1964年とメモがあった。
東京オリンピックの頃じゃないか。
確かキャノンの8mmカメラを買って中学生の頃だと思うが撮りまくっていた。
映写機は処分したから見る機会(機械)もないのでフィルムは処分です。
小さなリールで3分間もなかったと記憶している。
フィルム入れの時(カメラに装填する)に始めの部分が光にかぶる(感光)ので、フィルムを出す時と合わせて前後がダメになります。8mmカメラはえらく無駄が出ました。
記憶の彼方なんですが16mmフィルムの片側を使い、リールが終わるとひっくり返して往復で使ったのではなかったかな。
現像して8mmに切断して前後をつなげたと思った。
富士フィルムがシングル8というのを発売して、最初から8mmのフィルムを使い、かつ無駄な前後の被りがなくなった。コダックも後追いしてシングル8と違った規格のフィルムを売り出した。現像してユーザーの手に戻ったらシングル8でもコダック方式でも同じように使えました。フィルムのパッケージは違ったが、パーフォレーションや画面サイズが同じだったのです。
ただ16mm裁断する古いタイプより画面が大きくなっていたので、映写機の方を買い替えたかどうだったか覚えていない。
新しい規格をコダックがじゃんじゃん作っていました。フィルムメーカーが力を持っていていた。カメラメーカーがフィルムメカーに振り回されていた。
デジタルになって、画像サイズ(撮像サイズ)の自由度が上がったというか、どうでもよくなった。メーカーの都合で作れるようになったのです。
最初の8mmカメラは16mmカメラのフィルムを流用していた。もともと35mmカメラだって35mm映画フィルムの流用から始まったのだから。
写真機の方はフィルムというよりも、一枚一枚撮る乾板フィルムから始まっていますから。
8mmビデオはずっと後の話です。今ではスチールカメラでもコンデジでも、スマホでも映像が撮れますから便利になったものです。
家電はさほど変わらないけど、コンピューターやデジカメやスマホに代表される、デジタル機器は想像だにされなかったぐらい進歩しました。
さくらフィルムは小西六やコニカです。
コニカはカメラ部門から撤退して、どこぞと合併してしまいました。
富士フィルムさんは、フィルムの名前を会社名から外しました。
なんでもフジは化粧品メーカーとして大復活しています。
フィルムの乳剤の技術が化粧品の技術につながったようです。
世・界・の・高・級・化・粧・品・メーカーになった!
パッケージの写真が時代を感じさせますねー。
日本の将来にバラ色の思いを持っていた頃の、、、イメージです。
オリンピックを迎えて、日本の復興を世界にアッピールしたかったんだもの。
新幹線も作っていたしねーーー。
そうそう、バイクの世界ではホンダ、ヤマハ、スズキが快進撃していました。家電メーカーのナショナルや東芝、日立が飛ぶ鳥を落とすようだった。今を思うと昔と時代が激変しました!日本はイケイケどんどんの世相だった。
社会情勢では安保闘争(米国の傘に入るか、自衛隊をどうするか)で国内がもめていた、、、。
わたしが学生のころですーーー。
フジカシングル8は不朽の名作だと思います。