け入れられなかった。絵を描きたいと言う思いと座禅以外のことをやってはならないということで、耐えられなかった。

 座禅をやることは、山北時代も、小田原時代も、繰り返してきたのだが、やりきれることはなかった。石垣に移り、どのみち座禅を継続できないのであれば、自分のやれる形を考えてみよう言う考えになった。それが毎朝行う太極拳を動禅という形で考えてみようと思うようにいつの間にかなった。

 動禅は徐々に整理されてきていまは、スワイショウ7分。八段錦12分。立禅12分か18分。24式太極拳12分。と言うことになってきた。45分から50分ぐらいのものである。よく続いている。続いているのは前向き気持ちで取り組める物だからだ。

 歳をとり健康が気になるために、健康体操が必要と言うことがある。毎日動禅を行うことで、健康が維持されているという実感がある。これが継続の一番の原因である。そして、動禅を行うときの心境が絵を描くときの心境に重なってきたと言うことがある。

 絵は描きたいだけ描いているわけだが、その時の気持ちは、動禅を毎朝行うことで、余計なことは考えなくなっている。静かに落ち着いて絵を描くことに専念している。いい絵を描こうというような気持ちがなくなり、ただ絵を描くことになる。

 気持ちよく絵が描けるのは動禅によると言うことが分かる。そこで動禅が継続されているのだと思う。動禅が出来るのは座禅ほど動禅は辛い修行では無いからである。座禅は足がいたいということもあるが、50分から動かないと言うことも辛い。身体にも悪いという意識がある。

 動禅はすべて目をつぶってやっている。パラリンピックを見てそうかと思いついた。眼を閉じて行うことで、意識が集中できる。動いているから寝てしまうこともない。最初はふらつきすぎたが、今は何とか眼を閉じてそれなりには出来るようになった。足を上げて静止するという当たりは今もふらついてしまい出来ない。

 背伸び禅が18分は背伸びをして立っているだけである。これも最初は出来なかったが、今は何とか出来る。大抵は12分にしている。余裕があるときだけ、18分にする。背伸び禅が一番座禅に近いものになる。もちろんまるで違うわけだが、私としては座禅のつもりでやっている。

 背伸び姿勢で立っているとよほど落ち着いていなければ揺らいで動いていてしまう。安定した気持ちで、静かな心境に集中して行くことが出来る。気持ちが動くと姿勢も動いてしまう。おかしな背伸び姿勢だが、私のような安定しない人間が気持ちを集中して行くのに丁度良い物だ。

 背伸びの姿勢は体操としては太ももと袋はぎの筋肉を鍛える。ただ背伸びをしているだけでそれなりの、筋力トレーニングにも成っている。ここが何でも一挙両得を考える物として、都合の良い禅的体操と言うことになる。

 おかしな動禅ではあるが、継続することができると言うことが一番有り難い。その上にさすがに3年を超えて毎朝やっていると、何か恩恵を感じるようにも成ってきている。気持ちが安定してきた気がする。前向きに日々を生きることに成っている。
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ウクライナ戦争の終わり方

2022-10-06 05:18:15 | Peace Cafe


 ロシアが予備役の人達を30万人徴兵を始めた。これはロシアがこの侵略戦争に失敗したと言うことである。ロシアがこの戦争に勝利する可能性はなくなったと考えて良いだろう。正義のない侵略戦争が失敗に終わることは、喜ばしいことだ。

 プーチンは我が身の先行きの不安で夜も眠れないことだろう。この状況で寝ていられるようなら、まともではない。戦争に敗れれば、プーチンは侵略戦争の責任をとらされ、1000年ぐらいの禁固刑になるだろう。それには耐えられないだろうから、核兵器の使用をすべきか、思い悩んでいるはずだ。

 核兵器を使ってもロシアは勝てない可能性が高い。ロシアがますます悪者になるからだ。さすがの中国も、インドも、その他の衛星国も、ロシアのあからさま支持は出来なくなる。ウクライナ人を殲滅することは出来ない。ウクライナ人のロシアに対する憎しみはますます強くなる。

