転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午前中、時間があったので縮景園の桜を見に行った。
「平日月曜」&「隣の県立美術館休館日」&「お天気下り坂」
のトリプルコンボをキメた日なので、きょうは空いているだろう、
という私の目論みは当たり、大変快適な花見をすることができた(笑)。
これほど人の少ない縮景園は、地元住まいの私にとっても初めてだったかもしれない。
特に、よく絵はがきになっている「しだれ桜」全景を、この、花の季節に、
人波に遮られることなくゆっくりと眺められたのは、希有な出来事であった。

(以下、クリックで拡大します)
   
  

今にも雨になりそうな空模様で、御蔭で眩しくなく暑くもなく、
庭園内を歩いて花を愛でるには、とても心地良いひとときだった。
縮景園内は、途中あちこちに石段等があり、池を渡る橋も幅が狭いので、
足腰がある程度は丈夫でないと、くまなく自由に見て回ることは難しい。
行けるときに行っておかねば、いずれは満喫できなくなる、
という危機感みたいなものが、毎年、なんとなくある(^_^;。

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久しぶりに花を買った。
母の誕生日に合わせて、我が家でもアルストロメリア、
それにバラとカーネーション。

母の途中経過
4月3日の夕方、改めて、母の主治医の先生からお電話があり、
居室から外来に降りてきたとき母はとても元気で(^_^;、
尿検査も特段の異常がなく、通常ならこのまま様子見で良かろう、
という状況ではあったが、なにしろ高齢であり既往症もあるので、
内服の抗生剤だけを試みることにします、……とのことだった。
なんの異存もございません。よろしくお願い致します。
本当にありがとうございます。

ワクチン関係
娘は3月31日の朝、滑り込みで新型コロナワクチンの接種を受けに行った。
無料で受けられる最後の機会ということで(^_^;。
一方、先日気付いたのだが、広島市(広島県)は帯状疱疹ワクチンについて
公費補助が全くなく、現在では全国的に稀な自治体になってしまった。
今や「帯状疱疹ワクチンの補助がない」と言えば
居住市(県)が限定されるレベル(汗)。
私は子供の頃にマトモに水疱瘡にかかっているので、
体内に水痘ウイルスを持ち続けており、立派な帯状疱疹予備軍である。
主人のほうは2022年夏に水痘ワクチンを打ったところだが、
私は2018年に打って、その効果がそろそろ下がって来ている筈で、
次はシングリックスを打ちたいのだが、補助が出るようになればと思い、
このところ機会をうかがっている。……のだが、なかなかなんだろうか(^_^;。
ときに、娘は2歳の頃に水痘ワクチンを打っており、
その後、水疱瘡なおりかけ状態の子が官舎にいたとき、
ワクチンしたから大丈夫だろうと一緒に遊び、果たして娘は発病しなかったのだが、
こういう人の場合、これから帯状疱疹になる可能性があるのか、無いのか?

社務所 断捨離への道
自宅の整頓がほぼ終わり、実家の後始末も年々進行中ではあるのだが、
私はそろそろ、村の神社の社務所のほうも断捨離をしたくなってきた。
総代会も徐々に代替わりし、最「下っ端」であった私のポジションも
この8年ほどの間に少しずつ上がってきたことで、
私が判断できる事柄も最近は増えて来た。
そういう目で見ていると、社務所には要らないものや古いものが山ほどあり、
これらをまとめたり一掃したりすれば、随分と綺麗になるのにと
最近は眺めるたびに思うようになったのだ。
「いつか要るかも」と気弱に残している紙類が多すぎるし、
壁際に積み上げられた空のダンボールだって、要るか要らないか分別し、
とっておくものは畳んでサイズごとにヒモでくくれば省スペースになるのだ。
棚も、使いそうなものを見えるところに無秩序に並べた、的なので
ちゃんと分類して、どこに何があるかわかるようにしたいし、
行事関係や保険関係はファイルに綴じて、誰でも見られるようにしたい。
……皆さんが「たいぎい」なら、私ひとりで好きにやっていいですか(^_^;。
「ありゃあ要る思うたけぇ、とっといたのに」と言われては困るので、
要る要らないのところだけ、できたら長老級の方に見て頂きたいんですがね。

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本日4月1日は母の誕生日であった。95歳になった。
母も私同様、花が好きな人なので、
4月の誕生花アルストロメリアのアレンジメントを贈るよう手配し、
私自身も夕方、神社の仕事の帰りに、母のいるサ高住に寄った。

母は昼寝から起きてロビーに出てきたところで、
スタッフさんから、カップに入れたお茶を貰っていた。
私を見て「誰?」と言うので、マスクを外して「よしこ!」と言ったら
「ああ(^^)」とすぐわかってくれた。良かった(^_^;。

私「きょう、誕生日やろ」
母「ほんまあ?」
私「ハッピー・バースデーや。おめでとう」
母「ありがとう(^^)」
私「いくつになったか、覚えとぉ?」
母「さぁてねぇ」
私「95や」
母「95!そんなんなるかいねえ。90になったんは覚えとってんけど」
私「ほうなんか」
母「90んなってからの1年1年は、あっという間やったねぇ。
 このぶんやと、すぐ100になるわ」
私「ほうやな(^_^;」
母「長いこと生きてきたねぇ。いろんなことがあった……」

と母は笑顔でしみじみしていた。
しかし、その『いろんなこと』の大半は、
父とともに過ごしてきた事柄の筈だったが、
母はどういう訳か、「お父さん、どないしとぉ?」とは全く尋ねなかった。

母「子供がおって、良かったわぁ」
私「ほうか(^_^;」
母「あんたがおりゃこそ、こんなこともしてくれる。
 ほかに誰が来てくれようかいね」
私「……(おとーさんは、どこ(^_^;)」

今、母の誕生日を祝うこの場に、母と私だけが居る、
というのを、母自身はどういう設定として理解しているのか。
もし、父について何か訊かれたら、
「お父さんは、去年の秋に、あの世へ行きはったやろ?」
と言おうと思っていたのだが、全く質問は無かった(^_^;。

ともあれ、特に体がどうこうもなく、心が波立つこともないようで、
母が穏やかに過ごしているのがわかり、有り難く思った。
母は、認知症がごく軽度だった間は、常に何かを心配し、
些細なことも不満に思い、他人の不行き届きをたびたび責めていたが、
ここ数年はホド良くボケて(汗)、ふんわりと機嫌の良い人になった。
先行きを思い煩うことが皆無ではないかもしれないが、
どのような思いも、今の母には、長く続くことがない。
長生きのご褒美というものだろうか。感謝すべきことであった。


追記(4月3日):いい感じだと褒めた途端に、母、2日の夜に発熱(汗)。
解熱剤で3日朝、下がりはしたが、誤嚥性肺炎や尿路感染症の既往があるので
早速にサ高住の階下の病院を3日午前中に受診。
コロナとインフルは陰性とのことで、抗生剤の点滴で様子を見ることに。
高齢ゆえにいつ何があってもおかしくないが、
蘇生措置等は希望しないと前々から申し出てある件、担当医から確認。
家族として「本人が最もラクに過ごせることを最優先に」と再度、お願いした。
検査や治療を特に頑張らなくても、本人が辛くなく過ごせているならそれで良いし、
年齢的に何も不足はないので、一日でも長く、などとも望んでいない。

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