中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

3000万署名・ヒバクシャ署名で行動

2018年02月11日 21時15分21秒 | 活動日誌

週末ですが仕事がお休みは真ん中の娘だけ。来てくれたのでありがたい、お孫ちゃんを任せて署名の訪問行動に出ました。若槻北部九条の会の行動に合流です。

1月に「若槻北部市民アクション」が結成されました。署名を推進する実行委員会です。参加している組織や個人は、憲法改悪許さずでスピードアップに努力しています。

 

先日は吉田九条の会が北長野駅前で宣伝署名行動しましたし、若槻北部九条の会は毎週、木・日の二日間が行動デーです。

また、古里地区では、今月の29日に推進委員会が結成されます。目標に向かって着々と署名を積み重ねています。

 

今日は、私たちは、3000万署名と核兵器禁止の署名の二つをお願いして地元を歩きました。

 

多くの方は「戦争はいけない」「憲法は大事」「変える必要はない」「安倍首相は何を考えている」「寒い中、ご苦労さんだね」・・・・と快く署名に応じてくださいました。

 

今日署名に応じて下さらなかった方は17人中、お二人だけ。

そのうち、お一人は、20分ほど、質問や疑問も投げかけてくださり、考えも語ってくれました。

 

その方の意見をまとめると「戦争はいやだ。憲法の根本の考えは賛成。でも、万が一、攻められた時はどうするの。アメリカに守ってもらうなんておかしい。自分の国なんだから、自分たちで守らなくては」というものでした。

 

どこかで聞いたことのある論立てですね。右翼団体の日本会議の言ってることそのままかな。もっともらしくきこえるこの考えは、改悪推進側のごまかしの論理で、マスコミを通じ国民を惑わす戦術だなと思います。

 

日本会議と一緒になって安倍首相が狙っている改革は、攻められたら守るという防衛ではない。攻めるのが目的。トランプの新しい核戦略にも安倍首相は大賛成したではありませんか。

 

大体、どこが攻めてくるのでしょうか。北朝鮮?核抑止論では解決しない。

 

九条に3項を加えることで、決まりにより3項が優先されることになり、1項、2項が死んでしまう。自衛隊を国防軍に仕立てたい狙いがありますね。そこがまだ浸透していない。

 

私は、日米安保条約を廃棄して本気で九条を守りぬく姿勢をアジアに示せば、世界の様相は間違いなく変わってくると思います。大きくなってきた世界の平和への流れに、日本は水先案内をするくらいの役目を果たさなくてはならない国だと思います。

 

安保条約を廃棄すれば、アメリの受ける打撃は相当なものがある。アメリカは日本がいないとこまる。地理的条件からも、資金を出させるためにも、自衛隊をアメリカの軍隊の一部として使うためにも、そして、こんなに従順な家来はほかにないから。

 

当面の課題は安倍首相の発議を許さないこと。世論で包囲をしましょう。

訪問先で、見事なカニハサボテン。

夕飯には、家族8人がそろった。日曜日の食事当番は、長女が献立をたて、姉妹で協力。日曜はなんて楽ちん!!

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灯明祭りに初めて行った

2018年02月10日 22時10分11秒 | 活動日誌

パパ、ママ、ジィジは医局合宿で泊まり。お孫ちゃんとバァバの二人きりは寂しいなと、下の娘が善光寺の灯明祭りにさそってくれたので、娘二人とお孫ちゃん、私の4人で行ってみました。

 

参道に切り絵細工の灯篭がずーっと並んでいて、とてもきれいでした。中には素晴らしい切り絵がありました。コンクールが行われたのですね。

 

ライトアップされた善光寺にお参りしてきました。

 

でも、人人…人で、初もうでの時よりずーっと多いくらいだったと思います。押すな押すな・・で、切り絵をよく見ることも困難なくらいでした。

 

3連休の初めの土曜日でしたね。

 

帰りが9時ごろになってしまい、お孫ちゃんが風呂に入って歯を磨いて布団に入ったのが9時半、いつもの就寝時間を過ぎていたので、枕に頭をつけるなり、ものの30秒たたないうちに、スースーと寝ていました。よく歩いたしね。

 

でも、二人きりの夕食でなくてよかった。長野市でやっている物産展でお汁粉をたべ、蕎麦屋さんに行っておそばを食べてきました。

 

ソフトクリームとか何かちょっと立ち食いするものには、人が少し並んでいましたが、全体にお店は人ごみの割にはとてもすいていましたね。

 

 

 

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孫との楽しい日々も明日で終わりか

2018年02月09日 20時44分05秒 | 活動日誌

保育園でインフル猛威のために、期せずして1週間、防衛休暇を取ってお孫ちゃんとべったりのくらしでした。1週間たったなんて、とても思えない。2~3日だったんじゃないの?