 不安に駆られる世界はロシアの無謀な核戦争を止めさせるために、それこそ核爆弾をモスクワに落としたほうが良いと考えかねない。この予測は外れる方が良いわけだが、この予測に進まないための道は、ロシア国内からの反プーチンの動きだ。

 このロシアの敗北も見えてきた状況は、ロシア人は想像を超えたほど深刻に受け止めているはずだ。今や敗北した場合どうなるかばかり考えているはずだ。ロシアから脱出をした人が続々と出てきている。ロシアで反プーチンの動きを出来ないから、逃げる道以外考えられないのだろう。

 独裁政治の怖いところである。どこまで間違ってもその間違えを認めることが出来ないのだ。民主主義は経済競争に負けると最近評判は余り良くないが、さすがに次の選挙と言うことはあのトランプさえ考えて行動していた。岸田内閣の支持率が50%をわったと言うことが盛んに報道される。

 ロシア国内で反プーチンが起こる可能性はないのだとしたら、この戦争は核使用まで行く可能性が出てきている。プーチンの狂気を正す力がどこにもないと言うことになる。そんな馬鹿げたことになるのは、ロシアのこの100年間の政治の失敗だ。

 革命以前の帝政ロシア時代の民衆の後進性もある。国民の後進性を残したまま、軍事大国になったロシアの不幸である。政府の間違いを正すことが出来るのは、自国民だけである。明治日本帝国も敗戦という大きな誤りをしたのだが、原爆を落とされるまで、自国民が間違いを正すことは出来なかった。

 その後進性は克服できたかと言えば、たぶん十分には出来ていないのだろう。今も仮想敵国中国に対して、反撃能力の強化ばかりが進められている。国民もその方が安心だと政府の方針を概ね支持している。沖縄にはいくらか申し訳ないが、その防人役になってもらおうと他人事のように考えている。

 ロシアがウクライナ侵略を失敗したときに何が起こるか。何も状況は変わっていない。中国対自由主義連合と言う構図はより鮮明になることだろう。中国の経済成長が止まることをいくら願ったところで無駄である。中国の人口は自由主義連合よりも多いのだ。

 中国は拝金主義的資本主義競争に勝つ仕組みを持っている。それは今後より顕著になる可能性が高い。アベノミクスが成功しなかったのも、国家資本主義では無いからである。新しい産業の創出などと政府躍起になっても、各企業は保守的に内部留保を高めるばかりなのだ。

 アベノミクスは企業を潤し、貧富の差を拡大しただけに終わった。今もそのアベノミクスを良しとしているのが、岸田内閣である。どこを探しても新しくない拝金主義的資本主義なのだ。世界が競争を止めない以上、競争に勝つ以外に道を見いだせないでいる。

 ウクライナの戦争が幸いにロシアが勝利はしない結果に成るとしても、何も解決はしていない。終わりなき対立が残るはずだ。日本の平和主義は今のところ何も機能していない。国際問題は平和的手段で解決するという拳法による政府に対する指示は何も果たされていない。

 日本が今やるべき事は中国との外交関係の改善である。日米同盟に依存しすぎる今の状況は極めて危ういと言うことだ。ウクライナとロシアは戦争を回避する機会はあった。ウクライナがナトウに加盟すれば、ロシアの安全が危機を迎えると考えたロシアを甘く見ていた。

 ナトウが徐々にロシアの衛星国を加えて行けば、ヨーロッパの安全が高まると考えてしまったのだ。このナトウとアメリカの戦略の間違えが、結局ロシアの不安を高め最後には無謀な侵略戦争にまで進ませることになってしまった。戦争を止めることはできた。

 その意味ではアメリカはいつもウクライナ戦争のような代理戦争がどこかにある状況を望んでいたのかも知れない。そして、今度は中国との代理戦争を想定している。代理戦争が起きていることで、アメリカの戦略に筋が通ってくるからだ。

 日本は台湾への中国の軍事侵攻があれば、他人事ではなくなると考えて、アメリカとの軍事同盟を強めることが国是になりかかっている。これはウクライナ侵略が起きた結果である。ウクライナ侵略は起こるとアメリカは事前に何度も警告をしていた。

