館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2021冬の沖縄・ミッキースペシャルあげいん・・その2・ひめゆりの道を歩く。

2021-12-26 05:37:57 | 旅は続く


初日は午後から沖縄なので、ほぼ買い物で終了。2日目は前田高地。3日目の学びは「ひめゆりの歩いた道」がメインテーマだった。
1日タクシー貸し切り・・・運転手氏はいつもの大城さんを頼んだ。
まず、ひめゆり達の学び舎から出発した。



像などが建っている。

ひめゆり・・・敷地を同じくして、女子師範学校と県立第一高等女学校が有った。一高女は「乙姫」師範は「白百合」と呼ばれ、両行が合体した学徒隊は「ひめゆり」と呼ばれることになる。動員学徒222名・動員部隊は沖縄陸軍病院・第三十二軍司令部経理部である。犠牲者は123名に及ぶが、その内100人に及ぶ彼女らの死は、6月18日の解散命令以降である。組織的戦闘が終わるのは6月23日なので、1週間に満たない日々が、なんともやるせないのだ。



開発で戦跡はかなり破壊されいるが、まず経理部のあった津嘉山32軍壕があった小高い丘を望める場所に立つ。



南風原文化センター
ここに、陸軍病院壕に関する資料や壕その物の保存など行う、拠点の建物がある。ひめゆり達の多くの痕跡も表現されている。



ひめゆり達は、主に、負傷兵の看護、そして炊飯と食事の配膳であった。病院は外科・内科・精神科があったが、戦局が激しくなるとすべて外科になってゆく。
まずは、炊事の場・・ここ病院壕のあった山から結構離れた谷筋の場所にある(水の確保が山ではできなかったのだろう)。
ここで、おにぎりを作り、飯あげの道を通って、壕の医師や患者、看護の者に配られた。おにぎりはやがて、ゴルフボールくらいの大きさへと小さくなってしまったようだ。



この醤油樽におにぎりを詰めて、坂道を登ったのだ。




文化センターには、発掘整備された20号内部が復元されている。負傷兵の横たわるベッドは、コロナまえは「横たわってきてください」となっていたが、今回はコロナの配慮で、横たわることは禁止されていた。




軍の拠点には、慰安所がつくられる。軍の関与どころか、軍が作ったのだ。



いよいよ、飯あげの道を登る。



やがて、整備された、南風原病院壕20号がメインの施設として鎮座する。コロナ前はガイドがついて中に入ることが出来たが、今は入れない。この一帯に、24の壕が作られ、三角兵舎が8棟作られていた。首里決戦の後方支援のメインの場所である。



首里の司令部の南部撤退にあわせ、陸軍病院も南部撤退となり、現在ひめゆり平和祈念資料館周辺に移動する。ひめゆりの資料館は第三外科壕のそばに建てられているが、周辺の畑などに第一・第二などがある。
セイゴウちゃんとミッキーは資料館に入っていないので、1時間の別行動となった。俺とミネさんは周辺の学徒の碑や部隊の慰霊碑など巡った(そこについては後の記事で)。




畑の中にぽっかり空く、第一外科壕。資料館はおびただしい人々が訪れるが、ここはほとんど人は来ない。
が・・・整備されていない、当時をしのべる姿は圧巻で、こうした場所こそ来ると良いのにな・・と、いつも思う。



さて、本日のメイン中のメイン・・・・彼女たちが・岩がげに隠れ、砲弾におびえながらまた歩いた・そこはやがて絶壁の海となり、太平洋が黒く染まるほどの軍艦が艦砲射撃を行っていた。彼女らの絶望は、自決の他無かったようである。ひめゆり散華の地だ。

そこを歩く・歩いて荒崎海岸に行ってみるが、僕のひめゆり企画なのである。




皆、無言で歩く・・・・



防風の林を抜けると、荒崎海岸が広がっている。散華の地までは、鋭利に尖った琉球石灰岩の岩を歩く以外にない。



もはや、彼女たちの多くは裸足であったという。靴下を履いていても痛くて1m歩くのが大変な岩の上を歩いてみる・・のも、この企画に含まれている。見事に痛いのだ。これで、10mも歩けば、血だらけに違いないと実感できる鋭さ・痛さだ。



