あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

神宮外苑から青山墓地を経て代々木公園へ(東京・新宿、渋谷)(前半)

2019-03-11 22:56:27 | 江戸・東京を歩く
 2019年3月10日(日)

 日中は暖かいとの予報の今日、カントリーウオークグループの第261回例会に参加し
た。集合はJR中央・総武線の信濃町駅。

 久しぶりに下りた信濃町駅だが、駅舎はガラス張りの立派なビルになっていた。10時
01分に出発して南西側の神宮外苑に入り、絵画館前で組み分けして3組に分かれる。

 絵画館前では、ここをスタート・ゴールとする「第13回明治神宮外苑大学クリテリウ
ム」と呼ぶ学生のロードレースを開催するところ。

 たくさんのサイクリストで賑わい、間もなくレース前の走行が、南側のイチョウ並木ま
でを回るコースで開始された。

 わがグループは、西側に建設中の新国立競技場方面に向かう。絵画館の南西側植え込み
に、スダジイの古木が立っていた。幹周り約3.6m、樹齢350年前後と推定され、も
とは柳沢吉保の父、安忠の屋敷付近にあったらしい。

     
 隣には「御鷹の松」と呼ぶ松の木がある。もとの松は、徳川3代将軍家光が鷹狩りの際、
木の下で休んだようで、現在のは3代目。石碑の文字には「渋沢栄一書」と刻まれていた。


 来夏の東京オリンピック主競技場になる新国立競技場は、地上5階地下2階建て、建築
面積69,611㎡、高さ47mになるようで、今年11月末完成予定との建築計画書が
あった。



 サイクリストの走行を見ながら新国立競技場横を西から南へ、近年再建され高層化した
日本青年館↓と神宮第2球場の間を進む。



 神宮球場の西側から南側へ、さらに東へと回り込む。球場では日本リトルシニア関東連
盟の開幕式が始まるようで、浦和や大宮のチームも球場内に入ろうとしていた。


 球場の北東側に出て、絵画館の南側に延びるイチョウ並木の北端へ。

 そばの植え込みは河津ザクラだろうか、色濃い桜が咲いていた。
     


 最近のTVで、この並木は絵画館が大きく見えるよう、南側が高く北側が低く剪定され
ているとか。

    
 木の下の植え込みに並ぶクリスマスローズを見ながら南端まで進み、青山通りから振り
返り確認する。


 その両側には、江戸城の石垣らしいのが残されていた。


 南側の南青山二丁目へ細道を進む。突き当たりに狭い境内だが松など趣ある植栽の瀧泉
寺へ。

 本堂は北向き、山門には三つ葉葵の紋があり徳川家ゆかりの寺のよう。
    
 帰宅後調べたら、「徳川家康の長男信康が自刃後、埋葬した地(三河国)にあった庵室
を江戸に移して一寺となしたのではないか」と伝えられているようだ。

         
 本堂右手に黒薬師如来が祭られ、境内には三遠の石像や、江戸時代の安永4(1775)
年、元禄13(1700)年、享保16(1731)年などのお地蔵さんが、10数基集
められていた。


 東側近くには、近代的な造りの本堂で植栽のない玉窓寺がある。


 東側の都道31号に下るところに、緩やかなカーブが独特な高層ビル、タワーマンショ
ンが目につく。
     

    
 すぐ南が青山墓地の東北端、都道沿いを下り紅梅の咲く横を西へ。

         
 少し南下してミツマタの咲き出した角から西南へと回り、桜並木の通りを西進すると、
「忠犬ハチ公の碑」が立っていた。
              
 日本の農業土木や農業工学の創始者で、東京帝国大学教授、農学博士の上野英三郎氏は、
渋谷駅前の銅像で知られる「忠犬ハチ公」の飼い主。

         
 同氏の墓地の傍らに、忠犬ハチ公の小さな祠(ほこら)があり、たくさんの花が手向け
られていた。

 近くには「警視庁墓地」の説明パネルがあり、「この一角は明治10(1877)年の
西南戦争に警視庁から政府軍として派遣され、命を落とした警察官を葬るため設置された」
ことなどが記されていた。


