敬老の日、80歳を迎えた北部地区の飯山市の同志を、北部地区委員長と一緒に訪問しました。県委員会のメンバーはそれぞれ分担して県内を飛び歩き、私は北部の担当になりました。
県委員会と地区委員会は、80歳を迎えた同志がますます元気で長生きしていただくようにと、心のこもったプレゼントを用意したのです。
それは森谷明仙さんのご協力を得て書いていただいた、心に語りかける明仙さんの一言の書です。
昨日は県委員会のメンバーで、窓を切った台紙に書を張り、さらに裏紙をつけてきれいに袋につめるという、「緻密さ」が要求される手工業をしました。
「小学校時代図工は2だった」とか、「誉めてもらったあの先生は今でも好きだ」とか、「叩かれた先生の目つきが忘れられない」などなど、手と一緒に口も動かしての楽しい作業でした。
その記念品をもっての今日の訪問でした。
尋ねたNさんは、ご主人も涙ぐまれて「これからもがんばりましょう」と玄関の外まで送ってくださいました。
Mさんは「病を得て、病院通い。でも、今度の選挙、よくがんばってくれました。私もがんばります。本当にありがとう」と喜んでくださいました。
この先輩の方々が私の年齢の時には、どれほどの力を発揮し政治改革の道を切り開いてくれたことでしょう。そして今なお、現役で活動し、あるいは存在そのものが励ましになっている方と、党の歴史を感じとり心が引き締まる訪問でした。
「先輩党員を励まし元気付けるため」と思っていたのは間違いでした。自分の置かれている時代に責任を持った行動をと、私のほうが勇気をいただいた訪問でした。
宮城県にいる私の母は86歳です。自分の母にはろくに孝行もしない娘だなあと、感じ入る敬老の日でありました。
また、森光子さんのように、母と同じような年齢でも、舞台ででんぐり返しもするだけの体力づくりに努力し、仕事に生きがいを持つ人生を私も送ることができるだろうか、などとも考えました。
しかし、生活の保障なくして何もできません。敬老の日の最大のプレゼントは、「もっと長生きしたい」「長生きしてよかった」と思える政治ではないでしょうか。介護保険の改悪や年金削減は最悪です。憲法改悪も最悪。
午後は選挙のお礼まわりをしました。政治論議に花が咲き、赤旗4部の購読のお約束ができました。皆さん暖かく、「がんばって欲しい、なんで自民党があんなに伸びたんだ」「今度こそは」「弱いものの味方は共産党だけ」「なんで増税なの。急ではないか(実は選挙中は自民も民主も隠していた)」と、大きな期待が寄せられています。
作家、評論家の加藤周一さんが言っていました。「今大事なのは自分で考えること、誰かが言ったからではない、自分で判断する力、それがないと流されてしまう」
共産党員だって同じだと思います。志は同じでも、時々の問題を自分のこととして新鮮に受け止める感性、それを磨く学習や努力なしには、薄まってゆくものがあるのではないだろうか。これは自分を戒める言葉です。
中国人のある人が私に言いました。「日本共産党、すばらしい。偉いね。たとえ自分はお金で困らなくても、困っている人のこと考えることができる。私は日本共産党は好きです。」
県委員会と地区委員会は、80歳を迎えた同志がますます元気で長生きしていただくようにと、心のこもったプレゼントを用意したのです。
それは森谷明仙さんのご協力を得て書いていただいた、心に語りかける明仙さんの一言の書です。
昨日は県委員会のメンバーで、窓を切った台紙に書を張り、さらに裏紙をつけてきれいに袋につめるという、「緻密さ」が要求される手工業をしました。
「小学校時代図工は2だった」とか、「誉めてもらったあの先生は今でも好きだ」とか、「叩かれた先生の目つきが忘れられない」などなど、手と一緒に口も動かしての楽しい作業でした。
その記念品をもっての今日の訪問でした。
尋ねたNさんは、ご主人も涙ぐまれて「これからもがんばりましょう」と玄関の外まで送ってくださいました。
Mさんは「病を得て、病院通い。でも、今度の選挙、よくがんばってくれました。私もがんばります。本当にありがとう」と喜んでくださいました。
この先輩の方々が私の年齢の時には、どれほどの力を発揮し政治改革の道を切り開いてくれたことでしょう。そして今なお、現役で活動し、あるいは存在そのものが励ましになっている方と、党の歴史を感じとり心が引き締まる訪問でした。
「先輩党員を励まし元気付けるため」と思っていたのは間違いでした。自分の置かれている時代に責任を持った行動をと、私のほうが勇気をいただいた訪問でした。
宮城県にいる私の母は86歳です。自分の母にはろくに孝行もしない娘だなあと、感じ入る敬老の日でありました。
また、森光子さんのように、母と同じような年齢でも、舞台ででんぐり返しもするだけの体力づくりに努力し、仕事に生きがいを持つ人生を私も送ることができるだろうか、などとも考えました。
しかし、生活の保障なくして何もできません。敬老の日の最大のプレゼントは、「もっと長生きしたい」「長生きしてよかった」と思える政治ではないでしょうか。介護保険の改悪や年金削減は最悪です。憲法改悪も最悪。
午後は選挙のお礼まわりをしました。政治論議に花が咲き、赤旗4部の購読のお約束ができました。皆さん暖かく、「がんばって欲しい、なんで自民党があんなに伸びたんだ」「今度こそは」「弱いものの味方は共産党だけ」「なんで増税なの。急ではないか(実は選挙中は自民も民主も隠していた)」と、大きな期待が寄せられています。
作家、評論家の加藤周一さんが言っていました。「今大事なのは自分で考えること、誰かが言ったからではない、自分で判断する力、それがないと流されてしまう」
共産党員だって同じだと思います。志は同じでも、時々の問題を自分のこととして新鮮に受け止める感性、それを磨く学習や努力なしには、薄まってゆくものがあるのではないだろうか。これは自分を戒める言葉です。
中国人のある人が私に言いました。「日本共産党、すばらしい。偉いね。たとえ自分はお金で困らなくても、困っている人のこと考えることができる。私は日本共産党は好きです。」