デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



『ジャン=クリストフ』前半部の終わりは重厚で、クリストフの心境の変化が劇的に描かれている。どの部分に感動したかを書くとなると膨大になるので、少しだけメモ程度に記しておきたい。

 彼らにたいして自分はなんと恩知らずだったことだろう! 彼らの渝らぬ善意の貴さを、どうして自分はもっと早く覚らなかったのだろう? 自分がドイツにいたころ彼らに向って言ったあらゆる不当なことば、あらゆる乱暴なことばを思いだして、彼は恥じた。あの当時、彼は彼らの欠点と、窮屈な儀式ばった流儀と、感傷的で観念的な理想主義と、彼らの思想の小さないろいろの虚偽と、彼らの小さな臆病さだけをしか見なかった。ああ、そんなものは、彼らのもっているかずかずの大きな美徳にくらべてみれば取るに足りないのだ! 彼らの弱点にたいして自分はどうしてあんなに苛酷でありえたろう? あんな弱点もいま思い出してみると、彼らをほとんどなつかしく思わせるよすがにさえなるのだ。なぜなら、彼らはその弱点のためにかえっていっそう人間らしいのだから! 反動的に彼は、自分がもっとも不当な態度をとった人々にそれだけますます強く惹かれるのを感じた。シューベルトにたいしバッハにたいして彼はどんな非難を加えたことか! そしていまでは自分を全く彼らに近しく感じた。彼がせっかちに、ばかばかしい点を指摘したあんな大きい魂の人々がいまや、故国から遠く引き離されている彼の上に身を傾けて、親切な微笑をもって彼にこう言うのだった――
 「兄弟よ、私たちがここにいるよ。勇気をもつがいい! 私たちも悲惨の分けまえを十二分に味わったのだ……なあに! やり抜けるものだよ……」

長々となってしまったが、音楽って不思議なもので、過去にはどうでもよかったもの嫌いさえしたものが、過去の土地を離れてしまったあとで、ふとしたとき当時の印象とともに甦り、親しみを感じたりする。この場面を読んでいて「わかるぞお、わかるぞぉ」と沁みるようにその情景が想像できたし、共感できた。そしてフランス人もドイツ人も日本人も思うことは同じなんだな、と感じた。

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