館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

神仏習合そして神仏分離令・・古峰神社を訪ねる。

2021-01-31 04:48:39 | 旅は続く


栃木県鹿沼市の山深い場所の神社である。ここらでは有名な神社だ。
日光を開いた「勝道上人」の修行の場で、その業績にあやかり、日光全山26院80坊の坊さんたちが、修行に励んだ場所となっている。

俺は、信心深くなく、無宗教・・・・だから、困ったときの神頼みはしないが、神社仏閣を散策するのは好きだ。時の権力やそこで生きた民衆の精神性などが感じられるからかな?

ところで、由緒書きにある坊といい僧侶といい、寺の修行僧や管理人?の呼び名だが、ここは「神社」だ。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)・・・歴史の教科書で習ったはずだが・・・・日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成された宗教現象だ。
文字の無かった時代から人々は「八百万の神(やおよろず)」を信じていた。火には火の神、水には水神様・・そこに支配層が平安の古に、仏教を持ち込む・・やがて、宗教的融和であるとか、支配被支配に折り合いをつけるのが、神仏習合であったか?この日本の神仏(かみほとけ)のあり様は、明治になって「廃仏毀釈」の政策が始まるまで、1000年も続くのであった。まぁねぇ・・みんな神社に初もうでに行ったついでに、隣のお寺にも手を合わせる、日本人の多さは、おおらかにして、いまだ、神仏習合さ。

その廃仏毀釈・・・多くの寺や仏像、経文など焼き払われるような事態になる。江戸の寺請制度下において管理・統制の実行者として与えられた特権に安住した仏教に対し、民衆も神官の側も、反感を持ち起こした社会現象でもあった。

などと、神社仏閣を巡りながら、つらつら考えるのが、面白いのだった。

同じ、開祖の「寺」については、後日アップ。




およそ500ヘクタール(5百町歩)の敷地は、結構広いぞ。





修験者と言えば、天狗さん!茅葺の社殿は、立派にして威厳があるかんじ?



待合の座敷も広く、何部屋もある。祈祷やら、なにやらと、順番待ちに使い、あるいは食事などの宴などで、使われるのだろう。



立派な喫煙室もございます。

今時はやりの、御朱印も充実しているらしく(おみくじなど売っているべーべーと仲良くなって、色々話、教え、見せていただいた)そんなのを目当ての方も沢山来るらしい・・・



参道には、土産屋とか蕎麦屋とか、煎餅など焼いている店など、あります。



寒い日だった・・・甘酒が沁みた。



煎餅は薄味?

綺麗で、見どころ多い神社であった。


30日の2m圏内接触者。

濃厚接触・・女房・長男・2名。
菊屋べーべー・・・・・・1名。
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