明日だけか、と思うと淋しいな。

ま、私もいつまでも遊んではいられないし、お孫ちゃんもお友達恋しい。しかし、とても楽しいサプライズの日々でした。(^◇^)

 

今日はまた、午前中は科学センターで思い切り遊び、工作教室にも行って笛をつくった。

お昼寝の後は、リンゴ園へ。「バァバ、りんごえんに、おおいぬのふぐり、さいてるとおもう?」「どうかな、行ってみようか」

 

ほんとに気持ちのよい散歩でした。春の兆しも沢山見つけました。「いぬふぐり、さいてる!!ほら!!いっぱいだよ」「あ、タネツケバナもあるよ!」と、大興奮です。

 

「あ、バァバ、からすのえんどうだ!!」よく見つけましたね。写真では大きく見えるけど、地に這いつくばらばいと見えないくらいの小さな芽でしたよ。

本をさんざ読み聞かせて、二人で人形劇をやって・・・・お孫ちゃんが笑い転げる姿を見ていると、何もかも吹っ飛んでしまいます。

インフルに感謝してはいけませんが、楽しい1週間でした。そして、とどめは、明日はお泊りなんですよ。ジィジ、パパ、ママは医局の合宿で泊りで留守になります。やったね!!(^◇^)

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単純だけど、最高に面白い遊び二つ

2018年02月08日 20時49分44秒 | 活動日誌

お孫ちゃんとべったりの4日目。

今日、一番面白かったのは、円盤を投げて受け取るあそび。投げっこして、うまく受け取ったら1点。先に10点とった方が勝ちで、ゲームセット。

 

こんな単純なことが、なんて面白い!!円盤は思うところに行かないし、飛び上がったりスライダーしたり、こけたり、 二人でおなかを抱えて笑いながら、何セットもやり続けました。

 

これと並んで面白いのが、食卓椅子用の小さな座布団が土俵の、立ったままのお相撲です。おとなはお孫ちゃんを触ってはいけない。お孫ちゃんは大人にしがみつける。揺さぶりをかけ会い、座布団からでた方が負け。

これもまた、涙が出るくらい笑い転げて面白い。最高!

 

でも、お友達恋しいから、動物園と科学センターに繰り出しました。

小さなお友達がたくさん来ていて、すぐにお友達になり、ボールのプールや滑り台等で一時も休むことなくあそびまくりました。

昼食は、時間がのしてしまったので、予定を変えて即できるオープンサンド。1時にはお昼寝に入れてよかった!セーフ!

 

午後は、少し、バァバに付き合ってもらいました。

 

「明日はどうしよう?なにがしたい?」

「え―とね、トランプ。それからまた、かがくせんたーであそびたい!」「あのね、あっぷるぱい、つくろう!」「オムライスたべたい、でも・・・ちがうのがいいかな」・・・

要求はたくさん。一日は短くて、いろいろできないよ。

 

しかし、一番は早く保育園に行きたいのです。保育園ほど楽しいところはありません。

 

通わせるかどうか、迷う判断でしたね。蔓延すると、罹患する確率は高くなりますからね。

予防接種は今年はあまり効き目を期待できなかったし。一人感染すれば、そこからまたひろがる。早い収束のためには、条件があるなら休んだほうがいい。

今年は、インフル、猛威を振るいましたね。学校閉鎖もあったとか。

 

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土曜日まで覚悟を決めた

2018年02月07日 20時37分03秒 | 活動日誌

孫の保育園のインフルの猛威に、防衛のため昨日から孫を休園させています。

今朝も迷ったのですが、一日二日ばかり休んだとてどうなる。園での様子をお聞きすると、収束までもう少しかな。

もうこうなったら覚悟を決めた。仕事はやりくりして土曜日まで休ませることにしました。具合の悪い子を1週間見るより、健康な子の1週間の方が、楽しいし楽だ、と考えよう。

 

今日は午前中は合唱団のレッスン日。12時まででしたので、孫は御弁当持参で行きました。最後に、孫の歌える歌を皆さんで合唱してくれて、恥ずかしいの、うれしいのって、くねくねしちゃって!!

