館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ジミー・ロジャース 僕の育った音楽Rの仲間たちその8。

2016-07-23 05:13:32 | 僕の育った音楽
本日てんこ盛りかも?

百姓はいやな草取り・草刈・・荷物をパッキングして北へ送る・・平地林にマツオウジを見に行く・・・仕事の整理を少し・・・そして、少し休んで、夕飯の用意に続く・・・・な・・・日程なのだ。

これから、コインランドリーに靴を洗いに行って、徘徊!!

さて、土曜は音楽だぜ!な!




ジミー・ロジャーズ(英: Jimmie Rodgers、本名ジェイムズ・チャールズ・ロジャーズ 英: James Charles Rodgers、1897年9月8日 - 1933年5月26日)は、20世紀初期アメリカ合衆国のカントリー音楽歌手である。リズミカルなヨーデルで広く知られている。活躍したのは1927年から1933年と短く、35歳で早世したが、カントリー音楽の初期スーパースター達の中でも、「カントリー音楽の父」、「歌うブレーキ係」、「ブルーヨーデラー」などとも呼ばれている[1]。

などと、ウイキでは紹介されている。

まあ、ほぼ納得なのだが、イコール、カントリーには少し違和感がある。

アメリカのほとんどの音楽は、イギリスやスコットランドの移民が母国から持ってきたものであったり、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々が、民族の音として、体ごと持ってきたもので出来ている。

そして、ジミーが活躍したわずか数年が、以降のフォークソングやら、カントリーやら、ロックを作る時代であった。以外にも、フォークやカントリー、そしてロックの歴史はまだ、100年にも満たないのだ。

世界大恐慌を前後して、アメリカでは特に敬われている、カーターファミリー(ロストはこれで出来ている)やジミー・ロジャースが活躍し、交流し、フォークやカントリーの土台を作るのだ。まあ、カーターファミリーはより多くフォークの土台を作り、ジミーはカントリーの土台を作ると、言ってよいかな。そして彼らも、その内部に黒人たちの音楽を、貪欲に取り込み、フュージョンしたことは言うまでもないのだった。やがて、彼らのスタイルを吸収して、ウッディたちが、フォークソングの道を作り、ジミーの系譜は、偉大な、ハンク・ウイリアムスにつながって行き、カントリーミュージックが生まれるのさ。

シンプルで、ギター1本で、音楽になる・・・・いいねぇ・・・・


この方たちの音楽なしに、今のポピュラー音楽はあり得なかったし、今のこの国の音楽も、そこかしこに、彼らのDNAが含まれてるのさ。


1961年にカントリー・ミュージック殿堂博物館が建設されたとき、ロジャーズは最初に殿堂入りした3人の内の1人となった。他の2人は、音楽出版者でソングライターのフレッド・ローズと、シンガーソングライターのハンク・ウィリアムズだった。


きいてみましょうか?

わし・・この曲好きなのだ。

コメント (2)
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