昨年の追悼の辞とほぼ同じ文案だった。河野洋平衆院議長の全国戦没者追悼式追悼の辞は次の通り。(東京新聞掲載・原文のまま)
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の辞を申し述べます。
終戦のご詔勅のあの日から62年の歳月が流れました。国策により送られた戦場に斃(たお)れ、あるいは国内で戦火に焼かれた内外全ての戦没者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げます。
今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは日本人として、これを決して忘れてはならないと思います。三百万余の犠牲は、その一人一人が、一家の大黒柱であり、あるいは前途に夢を持ち、将来を嘱望された青年男女でありました。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸が潰(つぶ)れる思いであります。
そしてそれは、わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵のご遺族にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。
私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでありました。そのために、私たちは一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた、「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んで参りました。
今日の世界においても紛争は絶えることなく、いまも女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいます。核軍縮の停滞がもたらした核拡散の危機は、テロリズムと結びついて私たちの生存を脅かそうとさえしています。私たちは、今こそ62年前の決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければなりません。その努力を続けることこそ、戦没者の御霊を安んずる唯一の方法であると考えます。
私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目ざして微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼の詞(ことば)といたします。
昨年に引き続き、日本国憲法の精神に則った。衆議院議長としての追悼の辞となった。今年も福田内閣でも、3人の閣僚が靖国神社を参拝した。小泉・安倍両元総理大臣も参拝した。自民党や民主党の中にある、軍国化への流れは、一向に弱まる気配がない。政治家の靖国参拝の背景にあるものは、日本の軍国化を望む勢力へのアピールと見るべきだ。平和憲法を改定し、軍事力を背景とした力の政治への傾斜である。もし、戦没者への慰霊が心よりのものであり、それだけであるなら、靖国神社に行かないでも出来る事だ。いまや、靖国参拝は政治的デモンストレーションとして発信されている。特に近隣諸国に対する、脅しのような圧力をかけたいという、卑劣な逆恨みのような希望も託されている。特に靖国を参拝する国会議員の会の圧力をかけるよな姿勢は、戦没した方々の日本の未来を思う気持ちに対し、間違っていると思う。もう一度戦争をすべきと思うような戦没者、めったにいるはずがない。
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の辞を申し述べます。
終戦のご詔勅のあの日から62年の歳月が流れました。国策により送られた戦場に斃(たお)れ、あるいは国内で戦火に焼かれた内外全ての戦没者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げます。
今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは日本人として、これを決して忘れてはならないと思います。三百万余の犠牲は、その一人一人が、一家の大黒柱であり、あるいは前途に夢を持ち、将来を嘱望された青年男女でありました。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸が潰(つぶ)れる思いであります。
そしてそれは、わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵のご遺族にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。
私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでありました。そのために、私たちは一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた、「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んで参りました。
今日の世界においても紛争は絶えることなく、いまも女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいます。核軍縮の停滞がもたらした核拡散の危機は、テロリズムと結びついて私たちの生存を脅かそうとさえしています。私たちは、今こそ62年前の決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければなりません。その努力を続けることこそ、戦没者の御霊を安んずる唯一の方法であると考えます。
私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目ざして微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼の詞(ことば)といたします。
昨年に引き続き、日本国憲法の精神に則った。衆議院議長としての追悼の辞となった。今年も福田内閣でも、3人の閣僚が靖国神社を参拝した。小泉・安倍両元総理大臣も参拝した。自民党や民主党の中にある、軍国化への流れは、一向に弱まる気配がない。政治家の靖国参拝の背景にあるものは、日本の軍国化を望む勢力へのアピールと見るべきだ。平和憲法を改定し、軍事力を背景とした力の政治への傾斜である。もし、戦没者への慰霊が心よりのものであり、それだけであるなら、靖国神社に行かないでも出来る事だ。いまや、靖国参拝は政治的デモンストレーションとして発信されている。特に近隣諸国に対する、脅しのような圧力をかけたいという、卑劣な逆恨みのような希望も託されている。特に靖国を参拝する国会議員の会の圧力をかけるよな姿勢は、戦没した方々の日本の未来を思う気持ちに対し、間違っていると思う。もう一度戦争をすべきと思うような戦没者、めったにいるはずがない。
どうして、政治的デモンストレーション、軍国主義化のアピールなどとうがった見方をされるのでしょうか?
それは逆に中国などが外交カードとして主張していることであり、売国奴的評論家のまちがった意見に過ぎません。
もっと素直に物事を見られないものでしょうか?
A級戦犯として汚名を着せられた方々は、日本の独立と主権を守り資源の乏しい日本の国民生活を維持していくために、アメリカなどと必死の交渉を重ねてきました。しかし、日本を植民地化しようとする欧米列強の白人たちは聴く耳を持ちませんでした。
笹村さんは、当時の日本がどのように対応すればよかったと言うのでしょうか?
植民地化を防ぎ、独立と主権を守る戦いの意義を否定するのは、表現はよくありませんが、屈強な男に強姦されそうになって抵抗し大怪我をしてしまった女性に「やらせてあげれば怪我をしないで済んだのに」と言い捨てるようなものです。
戦後、A級戦犯の方は、裁判としてまったく不当な極東国際軍事裁判で、自分たちの命を差し出し、昭和天皇の命と日本の国体を護りました。
立憲君主制の明治憲法下で陸海軍を統帥するとされていた天皇が処刑されずA級戦犯だけが処刑されたのです。昭和天皇は判決の下された昭和23年の11月の日、そして絞首刑が執行された12月23日、ご自分の部屋に閉じこもり1歩も外にお出にならなかったそうです。
中国においても軍閥が跋扈し、無政府状態のなか、邦人の安全を確保するため、治安維持の活動が必要だったのです。
今となって、過去の為政者の失敗、過ちを指摘するのは簡単です。しかし、すべて、昭和天皇のもと、国民の幸せを願って、良かれと思ってしてきたことです。
そして、若き身空で日本国民のため戦地で亡くなった
兵隊さんのことを思うと心が張り裂けんばかりになります。その思いをもって靖国神社に参拝して何が悪いのでしょうか?