やがて、散花の地・自決の場所は、毎年の生き残ったひめゆり達、その関係者のお参りで、綺麗になってるのだ。

僕らは、各々の思いで、手を合わせた。




海岸手前100mほどの場所に、うず高い土砂の山が作られ始め、数年が経つ。
この土砂は、辺野古の埋めてに使われると知って、「遺骨の混じった土砂で辺野古を埋め立てるな」と反対運動が盛り上がっている。
ミッキー曰く「遺骨が埋まっていようがいまいが、辺野古は埋め立てるな」と叫んでいたが、まぁそうなのだが・・・
それでも、多くの住民の遺骨がいまだ見つかるここの土砂で埋めたてようとする、異常な行為は許すことはできない。




本土の多くの市町村議会が「反対の決議」を出している。沖縄から帰って、まず新聞に山梨北杜市の記事を見た。
群馬は1つの市町村も決議を揚げていないのが恥ずかしかったが、僕らが沖縄に向かった17日の新聞に、甘楽町議会が県内初の決議を揚げたと報道が有った(赤旗)。我が館林・・決議しろよ~~なのだ。



こうして3日目の学びは終わったのだ。

25日の濃厚接触者。

*女房・足つぼ最強べーべー・ロストメンバー・8人。
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2021冬の沖縄・ミッキースペシャルあげいん・・その1前田高地~シュガーロフ・・首里決戦。

2021-12-25 04:20:23 | 旅は続く
前回「ミッキースペシャル」では、米軍最初の上陸地・座間味そして、本土上陸の地読谷村(2つのガマ)・現在の嘉手納、最後は沖縄戦最大の攻防(16日におよび、日本人5・6万米軍2万余が亡くなる)嘉数の戦いの地を巡り、その嘉数高台から、現在の普天間基地を見た。

今回はいよいよ首里城決戦。首里を守る戦いの場、前田高地・米軍がその地形をシュガーロフ・・・ハーフムーンと名付けた地を巡るが、2つのテーマの内の1つなのだ。この地が落ちて、いよいよ首里は陥落するのだが、ここで司令部が白旗を上げれば、沖縄戦が終わり、南部敗走による数万の住民や学徒隊の無駄死には無かったのである。



前田高地に向かうべく、延長されたゆいレールの浦添前田駅に降りる。ここから、足で稼ぐ学びだ。
最前線嘉数の後方2キロに第2陣前田高地(ハクソーリッジ)がある。第4陣は首里だが、守備隊は首里西方の小高い丘に3陣を展開する(ハーフムーンおよびシュガーロフと米軍が呼んだ場所です)。ここが敗れれば、首里は全く孤立するのだ。今回は、この前田高地から首里大本営跡までの沖縄戦跡を巡るのが大きなテーマなのだ。。



前田高地は、元々あった浦添のグスク(首里の王朝が確立するまで沖縄の歴史の中心であった浦添)に築かれた陣地である。グスクは、民衆の祈りの場・聖域であるとともに城でもあったとも言えるので、歴史的遺構も多い。激戦前田高地の戦い(米軍はその小高い絶壁を、ハックソーリッジと呼んだのだ)の前に、歴史散策をまず行った。

写真・浦添中学校。いつも花壇が綺麗!



街の指定文化財・・火の神様。



水の確保が大変だった島は、どこでも「井戸」「湧き水」を大事にしているが、13世紀から延々と流れ続ける、水の神様の場所を見学。



12世紀に英祖という王様がこの地を収める・・やがて下剋上で第一尚氏の代になり、14世紀にまたまた下剋上で明治まで続く第二尚氏の時代になる。女性に太陽が入り込み受胎して生まれたのが英祖(太陽の子・テダコ)などの伝説など事実ではないが、その墓とされる「浦添ようどれ」を見学。墓が英祖の墓であるというのは、ある程度信頼できるかも?