 しかし、その外交交渉の場は成立しないまま、ロシアの侵略戦を起してしまった。今の状況は多くの人の命が失われているという悲劇である。しかしそれ以上の悲劇は戦争は何も解決できないと言うことである。ロシアは自国の安全を高めようとして、ナトウ加盟国を増やさないために起した戦争の結果。むしろナトウ加盟国を増やす結果になった。

 台湾問題もまったく同じである。台湾と中国の関係は外交交渉によって、解決すべきなのだ。それ以外に戦争を回避する道はない。アメリカは望んでいるかどうかは別にして、台湾で代理戦争をする覚悟を持っている。台湾も、中国も徐々に軍事的解決を主張するようになってきている。

 これではウクライナ戦争の反省が生かされないことになる。軍事的解決なぞどこにもないと言うことだ。台湾に中国軍が侵略をすれば、当然ウクライナと同様の代理戦争になる。今度はロシアよりはるかに経済力の大きい中国と、アメリカの戦いになる。

 世界はウクライナの失敗から学ぶべきだ。アメリカやナトウ諸国はロシアが勝利しなければ、長く膠着する戦争を継続するだろう。戦争が起これば、継続することを望む勢力が登場する。まして、ロシアという悪役が眼前にいる。

 世界はそれどこれはない状況である。1,緊急的に気候変動を回避しなければならない。2,中国と世界が対立しないようにしなければならない。3,これ以上核兵器をどこの国にも持たせてはならない。4,世界経済を拝金主義から抜け出させなければならない。5,次コロナコロナパンデミックに備えなければならない。 
 
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野菜スープ健康法

2022-10-05 04:34:48 | 暮らし


 サクラである。なかなか頭の良い水牛でよく考えて行動する。一を判別して対応するところがある。子供でも背中に乗せておとなしくしている。先日脱走してみんなを驚かせた。4番溜め池の当たりにつないで草の片付けをさせている。

 毎朝、野菜スープを飲んでいる。その御陰でコロナに感染しなかった。そう考えて良いと思える。体調の良い一番の原因は間違いなく野菜スープである。何度か感染が危ないと感じる場面はあったのだが、ここまで感染しなかったのは、コロナワクチン4回接種と、野菜スープの御陰である。

 ワクチン接種の御陰で作られたコロナウイルスにたいする免疫力を、身体の方から支えてくれたのが野菜スープ。今日は野菜スープの事を書くつもりだが、その前にコロナにかからないためには日々のやりがいが必要だと書いておく。

 ただ生きていると言うことでは生命は衰退する。やりたいことをやり続ける意欲と活力があれば病気にならない。私にとっては絵を描くと言うことがやりがいである。今もすこしづつ前進しているつもりだ。これは自己判断だが、たぶん間違っていないだろう。

 もう一つのやりがいはのぼたん農園の完成である。のぼたん農園は私以外には作ることは出来ないと思っている。自給のための有機農業の研修農場である。自給農業を35年やった私だけが出来る農場だと考えている。大抵の農業者に聞けばそんなもの不可能だと答える。

 些細なことの積み重ねのような農業技術がある。その小さな気づきが、成功するかどうかの分かれ目になる。有機農業はそういう観察眼の広さと深さが必要な物だ。昔の篤農家ならば、必ず持っていた物を見る眼のことだ。これは思想とも関連してくる。思想がなければ物は見えてこない。

 絵を描くことと、のぼたん農園を作ること。この2つのやりがいというか、生きてやり遂げなければならないと考えることがある事が、健康には重要。御陰で身体は衰えることがない。その身体を実際に支えてくれているのは食事である。原発事故以来、特に免疫力を意識して食事を考えてきた。

 その前にもう一書いておけば、体操の継続である。どれほど良いものを食べたところで、十分な運動がなければ、無駄になる。朝動禅体操を50分行う。これで心と体を整えている。動禅体操を続けているから、絵を描けるし、のぼたん農園の整備も出来る。