戦勝国の残虐さを隠し、中国の外交カードのために歪められた歴史をもう一度見直してください。
今、すきあらば他国を侵略してやろうなどと思っている日本人は1人もいません。
例え、日本が行った軍事行動が、列強の圧力による、止む得ないものであった、という考えであるにしても、その日本の軍事行為によって、アジアの多くの命が失われたことは、申し訳の立たない、どんなに悔いても、謝ったとしても、許されがたい現実だと思います。
アジアの多くの死者の存在を前にして、当時のその軍事行動の責任者が祭られている神社に、終戦の日に参拝する、日本の国会議員を、同じ日本人として恥ずかしいと感じざるえません。申し訳が無かったという気持ちがわずかでもあれば、その命令を下したものが祭られ、神様となっている神社に参拝できるはずがありません。
純粋に戦没者を思う哀悼の気持ちであるならば、公共的な国立慰霊墓地を作り、そこへ出かけるのが、誤解のない態度でしょう。政治家であるなら、そのうような、諸外国の誤解を受けないよう努力して欲しいものです。
よって、靖国の背景は、慰霊の気持ち以上に隠された意図があると思わざるえないのです。とすれば、それはそこに祭られている人達の時代の、再現を願っているのではないか。こう推測せざるえないのです。
侵略しますと明言してする侵略はありません。いつの時代の侵略も、そうせざるを得ない理由がある、そういう形をとるのではないですか。満州では、人口比は忘れましたが、数にして僅かな日本人が、満州人から土地を取り上げて、統治していたと、当時を書い本にあります。コレって侵略じゃないですか。
笹村さんが指導者だったなら、どのように対応されたのでしょうか?「みんな、本土に戻って、自給自足の生活をしろ」とおっしゃったのでしょうか?
台湾や韓国において、日本は教育やインフラ整備に努め、その後の両国の経済発展の礎になりました。フィリピンは台湾より遠く、そこまでしてもらえずに結果的に経済発展できなかったと嘆いているフィリピン人もいるくらいです。その点が欧米列強の占領策とは根本的に異なるところです。そして日本の欧米列強との戦いによりアジア諸国の独立が進んだのです。
どこの国でも、祖国のために殉じた指導者や兵士に敬意を表します。戦火を交えた国に対してもです。
誰が日本に原爆を投下させたのか、みんな知っています。でも、当時のそのアメリカ大統領の墓にアメリカ人が参拝することを批判する日本人はいません。
批判されるのは日本ばかりです。日本人の心の問題、先人の懸命の努力に対する気持ちをこれほどまでに叩かれる謂れはないはずです。
当時、アメリカ、イギリス、オランダ、中国、ソ連、そして日本が何をしてきたのか、素直に見れば、少なくも、日本人であるわれわれが靖国神社に参拝される政治家を批判することはできないはずです。
偏向し、売国奴的主張を続ける大新聞の記事しか読まなければ、批判もしかないかもしれませんが。
以来、彼ををテレビ画面に見かけるたびに、去年の追悼の辞の河野議長と連想していました。ねじれ国会で、議場運営の大変なときもありましたけれど、あの河野さんだから、と、より信頼できる思いでした。
今、ネットの普及により「本当の歴史」を知る若者が増えてきています。左翼の主張がいかに捻じ曲げられたものかということを。最近、高校で左翼傾向の歴史教師が「本当の歴史」をネットで知った生徒に理論でやり込められる現象がおきているそうです。嘘や歪曲は必ず穴がありわかることです。
私は、アジアの国々を長期間旅したことがあるのですが、中国や韓国人の日本に対する歴史観は明らかにおかしい、間違っていると感じるアジア諸国の人々が多かったのには驚きでした。日本が他国を侵略してやろうなどと思う人は私の交流してきたアジア諸国の方にはいませんでしたが、中国韓国に警戒心を持つ方は意外と多いですよ。
自分達の生活が苦しいからと言って、無理やり出かけていって、開拓した満州から、排除されるのは当然でしょう。
自然養鶏をやるものに左翼が多い。こうした決めつけは、止してください。左翼もいれば、右翼もいる。ごく普通の社会と同じです。左翼と言うレッテルで、自然養鶏をやるものが、見られるようになりかねません。左翼かも知れないから、土地が貸せない。こうした判断が、いつの間にか行われる可能性があります。
自然養鶏の知り合いを見ていて、どうしても左翼傾向の方は多いと素直に感じるのです。私も就農後にすぐ地域の共産党員が挨拶にこられた経験があり、あわててお帰りいただいたことがあります。「左翼かも知れないから、土地が貸せない。」と思われるのは、国内で共産党支持者を初めとしてどれだけ左翼が煙たがられているかということの現れだと思います。むしろ、左翼だからこそ土地を貸したいと誰からも言われるような言動をとることが大切なのではないでしょうか?共産党の支持率こそが今の日本の左翼に対する評価であると私は考えます。
戦争回避の回答は、本文に書きました。
大切な事だと思います。今も、日本の利益の為に、アメリカの戦争を支援しています。最近、インド洋の給油をはっきりと、日本の商船の保護と発言する、政治家が増えています。ムシャラク大統領を独裁者に仕立てたのは、日本やアメリカではないでしょうか。
これは自国の利益の為に、パキスタンの国民に多大の迷惑を与えた事になるでしょう。