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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

魔王

2006年02月19日 | 本の感想
「魔王」(伊坂 幸太郎 文藝春秋)

閉塞感が漂う日本に、真の意味でのカリスマ政治家が出現し、政権を獲得し、憲法を改正しようとする。そのやり口にムッソリーニのようなファシズムの臭いを感じた兄弟が、自らの超能力(他人に自分が思ったとおりのことをいわせる、1/10までの確率を自由に操作できる)を使ってそれに対抗していこうとする。

超能力者と政治家の対決場面などはなくて、兄弟の日常が中心なのだが、国がその針路を大きく変えようとする時代の、漠然としてしかし黒々とした不安を、宮沢賢治の詩作をBGMにして描く。ファシズムと宮沢賢治の組み合わせというのが意外感があってインパクトが強い。

伊坂さんの作品を読むといつも途中で、“今までこんな小説は読んだことがない”という違和感を抱く。そこが大きな魅力なのだが、「魔王」はメッセージ性が強いせいか、そういう違和感みたいなものが弱かった。


かつて日本が二十年にも及ぶ戦争に明け暮れる時代に突入したのは、富国強兵を国是とした明治政府の政策から起きた必然のように思っていたのだが、その直前の大正時代には、いわゆる大正デモクラシイといわれるムードが充満したことがあって、軍人は街中を軍装で出歩けないほど肩身が狭い思いをしたこともあったという。

今、私たちは数年先に日本がまた他国を侵略し、20年後か30年後には再び破滅することを想像できるだろうか。

近代の歴史を振り返れば50年以上も戦争行為を行わなかった国家なんてほとんどないのではないか。60年に渡って国家の軍隊が戦闘に携わらなかった日本は奇跡といえるほど運がよかっただけなのではないか。

逆に、戦争がないことの素晴らしさを、これほど実証した国家もなく、実感した国民もなかったと思う。我々はそういう特殊な国家を持てたことをこそ誇るべきであって、いわゆる「普通の国家」になろうとすることは大きな間違いであるような気がする。
コメント
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