 

昼寝はたっぷり1時間半。

 

散歩がてら、医療生協機関紙の「みんなの医療」の配達に行きました。ポスティングはお孫ちゃんの役目。なかなか手が届かなかったポストも、今では楽々入れられるようになりました。

 

その後は、ご希望でおやつのホットケーキ作り。

たまごと牛乳とベーキングパウダーを使って、焼くところまで自分でやりました。ですから、満面の笑みで「おいしい!!」

もちろん、パパママのぶんも焼きました。「ね、おいしい?おいしいでしょ!!」

 

おやつの後はおつかい。夕食の準備。夕食食べて、お風呂。あっという間の一日でした。友達がいないがさびしいけど。

 

明日はどうしましょ。昼間の3000万署名行動には一緒に行けるかな。明後日は、大腸ファイバーの検査日でしたが、延期にしました。

 

お昼寝の時、一緒に寝なければ原稿書ができるんですが・・・寝ちゃうもんね!!(@_@)

 

 

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インフル猛威

2018年02月06日 19時18分27秒 | 活動日誌

保育園の孫のクラスでインフルが猛威を振るっています。

昨日のお迎えで、21人中12人が休みと聞いてびっくりしました。「おばあちゃん、お部屋へ入らないで」と先生がアドヴァイス、子どもたちも全員マスクで、赤ちゃんに感染しないように気をくばり、隔離の保育をしていました。

 

先生も大変だし、予防接種はしているとはいえ感染の心配もあるので、迷った結果、今日は仕事のやりくりをしてお休みにさせました。

 

しかし、H保育園での、先生と親御さんと私、それに保健婦さんも入ってのYちゃんの発達の懇談会は休めないので、孫を連れていきました。そばで遊ばせておこうと思ったら、K先生が相手をして下さって、申し訳なかった。

 

明日はどうしようかなあ。

 

午前中は台所の大掃除、よく手伝ってくれました。5才と言えど、きれいな拭き掃除、とっても助かります。重要な労働力です。( ^)o(^ )

 

バァバとは、遊びを通してより、お掃除や料理を一緒にする時間が長いので、それが一番仲良くなる行動になっているのでしょうね。

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最近見た映画2つ

2018年02月05日 21時25分40秒 | 活動日誌

最近、映画を2本見ました。「永遠のジャンゴ」と「祈りの幕が下りる時」。

 

心が捕まれるような感動には欠けたけど、どちらもよかった。

 

「永遠のジャンゴ」は、ギターの英雄・ジャンゴ・ラインハルトの、ナチスが支配する戦時下の行動を中心に描かれています。ジャンゴはジプシーの出、ヒトラーのロマへの迫害を取り上げた映画は、他には見たことがなかった。ロマも、ユダヤ人と共に、ヒトラーに迫害されガス室へと送られました。

 

指の障害を克服して、ギターを演奏の主役にまで押し上げ、新しいジャンルも作ったジャンゴの熱情と、放埓な性格よくが伝わってきました。すごい人物だなあ、と音楽一筋の生き方が迫ってきました。

 

「祈りの幕が・・・」は、事件究明が進むにしたがって、複雑な人間関係の謎が、絡み合う糸がほどかれてゆくようにだんだんわかってくる緊張感があったし、松島菜々子さんがよかった。

 

松島菜々子さんの演技で忘れられないのが「ホタルの墓」での、両親を亡くした友人の兄妹を引き受けた母の友人のおばさんの役。

 

食料がない戦争下にあって、自分の子は守りたいが兄妹につらく当たるおばさん、追い出された兄妹は見ているのが辛くなる苦労のくらし、ついに倒れ死んでいった。

おばさんは、妹の骨の入ったドロップの缶をずっと持っていた。

 

人間は、極度に追いつめられると、夜叉になる。それは、悲しいこと、ほんとの心ではないのですね。それを演じていた。

 

「祈りの幕が・・」でも、「早めのパブロン」のイメージとはとは全く違う、複雑な経験を秘めた人格を演じています。

 

でも、内容の設定に無理があるような気もして・・・あ、まだ観ていない方も沢山いますね。これ以上はお楽しみ。

 

さて、3月には、吉永小百合主演の「北の桜守」が上映されます。

今度はどんな映画になるのかな。「北の零年」「北のカナリア」は見ましたが、その続きの3部作。あれ以上の作品になるといいな。

 