 肝心な野菜スープのことだ。免疫力向上の野菜スープを教えてくれたのは船越康弘さんである。30年前に山北でやっていた開墾生活の家に船越さんが来て、私の飼っていたササドリを料理してくれた。随分昔の話になる。船越さんもこれほど肉と血液のきれいな鶏は初めてだと喜んで料理してくれた。

 その時に教えてくれたのが、重ね煮という物だった。それ以来、少し自己流にした野菜スープを食べている。重ね煮はかなり面倒くさい物なのだ。重ねる順番はともかく、大量な野菜を細かく切るのがなかなか続かない。簡易版を作ってもらっている。それでも毎朝食べるのだから、これが健康の基板になっている事は間違いがない。

 あのときに船越さんはニュージーランドに移住すると言われていた。それは今までここで言われていることと、思想的におかしいことだと話した。地場の思想をその頃から強く意識していたからだ。確か行かれたと思うのだが、何故「わら」という物がそのままあるのかはよくわからない。重ね煮もそうするとなんかおかしいのかなと思った。

 野菜スープが免疫力を高めるメカニズムは私が書いたところで説得力はないだろう。百歳まで健康で生きたときに読み直してもらうほかない。理屈だけの話は嫌いだ。命の結果論である。私の絵が素晴らしいものになったときに、野菜スープも取り入れて貰えればと思う。

 野菜スープは野菜なら何でもかまわない。種類はおおいいほどよい。出来れば10種類の品目が目標。無ければあるものでもやる。やらないよりは望ましい。キノコや海藻は入れた方が良い。そして、少なくとも30分以上は煮る方が良い。

 生の物より良く煮込んだものの方が身体に良い。身体が吸収しやすい物に煮ることによって変わる。ビタミンが煮ると壊れるから、生が良いという人がいるが、私の身体の試験ではそんなことは少しもない。何でも煮た方が良いに決まっている。

 一人の時は寸胴鍋で、一度に多めに作り、毎日何かしら加えて行く。例えばスタートはキャベツ一個入れて始めることもある。細かく切て煮込んで行く。芯の部分も入れてしまう。毎食何かを加えて、煮込んで行く。その都度味は変えて行く。あきるからだ。

 こういうスープの作り方が良いのか悪いのか分からないが、面倒が無いからである。牛肉、豚肉や鶏肉の塊を入れて、煮込みながら塊を切り取って食べる。あくを取るようなことは特にしない。キノコがあれば何でも入れる。特に椎茸や舞茸がいい。海藻も入れた方が良い。

 塩味だった物に、醤油を加えてみたり、味噌を加えたり。入れる物や味付けで変化を付けて行く。朝にジャガイモなどまるごと入れて、夜食べると言うこともある。豆腐をまるごと入れるとか、卵はよく落として食べる。ともかく毎食火を入れる。しっかり煮ておけば、腐ることはないと考えている。

 特に煮込みたいときは、保温鍋で作る寸胴鍋を入れ込めるジャーになっている物だ。これだと一度温度を上げて入れ込んでおけば、1時間ぐらいに込んだことになる。これを毎食ごとに何かを足してはやる。このスープがあれば、後は碌でもないものを食べていても大体大丈夫だ。と言っても大食は行けない。できるだけ小食にしている。

 野菜スープにだけで、毎食十分である。朝ならヨーグルト。納豆。昼間ならば野菜スープに弁当。夜ならば、野菜スープに酒。あきないように変化を加えるだけ。何日でも継続して行くスープ。そうすれば面倒なく、健康を維持できる食事になる。
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ひこばえ農法、確認点

2022-10-04 04:09:25 | 楽観農園


 ひこばえ農法はなかなか難しい農法だと言うことが、やるほどに分かってきた。どんな農法でもそう簡単な方法があるはずがない。簡単な物ならば、すでに世界中に普及しているはずだ。いくつかの課題が見えてきたところだ。

 一番の問題点は、再生した稲がすぐに幼保形成期に入る問題。これは稲刈りを早めに行うことで、逃れられると言うことだが、現在試験中である。9月27日と28日に早めに稲を刈払機で刈った。それから1週間経過したところが、上の写真の稲である。稲の周りにある緑色のものがアカウキクサである。


