デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



「よきサマリア人(びと)」(「善きサマリア人」とも書く)というのは、簡単に言えば、とても悲惨な目に遭った人がいるのに誰も手を差し伸べようとしないなか、一人のサマリア人が悲惨な目に遭った人を介抱し安全な宿屋まで運んであげる話だ。これは新約聖書のなかでキリストの口から語られている。(ルカ福音書・第10章30-36)
なぜこのエピソードを書いたかといえば、『ジャン=クリストフ』で前半部の最後あたりで憔悴(しょうすい)して病気になる寸前のクリストフが、ルーヴル美術館の絵画室で「よきサマリア人」という作品を囲っている鉄枠にすがり付いて、かろうじて転倒を避け「奇跡」を体験する場面で、レンブラント画の「よきサマリア人」が登場するからだ。にわかに、この絵のことが気になった。
で、この絵を探したわけだが、たどり着いたのがルーヴルにある以下の絵である。


Constantin-Daniel van RENESSE "La Parabole du bon Samaritain"(1650)

小難しい話になってしまうが、英語やフランス語のサイトを眉間にシワ寄せて見ていると、厳密にはレンブラントの絵でないかも。レンブラントの助手(弟子・従者)のConstantin-Daniel van RENESSE作と出たからだ。
では、レンブラントが「よきサマリア人」のテーマで作品を残していないかといえば、そうでもなく


レンブラント「よきサマリア人」(エッチング)(1633)
アムステルダム国立美術館


レンブラント「善きサマリア人のいる風景」(1638)
クラコフ国立美術館

これらの作品が存在する。一つ目と二つ目を比べてみると、なんとなく近いものがあると感じた。ちなみに一番下の作品は、京都で「大レンブラント展」が開催されたとき、実際にこの目で見たから、とても印象に残っている。

テーマが錯綜してきたが、「よきサマリア人」の体験後のクリストフがどのような人々と出会いと別れを繰り返すのか、彼も自然によきサマリア人の心情を会得するのかどうか、続きを読んでいきたい。

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