観たい映画はたくさんあるのですが、ほとんど見そびれています。ぜひ、と狙った映画ほど、なかなか観れないものですね。

 

 

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長女はどんなに多くの人の応援で生まれた子か

2018年02月04日 21時39分54秒 | 活動日誌

松戸の知り合いから、流山時代にお世話になった妹尾七重さんの訃報が入りました。突然のことで驚きました。私より少し上、残念で残念でなりません。

 

看護婦さんをして、保育士になって、共産党市会議員で活躍して、国政選挙でも頑張り、現在は千葉県の生健会会長としても活躍されていました。

 

ご自分が看護婦として働き続けるため、当時なかった産休明け保育を行う無認可保育園運動で頑張るうちに自ら保育士になった人です。

私は初めての子を、産休明けで妹尾さんたちががんばっていた無認可の「松の実共同保育園」に預かっていただき、保育運動をともにやってきました。29才の私が、ゼロ才児保育はとても大事なんだと、初めて学んだところです。

 

妹尾さんは新米ママの私をサポートしてくださった。夫は研修医で、早朝出勤、帰宅が夜中という暮らし、私はヘロヘロ。見かねて、成績表をつける時期に子どもを預かって泊めてくれるなど、応援してくれました。

 

その以前に、妊娠中には、妹尾さんは私が(女性が)働き続けるために奮闘してくださった。決して忘れることができない出来事がありました。

私は切迫流早産で結果的には、約1年間、病気休暇で仕事を休むことになってしまいました。

 

初めは切迫流産の診断書が2週間づつしか出なかったので、担任していたクラスは、学年の先生方、教頭先生が交代で入ってくれていました。

 

それが何度にもなってきたので、病気休暇を取ることになりました。

しかし、代替の先生が配置されない。病休と産休の先生は予算の出所が違い、病休の分は市の単独予算で、もう使い果たしてない、というのです。

 

入院中、クラス保護者会が何度も開かれたそうです。保護者のみなさんの不安は想像に容易です。

 

当然、様々な意見が出ます。「これだから女の先生は困る」「女の先生だから、母親の気持ちが分かるし、子どものことも理解してくれる」「担任が来なかったらどうするの」・・・・そんな大混乱の中、クラス長だったKさんは入院中の私に「先生、大丈夫ですよ。安心して、私たちが何とかしますから」と励まして下さって、私は涙が出ました。

 

妊娠中は夫がまだ学生だったので、私と夫は流山と仙台に分かれて暮らしていました。夫と一緒に暮らし始めたのは、長女が生まれて3か月後のことでした。二人だけのお甘い新婚時代はなし、突然3人家族。長女が生まれた5月に、夫も医師国家試験に合格したのです。

 

夫がそばにいなくても、励ましてくれる皆さんがいました。

 

妊娠中の騒ぎの時、妹尾さんはPTAの本会の役員をしていました。クラスをまとめる努力をしてくださって、結果「女の先生が安心して働ける学校にしよう」と意見が一致し、クラスのお母さんと一緒に教育員会に何度も交渉に行ってくださったのです。

 

そして、代替えの先生が配置されました。学校や保護者の皆さん、妹尾さんらPTAの皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。長女は、そうした多くのみなさんの応援で生まれた子なんです。

 

 

私が国政選挙に出て何回目だったか(忘れるほど出ました!)、千葉から出ていたのが妹尾さんでした。あの時、何かの用事で流山に行き、妹尾さんと会いました。お互い国政の候補者として再会するなんて、あの時も巡り合わせにびっくりでした。

それが最後でした。

もういちど会いたかった。妹尾さん、ありがとう。がんばり続けましたね。合掌。

 

 

 

 

 

 

 

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北部地区へ

2018年02月03日 21時20分17秒 | 活動日誌

久し振りに北部地区のT支部会議に行きました。

 

以前、私が担当していた支部でしたが、常任委員を降りてからすっかりご無沙汰していました。4月に市会議員選挙もあるので、なじみのところで来てほしいといわれ、出かけました。

 

古巣にかえった気分で、うれしかったです。

 

近況報告をお聞きしたり、安倍政治への怒り沸騰の情勢を話し合ったりしながら、やることもしっかり決めました。

 

みなさん、改めて自分の入党の時のことなども話題になって、それぞれいい話をしてくれましたが、80才すぎたSさんの話にも私は励まされました。

 