 一番田んぼは現在一面のアカウキクサである。かなり密度が濃く重なりあうように出ている。ここまで来れば緑肥と言える量だろう。当然この覆い方であれば、したからざっそうが発芽することはない。

 課題1。アカウキクサで草が抑えられていて、切り株から、ひこばえが出てきたところである。1週間ですでに2葉期である。後2週間ほど育てて、幼穂が形成されないかを確認する。穂が形成されないならば、ひこばえ農法の最初の重大な課題が克服されることになる。

 課題2。病気である。病気の株が増える感じがする。病気の出た株からの再生では、ひこばえも病気が出る確率が高い。有機農法で栽培すれば、一定の病気は出る。モンガレ病などがでる。それがひこばえに持ち越されないかと言うことである。これもまだはっきりとしたことは分からない。

 課題3.雑草の問題である。雑草が繁茂を始めれば、代掻きをして雑草を一度抑えると言うことが出来ない。雑草が出ないように、徹底した抑草対策をしなければならない。今のところ、幸いなことに田んぼには田んぼ雑草はないから、この状態をどこまで保てるかである。


 熱帯睡蓮のティナである。2番溜め池はかなり覆われるほどになってきている。睡蓮の葉で覆われたために、コナギはなくなった。溜め池からコナギが田んぼに入ることは何とか防ぐことが出来たようだ。

 課題4。肥料の問題である。現在アカウキクサを栽培して緑肥にしようと考えている。アカウキクサを何度か漉き込んで、緑肥にしてゆく。腐食を増やす。また、溜め池にはミズオオバコと睡蓮を繁茂させ、その水が田んぼに入ることで肥料分を補う。これだけではひこばえ農法を続けるには足りないだろう。

 山から落ち葉を拾ってきて田んぼに入れることにする。これは年数回は行いたい。また、水牛の糞も集めては溜め池に入れる。溜め池から各田んぼに水がまわりながら、肥料分になるようにする。水牛の糞集めもこれからは定期的にやりたい。

 今年はよみがえり堆肥をできるだけ使わないで稲作を行いたい。購入するものを極力減らしてゆくことが今年の目標である。可能なはずである。もし余裕があれば、光合成細菌の培養も行い田んぼの環境改善と肥料として使いたい。

 これからの実際の予定を立ててみる。10月半ばまでにひこばえの再生試験を終わる。茎を切ってみて、幼穂が形成されていないかを確認。その後は10月中は田んぼの荒起こしと石拾いを行う。石拾いが終わったならば、田んぼの代掻きにはいる。今回の代掻きはかなり徹底した水漏れの起きないところまで行う。

 この間に8番田んぼを7番のすぐ下に移動する。8番、9番、10番は現状では水管理が難しい。そこで、今後新しい溜め池を作りで対応を考えることにして、先ずは8番を上に移動して、水が2番田んぼからも回せるようにする。これで8番までを安定した水管理の田んぼに出来るはずだ。

 この時点で、0番田んぼを今年どうするかも決める。田んぼを止めて、溜め池を広げた方が良いか。このままもう一年様子を見た方が良いか。8番を移動して、1番から8番までの全体を代掻きをしてみて、水がどの程度まわるかを見て決めるのが良いだろう。

 これらの作業は11月半ば、遅くとも11月末までに終わるようにする。11月下旬の良いタイミングで、一気に直播きを行う。鳥が出てきているので、鳥の害が起きないように、場合によっては全面を防鳥網を張ってしまうことも考える。黒い糸を徹底的に張ることが良いかとも思っている。白い紐をバタバタさせておくのも効果的かと思う。

 田んぼの整備と同時に、田んぼの間の畑の整備を行う。現在の状態では石が多く土が少なすぎる。幅は狭くても良いからトラックターが通れるくらいの畑はしっかりと作る必要がある。今度は軽トラダンプがあるから、上の畑から土の移動を行い。畑の整備をする。

 天水田は4mの畦がしっかりと必要である。ここを固めることで少ない水が有効に使える。水は一年を通して枯れること無くあることが分かったのだから、この水を使い2反の田んぼを旨く管理することが今後の課題になる。畦を広くしっかりと作り畦の畑として利用する。

