東京都の教育委員会が、2003年の通達で、日の丸君が代を強制し、拒否するものを処罰の対称にしたことに対し、東京地裁での判決が昨日あった。
極めて明確な判決で、難波孝一裁判長は国旗国歌法の制度趣旨などから「教職員の意に反し、懲戒処分してまで起立、斉唱させることは憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ。斉唱などを強制する都教育長通達や各校長による教職員への職務命令も違法」と判断した。
喫茶店でコーヒーを頼むとミルクの入った、小さなプラスチックのミルクがついてくる。この可愛らしいプチミルクの仕組みが、「私」は嫌いなのだ。それは私の勝手な気持ちで、どうということが無いといえば無い。衛生的、手間要らず、結局経済的。そこそこの味のものもある。ちょっと角を切って、入れるのも悪くないといえば悪くない。切って中身を出す容器は、大抵切りにくく、こぼしてしまったりするが、これはそういうことも無い。まぁーいいほうだ。
でも私は、嫌いだ。この嫌いという気持ちは尊重して欲しい。家では、200cc入った紙パックを使っている。折角のコーヒーだから、ミルクの量にはこだわる。入れない時も多いいのだが、ちょっと入れるのも好きなのだ。この辺は私のかってな気分だ。半分気分で飲んでいるのだからそんなものだ。
だけど、プチパックのミルクは全部入れないと、半分ぐらいが、無駄になる。これが耐えがたい。食べ物を明らかに無駄にするのは厭だ。しかし、全部入れれば、好みの味を越える。どうすればいい、これぐらい自由にさせてくれと思って。プチパックは嫌いなのだ。
日の丸、君が代を、正しい姿勢で規律して、斉唱せよ。この強制が実に厭だ。黙っていれば、私も立って歌うかもしれない。サー今から、美空ひばりの、りんご追分を歌うから、規律斉唱しろ。これを強制されたらたまらない。何かを人間に従わせるということは、必要最低限にして欲しい。
こうした事を強制している会社もあるのだろうか。思想良心の自由は憲法で保障された、国民等しく権利として存在する。君が代の歌詞にわだかまりを持つ者もいる。おかしいと疑問を感じるところもある。国旗国歌法は「第1条 国旗は日章旗とする。第2条 国歌は、君が代とする。」という2条だけの法律。あたかもこれに基ずくかのように強制をすることは、許される範囲ではない。
この法の制定には、公明党や当時の自由党も賛成した記憶がある。当時も問題になったのは、それを根拠に東京都教育委員会のように、国旗国歌を「踏み絵」として、人間の従順度を計ろうとしていることが、許されないだろう。教師は多様であって欲しい。色んな教師がいるから、色んな人間が育まれる。権力派もいれば、反権力派もいる。一様であることは、教育では一番困ることだ。
すでに教師は一様になって来ている。国歌国旗が強制される学校の教員にはなりたく無い人間のほうがまともだ。そんな式には出たくないという教師を、静かに拒否できる環境を、何故作らないのだろう。「おい、河童がまた出て無いよ。」なんて、生徒が話してるほうがいい。従順な教師だけなら、管理者は楽だろう。しかし、それでは、面白くないのが学校だ。首をかけて、楯突くような手に負えない反骨教師も居ていい。
その度量のある学校がいい学校だろう。
極めて明確な判決で、難波孝一裁判長は国旗国歌法の制度趣旨などから「教職員の意に反し、懲戒処分してまで起立、斉唱させることは憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ。斉唱などを強制する都教育長通達や各校長による教職員への職務命令も違法」と判断した。
喫茶店でコーヒーを頼むとミルクの入った、小さなプラスチックのミルクがついてくる。この可愛らしいプチミルクの仕組みが、「私」は嫌いなのだ。それは私の勝手な気持ちで、どうということが無いといえば無い。衛生的、手間要らず、結局経済的。そこそこの味のものもある。ちょっと角を切って、入れるのも悪くないといえば悪くない。切って中身を出す容器は、大抵切りにくく、こぼしてしまったりするが、これはそういうことも無い。まぁーいいほうだ。