「わたしは戦争の経験は幼かったのでよく覚えていない。田舎に住んでいたし。でも、共産党に入ってから勉強して、九条ってこんなに大切なんだと知った。もっと勉強していきたい。支部がしっかり団結していれば、外に行って自信をもってものが言える。そういう支部を作りましょう」

 

Sさんは、お迎えの車に乗って夜の支部会議にも出ているといいます。負けた!!すごいですねえ、「何にもできないけど・・」なんて、謙虚すぎる。年金では足りないから、まだ働いているというSさん。

 

何年も来ない間に、Mさんのご主人は亡くなり、Kさんは病気の経験もしていたし・・・。

今日はうれしかった。「来てほしい」と声をかけていただいて本当によかった。

 

 

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私が初めて党と赤旗を知ったのは・・・・

2018年02月01日 20時47分27秒 | 活動日誌

今日は新聞あかはた創刊90周年の日です。

さまざまな分野で頑張っている方のお一人お一人のメッセージを読んで、あらためて、赤旗はジャーナリズムの正しい在り方を示している貴重な新聞になっていること、多くの方を励ましている新聞であることを確認し、誇らしく思いました。

 

1月28日の長野県党大会で特別決議できめたこの4日間の党勢拡大期間、最終日の今日も減らしてはならんと頑張りました。全県の頑張りで長野県は日刊紙も日曜版も前進して、ほっとしたところです。

 

私が党と赤旗を知ったのは、大学に入ってからです。

 

宮城県は高校3原則が守られておらず、私が入ったのも石巻女学校で、進学校のわりに良妻賢母教育でした。

受験勉強にあくせくすることに嫌気がさして、親しい友人に「おかしくないか」と言ったところ「すべてわきに置いて、今は勉強が第一」との答え。

 

回りの雰囲気になじめず、反発して勉強はサボりにサボっていた。2年生で、成績はびりっけつまで下がってしまった。そののち私が30才すぎてから、何かの折に、母に「高校に入ってから成績表を全く見せなくなったね」と言われて、ドキッとした。知ってたんだ!!それを私にずーっとわなかった母!!

 

それでも私は、家の財力では国立大学しかいけないことはわかっていたから、何とか合格には間に合わせられました。宮城教育大学に入りました。

国立でも、入学金の1万円も借金して入りました。当時、学費は年間1万2千円。寮費は朝晩2食付きで6000円でした。

 

特別教育奨学金を受けました。利息はありません。教員になったので、大学の奨学金は免除されました。高校の分は、就職したのち、1年に一回、誕生日に確か5000円ほど20年かかって返済すればよかった。

今とは全く違います。大変後退しています。

 

大学の入学式の時、門前で、学生がハンドマイクで演説していました。「佐藤首相が・・・」と言っていた。「なんで佐藤首相が私たちに関係あるの?」と違和感を感じた、政治音痴の単純な文学少女でした。

 

教育研究サークルに入った。すばらしい先輩がたくさんいました。

そこから、目の前がだんだん開けてきた。赤旗の存在も知り読むようになった。

 

大学寮の寮長選挙があって、薦められて立候補をして当選した。対立候補はトロツキストだった。大学の自治の何たるかを、この経験で知った。もう一つ言えば、寮長になったおかげで、東北大の寮にいた夫と知り合えた。最大の収穫!!

 

そのころ父が職場で機械に挟まれ右腕を失った。私が20才の時、父は66才の無年金者だった。労災が適応され、障害年金をもらえるようになった。

弟が二人、まだ高校生。父は「右腕一本で生活が保障された。ありがたい」と言った。

 

この理不尽さのからくりを私は知るようになっていた。戦争と貧しさは政治が作り出したもので表裏一体なんだ。それを無くそうとしているのが共産党、迷わず入党した。入党させてほしいと頼みに行った。

 

おかしいことは正さなくては。入党以来47年、ますます、共産党員であることを誇りにして生きています。

 

それが私の党との出会い、赤旗との付き合いの始まりです。我が家では日刊紙は2部、配達されます。私も夫も、朝に読むことが習慣でもあり、一日の仕事や活動に欠かせない日課ででもありす。だから取り合いしないように、2部、どうしても必要なのです。

 

赤旗をお勧めするのは、大変勇気の入ることでもあります。でも、本当に赤旗のすばらしさを実感するたびに、ああ、読んでほしい!とこころから思うのです。

赤旗発刊90周年、党創立95周年、この年月の重さよ。この年月を生きてきた先駆者の足跡を踏みしめて、また、私も明日を生きよう。

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