 畦の畑には今年はソルゴーを植える。ソルゴーは風よけに良いと言うことが分かったから、3列ぐらいにソルゴーをまけば、かなり風よけには成る。このソルゴーを1年目は漉き込んで腐植を増やすことを目標にする。畑で実際に作物を作るのは3年目で良いかと思う。

 11月中旬あるいは12月初めに種を蒔いた稲は正月には5葉期を迎えるはずだ。5月中旬には稲刈りと言うことになる。早めに稲刈りをして、ひこばえ農法に入ることになる。9月にはひこばえの稲刈りになる。

 2期作として考えた場合、比較的早く2期作が終わることになれば、台風を避けることも出来るかも知れない。その意味では12月初めの種まきは良いかも知れない。ただし、寒さで発芽が出来ない場合も無いとは言えないので、まき直しの覚悟はしておく必要がある。

 

 
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水彩画の描き方

2022-10-03 04:25:11 | 水彩画

 わかば水につかる。

 絵の描き方がすこしづつ動いている。画面の状態としては色が濃くなっている。淡い描き方の絵も時々でては来るのだが、大抵は強い色になっている。それは石垣の色彩と言うことでもあるのだろう。強い光線下ですべての物がくっきりとしている。それがいつの間にか絵に反映してきたようだ。

 もう一つの要因は絵を描きながら、絵の中で求めている何かへの探究の過程が画面に残るように、描いている。どうやって完成の画面に進んだのかが見て分かる方がおもしろいと感じている。そのことは絵を描き始めた頃から意識していたことだが、画面にそのことが表現できるようにいくらかなってきたのかも知れない。

 絵を見る立場から考えてみると、絵を見てこの作家は何を表現しようとしたのかということを、想像しながら絵を見る。すると、その絵がどこに向かって試行錯誤されて、絵になったのかが、重要な要素になる。出来上がり以上に出来上がる過程が絵を見る上では重要になる。絵を見ると言うより、絵を読むという感じだ。

 ダリなのどのシュールリアリズムの絵画が、そうした絵作りの過程を見せない写真のような描写になっているのは、試行錯誤を見せたくないからであろう。作者の感情や人間性のような物を画面から消さなければ、意図する仮想空間が提示できないと考えたからだろう。

 商品絵画の多くが、名人芸を見せるようになるのも、作家の内的な人間表現では無いからである。巧みさやインテリアとしての完成度が際立つことが重要で、下手がやっと描いたというような物は商品には向かないだろう。美術品と考えればそういうことになる。日本画はその傾向が強い。

 しかし試行錯誤の過程が残る下手な絵こそ、絵の内なのだ。商品絵画は藝術として考えれば絵の外なのだ。絵は鑑賞者にとって絵である以前に、制作者にとって芸術的行為として制作されるものでなければ成らない。芸術は爆発なのだ。

 シュールリアリズムの絵画は絵の図像が問題なのだ。そこに未だかつてないような世界が展開されていて、その独特の世界が見るものに何かしら影響を与えられればと言うことだ。商品絵画もその描かれた図像が、インテリアとして収まることが目的と言うことになる。

 芸術としての絵画は、表現された作品が作家の精神の発露であり、その精神が画面を通してみる物に影響を与えようという作品になる。その意味で制作の過程が一つの表現に成り得る。中川一政の絵画には試行錯誤の集積のような時代がある。その試行錯誤の人間離れした執念が、画面に残されていて絵の醍醐味になっている。

 井上リラさんの若い頃の人体の絵が、まさにそういう絵で、最初に描いた形からはじまり、人体の見方が変化して行く、その完成までの行程が、美しいものとして残されていた。本人にそのことを話したことがあったが、本人はどうもそのことを意識していなかった。意識しないで藝術としての制作をしていたのだ。すごい人だと思った。

 淀井彩子さんの庭のシリーズにもそうしたところがあった。絵が出来て行く過程のほうが見ていておもしろいことがある。出来上がった絵を見れば、別段特別なことはないが、どこから始めてどこで終わったのかと言うことが分かるという絵はおもしろいと思った。