 立派なアカマツが何本か並ぶ一角、石鳥居の立つ墓地は、昭和4(1929)年に総理
大臣となり、翌5年に東京駅で暗殺された浜口雄幸(はまぐちおさち)夫妻の墓だった。


 近くには、大正13(1924)年から1年半余り総理大臣を務めた加藤高明(かとう
たかあき)の墓地もある。
         


 墓地の中心部を南北に走る車道、墓地通りを少し南下した西側一帯は外人墓地で、独特
の形の墓が幾つも見られる。
         

    

         
 その中に、ドイツで林学を学び樹木試験場を創設して初代校長となり、のち目黒の林業
試験場の初代場長となった松野礀(まつのはざま)とドイツ人の妻、クララの墓地が目に
ついた。
    

 その前から墓地の西端まで進み、都道418号・外苑西通りに下って緩やかなカーブを
南進する。

 地下を東京メトロ千代田線が走る都道413号の青山陸橋下まで進み、陸橋の手前を右
折してそばの廣閑院に行くが、門が閉じていて入れない。

 だが、狭いながら境内は都心とは思えぬ植栽と、独特の和風建築の本堂だった。

 寺の北側、南青山四丁目の住宅地を緩やかなカーブで回る通りを西進する。
         
         
 きれいな生け花を飾るギャラリーがあり、南青山三丁目との境界の通りの交差点際には、
細い木の棒を組み合わせて飾る「微熱山丘」と呼ぶ建物が目につく。
     


 その先、北西へ延びる通りの「くれは食堂」前には、人気の定食があるのか若い女性が
たくさん並んで待っていた。
     


 国道246号・青山通りに出て南西にすぐ、通りの西側に大きな寺院が目に入る。信州
善光寺別院の南命山善光寺である。

 山門を入ると正面の本堂は、信州善光寺を小さくしたような造り。


         
 境内には、「陸軍経理学校生徒隊慰霊碑」や幕末の開国の先駆者でこの近くで幕府によ
り命を絶たれた高野長英(たかのちょうえい)の顕彰碑があった。
    


 本堂左手のピンクの梅が見頃で、背後の和室と庭園も趣あるもの。
    




 寺の前の細道を抜けて都道413号の表参道交差点際へ。近くに、周囲を再開発中の空
き地に囲まれた狭い境内の秋葉神社がある。
     
 植栽もなく小さな社殿のみで、少し寂しいたたずまいであった。

 西に延びるのが表参道、立派な街路樹はまだ枯れ枝のまま。だが、その下をおびただし
い人の波が原宿駅方面から続いている。



 流れに逆らうように人並みを除けながらがら進み、独特のカフェやウィンドウ前に飾ら
れた花、変わった建物など眺める。
         




 ゴールの集合時刻12時半を過ぎた。都道305号・明治通りを横断し、手前の五輪橋
側に新駅舎を建築中の原宿駅前へ。


 JR山手線や埼京線の上を超える五輪橋を渡り、ゴールの代々木公園原宿門に12時45
分に着いた。先着の2グループが昼食中の北側の広場に移動して昼食とする。



 近くのミモザが黄色い花を枝いっぱいに咲かせ、撮影のグループがあり、撮影終了後は
たくさんの人がスマホやカメラを向けていた。


 昼食後、ミーティングと記念撮影をして、13時50分頃散会となる。心配された雨も
夜からのようで、予想外に暖かなウオーキングだった。

(参加 13人、天気 晴後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万)、東京西部、歩行地
 新宿区、渋谷区、歩数 10,200)                  (続く)






アウトドアランキング



にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もう一度所沢航空記念公園 梅... | トップ | 神宮外苑から青山墓地を経て... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

江戸・東京を歩く」カテゴリの最新記事