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石垣島で原野を田んぼにする冒険談1

2021-11-19 04:29:44 | 楽観農園


 ただの杉の植林された場所に田んぼを作った経験がある。山北の高松山の中腹である。自給自足を目指して、開墾を始めた場所は北向きの傾斜地で、条件は相当に悪い場所だったのだが、一部だけ南に開けていて、相模湾が見える場所だった。その一番良い場所に田んぼを作った。

 表土というか上部60㎝から70㎝に富士山の宝永噴火の火山礫が降り積もっている土地である。その1センチ角ほどの火山礫をを取り除くと、関東ロウム層が出てくる。田んぼだから水平にしなければならないのだが、一部岩盤が出てきて、ツルハシでたたき割って取り除いた。これは大変だった。

 毎日堅い岩石を打ち続けたら、身体がだんだんおかしくなった。それでもやり続けた。なんとしてもやり遂げるという決意だけだった。すべてを肉体と道具だけでやるというルールの下での自給自足への挑戦だった。それでも田んぼは出来た。自給自足は5年で達成できた。そして大きな安心を得た。

 その時に少し「楽観」という考え方を得た。楽観しなければ出来ないが、楽観があるからどれほどの困難にも立ち向かえた。出来ないだろうと諦めるのでは無く、何とかなると言うことを明らかにする。これが生をあきらめると言うことだと思った。私の楽観である。

 絵を描くことに行き詰まって始まった自給自足だったが、この自給自足の体験から、楽しく自分の絵を描いて行こうという気になれた。絵描きの競走を降りることが出来た。それ以来個展もやらないで来ることが出来た。最後に文藝春秋画廊で生前葬作品展をやり終わりにした。それから私絵画を描き続けようと決めた。

 その自給体験の原点をもう一度石垣島で試みたいと思っている。石垣島で田んぼを切り開いてみたい。何も無い斜面に田んぼを作る作業をしたい。場所は確保した。一緒にやってみたいという人がいたら、受け入れるので共同作業しましょう。この石垣島での最後の冒険の仲間に成りたい人を受け入れます。

 すでに同志は、干川さん、福仲さん、渡部さん、渡邊さん、床田さん、栗林さん、大倉さん、そして、笹村。以上の七人が名乗りを上げている。あと三人くらいは同志が必要。この冒険には5年間はかかるだろう。今回は肉体だけの挑戦では無く、重機を使う挑戦になる。

 日本人は1万年イネ作りを続けてきた。中国の長江中流域にジャポニカ種の野生のイネの起源がある。そこから来たイネの種子と栽培技術は台湾を経由して石垣島を通り、九州に伝わったと思われる流れもある。また朝鮮半島経由した高い技術を伴う、水田稲作の文化が伝わる。たぶん様々な道をたどり日本全土に広がったと考えるのが理にかなっている。

 弥生時代中期には東北地方まで稲作が広がり、静岡の登呂遺跡は7万㎡もある大きな水田である。たぶん石垣島には台湾経由で稲作が来た道と、九州から逆流するように、高度の水田技術が伝わった2つの道があると考えるのが自然では無いだろうか。

 石垣島には古い水田跡がある。何千年も前から、水田が作られていたはずだ。それを今の時代に何も無いところに試してみたいと思っている。この興味にはあがらえない魔力がある。まだ身体が何とか動ける間に、水田を作る最後の試みに挑戦したい。

 30台後半に挑戦した何も無い場所でやった自給自足の挑戦を、72歳の人間がもう一度最後の田んぼ造りの挑戦をしてみたいと考えている。この35年間のイネ作り技術の蓄積を凝縮した田んぼを作ってみたい。田んぼと畑が混合された形式である。田んぼの畦がとても広くて畑になる。そして日本一美しい田んぼである。

 後水尾上皇が修学院離宮を造営したのは、稲作を中心にした日本文化の美しい凝縮である。文を持って統治する思想。今回の石垣島での、楽園の農園作りは、私の考える日本文化の凝縮を自給農業の体験施設として、画家として、人間として、美しく表現してたいと言うことである。

 段々畑になっている。一番上にはため池がある。ため池に溜められた水は各段の田んぼ畑を経過して、一番下の田んぼから排水されることになる。各田んぼの畦は防風林を兼ねたものになる。石垣島の田んぼは風が強いから、広い畦に防風になる作物を植える。

 一つの大きさは100坪である。それが六つぐらいの段々畑になる。初めは上の1段目だけかもしれない。だんだんに下へ下へと田んぼ畑が繋がって行く。そして六段が完成したら、自給の田んぼ体験者を募集する。農園を一緒に作った人が、六つの田んぼ畑を先ずは耕作しているのだろう。

 耕作は「小さな田んぼのイネ作り」に石垣島の伝統農業である、水牛農業を加える。6人の了解が得られるのであれば、どのような農法でやるのもかまわないのだが、約束としてはJAS有機農業基準は守ると言うことである。

 一番上の田んぼではすべての田んぼの苗を作る。シーラ原田んぼの苗もここで作る。六つの田んぼ畑はそれぞれ一人の人が担当をする。耕作は基本的に、各田んぼの担当者がそれぞれの責任で行う。私も一つ担当する。田んぼは毎年変わる。抽選が良いのだろう。抜ける人がいたら、新しい人を募集する。

 5人になれば、一番下の田んぼは使わない。2人で一つをやりたいとか、保育園のグループで一つをやるというのもいいだろう。崎枝小中学校の学校田に利用して貰うのも良い。申し出てみたい。

 ここでの収穫物はぜんぶを集めて全員で分ける。六つの田んぼの水は共同しなければぜんぶには回らない。全員で工夫をして、協力して、イネ作りをする。一番学ばなければならないことは、「人は、他の人のために頑張るときに力が出る」と言うことである。

 景観も考えるとハイビスカスの防風林が良いのではないかと現在は考えている。ハイビスカスはは赤から黄色、白までの変化があるから、赤の田んぼ、ピンクの田んぼ、白の田んぼ、黄色の田んぼと六つの田んぼが色が違うのも美しいのではないか。

 その内側の広い畦が畑になっていて、大豆が作られているのが良いと思っている。出来れば、一期のお米が終わったあとは麦作りをしたいが、石垣島での麦は経験が無いので、7月に種をまけるような麦があるか、調べてみたい。

 大豆とお米と麦、これが自給の基本作物である。お米と麦を2期作して、回りで大豆を作る。これが自給生活の基本形である。昔は大家族だから、1反の田んぼでそれを実現した。現代では100坪で可能という最小の形を試みたい。

 「小さな田んぼのイネ作り」に書いた自給の田んぼを、石垣島でもう一度何も無いところから作ってみたいと考えている。是非一緒にやってみたいという人がいれば、応募して下さい。このブログのコメント欄に書き込んで下さい。

 1・2・3と続きます。
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