 その最もシンプルで決定的な絵が、マチスの作品「エスカルゴ」の絵だ。ロンドンのテートギャラリーで見た。その絵は塗られた色の紙が重ねて張り合わされて、巨大な絵になっている。重ねた紙だから、どんな順番に張られたかが想像できる。

 誰もが再現できる絵だ。たまたま子供達がマチスを見ながら、同じように色紙を作り作品の制作をするワークショップをしていた。まさに芸術的感動の共有化である。1枚目を於いたときの美しさ。2枚目を重ねたときの美しさ。そして完成したときの絵。

 芸術行為とは制作するという喜びに大半がある。このことを子供経ちに味わってもらおうというワークショップだった。若かった私はマチスから始められることを幸いだ思った。ところがマチスによって絵画芸術は終止符が打たれたのかも知れないと考えるように今はなった。

 マチス以降の絵画は、道を見付けられないで二分した。資本主義に迎合した商品絵画の道と。藝術としての行為は制作する自らの問題だとした私絵画である。私絵画は制作するという行為を重視する。舞踏家が身体表現をする事に似ている。

 私絵画は制作する行為が、制作者を深めて行く藝術としての探求だ。観客のいるパフォーマンスのような物ではなく、制作が作者の内的な深さに繋がり、内的な成長を促し、画面にはその結果が表現されるものだ。その経過の証のような物が、絵画と言うことになる。

 マチスが、絵画を誰にでも可能なものにした制作の喜びを味わうことは、子供のワークショップでも可能なものである。子供の美的感性はこの行為を通して成長することだろう。その喜びが、制作するという喜びになり、芸術的行為の喜びを味わうことになる。

 芸術作品の制作を通して、作者が深まって行く。高まって行く制作でなければならない。その作者の成長が画面に現われてくるものであれば望ましい。それが日々の一枚であり、生涯通じての探求の道なのだと思う。制作という行為が生きると言うことに重なって行く。

 絵を描くことの喜びは、制作を通して制作の意味が日に日に増して行く。描かれる絵がより、人間本来に近づいて行くことが、絵の進む方向になる。絵を描くことは自分の絵がすこしづつ分かることで、よりおもしろく味わい深い物になる。

 絵がどこまで進んでいるかは分からない。たぶんたいした物ではないのだろう。しかし、自分には絵を描くことが以前よりもおもしろくなっている。新しい発見の日々である。水彩画の技法の奥の深さを痛感している。できる限り自分のやり方に陥らず、あらゆる方法を試して進みたい。

 記憶の絵画が続いている。今はそれがおもしろいのでやっている。それもまた何時変わって行ってもかまわないと思っている。絵がより深く自分に入り込めば良いと考えている。今は記憶に結びついたときに自分に近いと感じるようだ。

 
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第129 水彩画 日曜展示

2022-10-02 04:02:32 | 水彩画
第129 回 水彩画 日曜展示

10号前後の作品である。







912「連山雪」
2022.9








913「七星巌」
2022.9








914「漓江(りこう) 」
2022.9







915「桂林郊外」
2022.9








916「桂林七星巌」
2022.9






917「のぼたん農園」
2022.9








918「流れ雲」
2022.9







919「珊瑚礁」
2022.9








920「藤垈の5月」
2022.9








921「角館武家屋敷」
2022.9


 今回も色々の絵を描いた。小田原の家を探していたら、出てきた絵のつづきを描いた。小田原に描きかけの絵がまだ残っている。桂林の4枚の絵は懐かしかった。途中まで描いて止めていたもののつづきを描いた。案外におもしろかった。

 角館の絵も同じである。何故この一枚が残っていたのか分からないが、ヘンテコな絵だが、しだれ桜がおもしろい。難しい絵だったが、何かつかんだこともあった。藤垈の桃の絵は実際はこういう所はない。記憶の中の絵だ。

 のぼたん農園の絵は石垣に戻って描いた物だ。色々混ざっているが、金沢で描いた絵は残してある。来週ぐらいには少し完成させられるかも知れない。今目の前にあって、眺めているのだが、色が薄い。このまま進めようか思い切って変えようか。迷っている。

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