ようどれ館という、展示施設では墓の内部が復元されていて、入ることが出来る。



第二尚氏の時代国王が普天間宮を参拝するのに整備された古道が一部復元されている。当山の石畳である。





歴史を感じられるスポットで俺のお気に入りである。



さていよいよ本編・前田高地の戦いだ。遠く北に最大激戦地「嘉数」と普天間基地が見える。(写真真ん中左の青い建物が嘉数に建つ展望台である)
南を見れば、はっきりと首里城が見える位置だ。



地下にはおびただしい数のトンネル(壕)が日本軍によって築かれた。ほとんどの壕は砲弾や手りゅう弾で埋まるが、あちこちに入り口が空いている。
その壕の入り口を眺めるの図。



写真では表現できないが、絶壁、まったくの絶壁・・ハクソーリッジに立つ。崖をよじ登る米兵と迎え撃つ日本軍の攻防の崖だ。
後方支援部隊含む米軍総戦力45万人(ベトナム戦争では50万)に対し、男女学徒を加えても122000人が迎え撃つ日本軍の兵力だ。
「ありったけの地獄を1つにまとめた」という、激しい戦いが展開される。12日間に及んだ戦闘で、やがて陥落する。
アメリカ映画で、「ハクソー・リッジ」というものが作られている。数年前なので、興味がある方は見てみると良い。
我々は、この映画は必ず見るが、宿題であった。




当時の崖の様子・そこに立つ米兵の生々しい写真と共に、ここは北海道の兵たちが多く、また死に、北海道の慰霊碑が崖の中腹を平らにした場所に建っている。手を合わせ・祈る。

現地に立ってみるというのは、写真や文章では感じられない「何か」が体の中に入ってくる。



戦いの崖は北面・・・その南面には、日本軍が掘って守っていた、食料の壕があり、一部入り口が保存されている。
カンパンそして、糞尿を保管した一斗缶などがあった「カンパン壕」である。






偶然大学の研究者が調査をしていて、話を聞くことが出来た。奥にもう1人の方が居て、壕はほとんど破壊されないで現状をとどめているらしい。
中をのぞくと、人は立って歩け、車1台はゆうに入れる大きさだと分かった。



美味そうなバナナが悲しかった。



バナナの奥には「缶詰壕」の入り口が公開されている。他に幾つかの壕があるが、入り口が埋まっていて、立ち入ることもできない。




浦添からおもろまち駅に戻り、第三陣「シュガーロフとハーフムーン」の戦地後の痕跡を訪ねて、今回の学び初日は終わる。

5月4日に総攻撃が始まり、首里攻防の最後の戦いの場だ。ここが落ちて、27日から首里の32軍・大本営は南部に撤退を開始するのだ。やがて、首里城に星条旗が建つのであった。

4日からの1週間に及ぶ攻防では、シュガーロフの丘は持ち主(米軍か・日本軍かだ)を11回も変え、ハーフムーンに至ってはアメリカ軍に主導権が渡ることは1度も無かったという。この戦いで海兵隊側は2662名の戦死者・1289名の戦争神経症患者を産んだという。日本軍については統計が無いので不明だが、米軍の数倍と言われているようだ。

ハーフムーンでは、語り部が若い人に話をし、それを現地メディアが取材している場に遭遇した。



ハーフムーンから北の方角に、今は水道の塔になっている丘が見える。そこがシュガー・ロフだ。




長く急な階段を登り、現地に立つ。手を合わせた。

長い文章を読んだ皆さんに、感謝申し上げる。

最後に、本文中幾つかの数字が出てくるが、皆、アメリカの公文書が期限を過ぎて、一般公開されたものからだ。

翻って、我が国・・・今になっても、公文書を平気で処分したり、書き換えたりするありさまだ。沖縄戦の記録の多くが、アメリカ軍の記録・公文書・写真・フィルムからである現実から、21世紀に生きる僕らは学ぶべきことが多いと思う。

森友加計もしっかりした記録がどうなったことやら・・・だ。


24日の濃厚接触者。

*女房・・・1名。

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長野道上り・姥捨SA・・サービスエリアB級グルメその105。

2021-12-24 04:22:16 | グルメだ!