でも私は、嫌いだ。この嫌いという気持ちは尊重して欲しい。家では、200cc入った紙パックを使っている。折角のコーヒーだから、ミルクの量にはこだわる。入れない時も多いいのだが、ちょっと入れるのも好きなのだ。この辺は私のかってな気分だ。半分気分で飲んでいるのだからそんなものだ。
だけど、プチパックのミルクは全部入れないと、半分ぐらいが、無駄になる。これが耐えがたい。食べ物を明らかに無駄にするのは厭だ。しかし、全部入れれば、好みの味を越える。どうすればいい、これぐらい自由にさせてくれと思って。プチパックは嫌いなのだ。
日の丸、君が代を、正しい姿勢で規律して、斉唱せよ。この強制が実に厭だ。黙っていれば、私も立って歌うかもしれない。サー今から、美空ひばりの、りんご追分を歌うから、規律斉唱しろ。これを強制されたらたまらない。何かを人間に従わせるということは、必要最低限にして欲しい。
こうした事を強制している会社もあるのだろうか。思想良心の自由は憲法で保障された、国民等しく権利として存在する。君が代の歌詞にわだかまりを持つ者もいる。おかしいと疑問を感じるところもある。国旗国歌法は「第1条 国旗は日章旗とする。第2条 国歌は、君が代とする。」という2条だけの法律。あたかもこれに基ずくかのように強制をすることは、許される範囲ではない。
この法の制定には、公明党や当時の自由党も賛成した記憶がある。当時も問題になったのは、それを根拠に東京都教育委員会のように、国旗国歌を「踏み絵」として、人間の従順度を計ろうとしていることが、許されないだろう。教師は多様であって欲しい。色んな教師がいるから、色んな人間が育まれる。権力派もいれば、反権力派もいる。一様であることは、教育では一番困ることだ。
すでに教師は一様になって来ている。国歌国旗が強制される学校の教員にはなりたく無い人間のほうがまともだ。そんな式には出たくないという教師を、静かに拒否できる環境を、何故作らないのだろう。「おい、河童がまた出て無いよ。」なんて、生徒が話してるほうがいい。従順な教師だけなら、管理者は楽だろう。しかし、それでは、面白くないのが学校だ。首をかけて、楯突くような手に負えない反骨教師も居ていい。
その度量のある学校がいい学校だろう。
どう解釈しても、明治憲法下で臣民に歌わせた「君が代」を一応民主主義を謳っている日本の国歌として、国民に歌わせるところに矛盾が出てくるのだと、常々考えています。
「国歌そのものを歌うのがイヤ」という人もいるかもしれないけれど、民主主義国歌にふさわしい歌であればOKという人もいるのではないでしょうか。
私案としては、第2国歌風な歌をつくり、どれを歌うか選択できるようにすれば、どうでしょう。すぐに変更、ではなく、じわりじわりと…。何でも変えたがっている安倍さん。まず第2国歌からは、いかがでしょうか。
他の国でも、平和国家にふさわしくない歌詞であったり、いろいろ問題な国歌もあると聞きます。だから、矛盾してもいい、のではなく、そこは知恵を使って、軟着陸というわけには行かないでしょうかね。
第2国歌というのもありますね。
押し付けというのがよくないのは、当然で、
こんなやり方で、国歌が定着することはない。
怖いのは、人気のロック歌手に歌わせるやり方。
あれをカッコイイ。と受け取る。
歌詞なんて、良く理解も出来ないし。
歌詞を説明しようとすると、天皇制に触れざる得ないし。
盛り上がるとよいのですが。
「騙されたくなかったら、勉強しろ」とはドラゴン桜の主人公のせりふですが、今回の改正は、ぱっと見よく分からないので騙されてしまう。「何がいけないの?」と。
「教育基本法が」というと、ほとんどの人は、「勉強不足で」とか言いますが、そここそがねらい目なのではと思います。本当に市民に分かってもらいたいなら、分かるように書くはずですから。それこそ、アイドルでも使って、今回の改正のポイントをCMで流せばいいのです。
どうしたら、皆が分かりやすく、すっと身体になじむように教育基本法が伝えられるのかをこの間から悩んでいます。