素人1500mクラブのuktさんが紹介していた「100年前のカラー写真」を見てじーんには納得。
昔の写真がジーンと来るのは、写すことが難しく、写されている人が「ちゃんと写って欲しい」と願っているからです。写っている人の願いが入っているんですね。写真は写しかたでなく、写っている人や物に、語っていただくものなんだと思います。
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で紹介した、東京都写真美術館の展示で、同じようなことを感じました。
今やデジカメやケータイでお気軽に、悪くすると被写体の都合や人権おかまいなし…という状況ですが、それを思うと昔の写真は「切実」だったなあ、と思います。
そんなに昔でなくても、僕らの子どもの頃、「写真館」で緊張して撮影してもらう、ということが一度や二度はあったように記憶しています。それを思うと、今時の写真やホームビデオってどうよ?と思わされます。
雑誌や広告、報道の写真を見たとき、カメラマンの目線、技術、被写体のアエコレが目に付きますが、長い年月が経つと、写真をどう写したとか、誰が撮ったとか、だれを撮ったとかが消えていきます。写真はただ時代の記録になっていくようです。
すばらしいですね。今、撮影したように見えますね!
鮮明で綺麗です。とても100年前には見えません。
ビックリです。
「赤・緑・青の3色で撮影した物を組み合わせて、一枚の写真とする撮影技術」とか。
もう大変ですよね。ピタッと同じに写して合せなくちゃいけないんですよね。
どの写真も被写体に愛情が感じられます。
写してもらうほうも、一所懸命写されてます。
10枚目くらいのポツンとある木の小屋、ジブリ作品に登場してきそうです。
4枚目のロシア教会のや、民族衣装の娘さんたち、働いてる女性の方たちのを見ていると
「写っている人や物に、語っていただくもの」とおっしゃるのが納得できます。
昔の家は質素だったんですね。
倉庫やゆったりしたロビーなど、生活は現代と変わりがない感じです。食べたり話したり寝たりするのは一緒!