最近、サービスエリアはスクラップ&ビルドが続いている。
施設が新しくなって、そしてフードコートの食事の値段も高くなる。



結構、客は少なく、落ち着いて休めた。



いつもは蕎麦なのだが・・・ついついメニューの写真を見て、ラーメンになってしまった・・・・

しかし、ついつい、深く考えず、ライスを頼んでしまったのは、反省だった。

見栄え良い醤油ラーメンは、不味くは無かったが、味の素の味がした・・・

信州と言えば「味噌」・・・・味噌ラーメンはこだわりのメニューがあったな・・・・



やっぱり、味噌が良かったか?

次回(が、有ればだが)は味噌だな。

23日の濃厚接触者。

*女房・内・2名。

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ビンチョウマグロの味付けフレーク!

2021-12-23 04:12:53 | 缶詰はすばらしい!
昨日は笠木さんの命日であった。今年は、墓参りもできたなぁ。

沖縄・・写真のアップはほぼ完了。後は、与太な本文を、あの時を反芻しつつ、書くだけだ。
帰ったら、見事に真冬・・・・・わし・・・帰りたい。

それにしても、米軍基地、あれだけのクラスターを出しながら、外出禁止も一切なし・すでに同じ基地所属の兵隊が酔っ払い運転で逮捕されているありさまだ。
昨日の沖縄のコロナ発生の地域はやはり、クラスター発生のキャンプ・ハンセン周辺だ。やがて、1か月ほどかけて、何も米軍が対策しなければ、大都会那覇に沁みだしてくるだろう・・・・


さて、以下、美味しい缶詰だ。




まず、ここらのスーパーでは見かけない。いわゆる「ご当地缶詰」なのだ。OEM製品など手掛ける、地場の企業らしい・・・



松の実とかアーモンドとか、すりごまが入ってる、味付けツナ缶?

らしい・・・・

コンビニでも見かける、あの「はごろも・まぐろ味付け(フレーク)」のようなものを想像していたさ。



ちょいと、ツナ缶に色がついた感じ?



あのはごろもより、サッパリしていて、こちらも美味しい!

静岡の焼津付近のSAで購入した。

ここらは、また行く機会がふえそうなので、こやつと、そして、違う「ご当地缶詰」など物色購入するのだ!


22日の濃厚接触者。

*女房・吉・内・斎藤・4名。
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いよいよ終わりかな?平地のキノコ。

2021-12-22 04:40:48 | 山菜・きのこ・釣り
沖縄の写真整理は終わる。ここから、写真を選び・圧縮し・日記を書く・・・・
来週には、書き留められるか?
暫くは、書き溜めた記録が続くのだ!




2日連続しっかりとした雨が降った・・・・

が、明日から大風が吹くという、12月の12日。記事はちょいと前の話。

キノコは多少は出たに違いないが、大風が吹くと、乾燥してダメになっちゃうそんな日だ。

たぶん、今年最後のキノコ採りに違いない・・・・・

後は、間が良ければ、散歩(徘徊)時に、偶然切り株なんぞで、エノキやキクラゲに出会うかもしれないって感じぐらいの真冬がやってくる。




もう少し、成長させたいが、乾燥で終わっちゃうサイズのヒラタケ。




キクラゲも少々。



このヒラタケは、もう少し大きくしたかったな!!



最後の収穫だ。

ヒラタケは、大根おろし和えに最高の大きさだな。



ところで、伐採して5年は経つキンカンの切り株にキクラゲ発見!

株が細いから、大きなキクラゲは期待できないな。

まぁ・・・観察のみ。


21日の濃厚接触者。

*女房・1名。
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