蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

キスカ島 奇跡の撤退

2014年09月26日 | 本の感想
キスカ島 奇跡の撤退(将口泰治 新潮文庫)

副題は「木村昌福中将の生涯」。

キスカ島に孤立した日本軍5000名余を、軽巡や駆逐艦数隻を派遣して被害皆無で撤退させた作戦は、撤退に気づかなかった米軍に(撤退後しばらくして)大規模な上陸作戦を行わせたほどの完璧さで成功し、アメリカ軍側にも高く評価されたという。

この作戦の特徴は、
①制空権を米軍に握られているので、気象観測を徹底して濃霧の予想時に行うことにした。
②短時間で(救援の軍艦に)乗艦できるよう、銃など手持ちの兵器を捨てさせた。
③事前に訓練・演習を十分に行った。

といったことで、特に、命よりも大切にされた歩兵銃を捨てさせる決断をした②が異色だった(現地司令官の独断だった、というのがまた出色)。
しかし、何といっても救出作戦の現地指揮者:木村少将(当時)が、いったん出撃した救出艦隊を、霧の濃さが十分でないとして、いったん引き上げたというのが、(後に作戦が成功したこと以上に)日本軍にあっては殆どあり得ないほどの英断中の英断であったようだ。

少し前に読んだ「翔ぶが如く」によると、薩摩武士は、卑怯を最低の悪徳としており、軍議などにおいて慎重論を唱えても、「お前は死ぬのが怖いのか?」という主旨のことを言われるとそれ以上議論にならなかったという。
多分、日本軍においてもこのような雰囲気は濃厚に存在したと思われ、準備万端整えて出撃した部隊が何もせずに戻ってくる、という決断をするのは極めて困難であったと推測される。木村少将の(第一次の出撃時の引き返しが)高く評価されるのはこうした背景があるからであろう。

兵学校をさえない成績で卒業した木村少将は、平時なら大佐どまりのところ、緒戦での活躍を評価されてプラスアルファと言っていい少将にまで昇進しており、キスカ撤退時にはすでに50歳を超えていて、いわばキャリアの終点にまで来ていた人であった。思い切った引き上げの決定ができたのは、こうした要因もあったかもしれない。
しかし、後に日本海軍最後の勝利と言われる礼号作戦の指揮を執った際に、帰路において脱落した駆逐艦の乗員を自らが乗船する旗艦を長時間停止させて救出したことや、戦後、復員兵のために製塩事業を興し慣れないビジネスに奔走して軌道に乗せていること等を考え合わせると、情も理も兼ね備えた稀有の指揮官、リーダーだったゆえに、と考えるのが妥当ではないかと思った。

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