あるきメデス

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連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-19 16:59:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈後半:三つの社寺と三宝寺池周辺〉

 

 少し周辺を回ってから再訪することにして「石神井公園ふるさと文化館」を出て、西側を

南北に走る都道444号・井草通を横断して住宅地の間の細道へ。

  

     民家のツツジが紅葉のような彩り。

     

 

 そのお宅の庭も花盛り。

 

 近くの民家では、サクランボが色づく。

 

 立派な長屋門の前で左折して南へ回り、少し戻って道場寺へ。

 

 

 門前のクロマツは高さ25m、幹の周囲2.5mあり、「ねりまの名木」に指定されて

されていた。

  

 

  

 境内南西側には総檜造りという三重塔が立つが、モミジなど樹木が多く全容は望めない。

  

 

 道場寺は、石神井城主の菩提を弔うために応安5(1372)年に創建されたとか。武

蔵野三十三観音霊場の第2番霊場となっている。

 

 正面の本堂は、奈良の唐招提寺を思わせる屋根。

 

 本堂前の豊後梅(ぶんごうめ)

 

  本堂南西側の供養塔

  

 

 境内にはモミジが多く、新緑がみずみずしい。

 

    本堂の東側に廊下で結ばれた庫裡があり、庫裡の南側には立派な鐘楼が。

      

 

 周辺のモミジの彩りもよい。 

 

     鐘楼前に咲くアヤメ

     

 

 モミジの花も

 

    門前のバス通りを西へ、境内西南端の路傍にはお地蔵さんが祭られている。

     

 

               

          少し先、通りの南側にある葬祭場際に咲く花

 

 

 その北側に、広い境内を豊富な樹林に覆われた三宝寺(さんぽうじ)がある。

 三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依を受け、豊

島氏滅亡後は徳川家康などの受けて発展したよう。

 

 境内にある長屋門は、勝海舟の邸宅にあったものだとか。武蔵野三十三観音霊場第3番

霊場である。

 

 山門は、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家光が狩猟の際、当山が

休憩所されたので「御成門」と称するようになったようで、練馬区の登録有形文化財。

 

 山門を入ると左手には大黒堂・子育千体地蔵堂があり、そばに立つ高さ17m、幹の周

囲2.5mのアカマツは「ねりまの名木」。

  

 

 参道を挟んで東側に立つサルスベリ(高さ10m、幹の周囲1.5m)も「ねりまの名

木」という。

     

 

 大黒堂・子育千体地蔵堂の内部を拝観すると

 

 お堂の前には「開運出世小槌」が置かれていた。

 

 

 正面の本堂に参拝、右手前には境内案内図が

 

 鐘楼の北側に咲くシャクナゲの大株

 

 その横、南側の長屋門が、勝海舟邸から移築したもの。

 

 近くに立つイチョウ(高さ26m、幹の太さ3.6m)も「ねりまの名木」である。

   

 

  本堂前から西側へ階段を上がると新しい多宝塔が。

  

 

  さらに西側には、境内で最高の観音像が東向きに立つ。

  

 

 多宝塔と観音像の間、北側のコンクリート製のお堂に、武蔵野三十三観音霊場の御本尊、

如意輪観世音が祭られていた。

 

     

 多宝塔の北側の樹林の中は、時計回りに一周する「四国八十八か所お砂踏み霊場」にな

っている。

          

 今まで何度か来ても一部しか回らなかったが今日はほぼ一巡し、実際に3度回った四国

八十八か所の各霊場のことを思い返した。

 

 後半の辺り、最奥に祭られている大師堂

 

 境内を一巡したので山門を出て三宝寺を後にした。

 

     

     少し西進すると民家の大きなツツジが花盛り。

 

 その先で、氷川神社参道の途中からケヤキなどの立ち並ぶ参道に入って神社境内へ。

 氷川神社は、応永年間(1394~1428)にこの地を領していた豊島氏が、武蔵一

の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれているよう。

 

 文明9(1477)年の石神井城落城後は石神井領の総鎮守として、周辺5か村の人々

から崇敬されたとか。 

 

 正面に拝殿が祭られ、手前右手(東側)には神楽殿が。

 

 左手の2つの末社には、江戸時代からの北野、須賀、稲荷、御嶽、八幡、三嶋、榛名、

浅間、三峰、阿夫利の各社が祭られていた。

 

  参拝を終えて境内右手から北側の石神井城址の樹林へ。

  

 

 東側のフェンスに囲まれたエリアは、石神井城跡の中でも土塁や空堀の保存状態がよく、

立ち入り出来ない。

 

 その横を緩やかに下り、三宝寺池の東端付近に出た。

 

     北斜面下には「石神井城址」碑とパネルがある。

     

 

     三宝寺池の南面を西へ、池を眺めながら周遊路を進む。 

     

 古くからの自然のままの姿を残す中の島周辺は、西端近いとはいえ23区内とは思えぬ

貴重な景観を残している。

 

     小さな社殿は水神社

     

 

     三宝寺池の西南近くには厳島神社が祭られている。

     

 

 柵に囲まれた社殿前から右手に回ると東屋があり、緑豊富な池が一望できる。

 

     さらに西岸の園路を進と、カキツバタが咲いていた。

     

 

 三宝寺池の西北端まで進み、今度は北岸の遊歩道を戻るように東へ向かう。

  

 自然のままの中の島の北岸の様子

 

 何を調査しているのだろうか、ボートをひいて中の島の西側を歩いて来た人が。

 

 三宝寺池の東北側にある、水辺観察園沿いの園路へ。

 

 東に抜けて三宝寺池の東北側に回ると、橋の近くにツツジと群生するカキツバタが。

 

 ハスの多い辺りに、サギがジッと立っていた。

 

 14時過ぎに石神井公園ふるさと文化館に戻り、特別展会場に行って見たが相変わらず

入場制限していたので今日の観覧は諦め、改めて来館することにした。

 館内の食事処、うどん房の「エン座」も、もう品切れのようで閉店していた。

 

 館を出て、石神井池の北岸沿いを駅に向かうことに。

 

 沿道に並ぶ住宅は、見栄えのする家が多い。

 

 池では、相変わらず多くのボートやスワンボートが行き来する。

 

 東端まで進まず、少し手前から住宅地の緩い上り道から石神井公園駅前に戻り、駅前の

讃岐うどんのチェーン店で遅い昼食を済ます。

 

 15時10分に石神井公園駅に着き、15時14分発 西武球場前駅行 下り電車に乗る。

 

 今日のアメダス練馬の最高気温は25.5℃。なお、アメダス練馬の観測地点は、三宝

寺池の西北端から台地を上がった北側の「石神井松の風文化公園」内にある。

 

 (天気 快晴、距離 6㎞、地図 「練馬区観光ガイドブック」(部分)ねりま観光セ

  ンター発行、歩数 17,200) 

 

 

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