これは、12月3日の記録である。
「風は故郷へ」・懐かしい歌なのだ。劇の主題歌として作られた歌だが、アメリカのフォークの響き・・・作曲されたのは、音楽の師匠である、岡田京子さんである(そして、彼女にしては、少し異質な音階で書かれた歌だ)。
彼女をお呼びして開いたT市のコンサートで、何度かジョイントしたものだ。
弾きなれないバンジョーを弾かされた思い出が今も鮮烈。
その岡田京子さんから「もう、最後の公演になると思うからいらっしゃい!」と誘われ、女房と行ってきたのだった。
なんと!女房は、この演劇は3度目の観劇らしい。ここの劇団は昔から好きで、たくさん見ているらしく、その中でも、好きな1つらしい。
歌の中味で、どんなテーマの劇か分かるのだが、それは、僕の想像で、実際を観劇するのは、ワクワクであった。
古くは統一劇場・その後現代座と名を変えた劇団の演劇だ。
1場から5場の構成。20年前に書かれた北海道のさびれた開拓のお話だ。
開拓の言葉も、実は、実体を伴って伝わるか怪しい21世紀の10年過ぎた日本だ。
あの戦争が、戦争を知らない子ども達の時代から、その子ども達の世代になっているのだ。「もはや、戦後ではない・・」の戦後の意味も、解説がいるのだ。
戦中・戦後の開拓村は、もはや、2世ではなく、3世の世代が担っている現実だ。
かつて50戸以上あった満州やシベリアから帰った人々が、開拓した村。厳しい自然環境で数年に1度は不作が襲い、場当たり的な農業政策で、翻弄され行き場を失いつつある開拓村の農業。後継者のいない農家の離農が相次ぎ、学校も廃校に。
今、加速度をつけて起こっている、小さな村の・開拓村の現実が、この演劇では、切り口をあらわに観客に見せられて行く。
劇は、かろうじて残ることを決意した若者たちが、営農を続けようとする姿で幕を閉じるが、それはハッピーエンドを刻む様なものではなく、厳しいだろうに立ち向かうのか?という、すさまじさを内包する印象を残して終わる・・・・。
TPPでまた、小さな村が、捨てられる。
今こそ、広めたい演劇だが、公演は終わるだろうと・・・
ざんねんである。
一瞬で壊れ、流されてしまった、彼の地の町や村。
大気が・水が・海が・雨が汚れてしまって、こびりついた町や村。
生まれた町は故郷。
育った町は故郷。
くらしの場所と、定め。大地とそこに愛着を持った人々が集まれば、やがて村や町がもう1度再生され、あたらしい息吹がそそがれ、故郷になるだろう。
そんな力を、人間は持っているに違いない。
その時・歌があったら、素敵だねぇ・・・
♪あての無い旅を 続けるよりは、あの緑の谷へ帰ろう
小さな校舎は 今は無いけれど 校庭のポプラが 変わらずあるはずだ
あの頃の谷は 明るさに満ちていた 歓声がこだまする 谷間の運動会
暮らしはどの家も 貧しかったけれど おおらかな笑顔を 誰もが持っていた
風は故郷へ 新しい歌を運ぶ
風は故郷へ 新しい暮らしを運ぶ♪
しんみりと、温かいこころもちで、帰路に着いた。
浅草で、一杯ひっかけるつもりだったが、電車が乱れに乱れて、ひっかける時間が無かった。
んで、車中・・・なんだか、この演劇には、ワンカップがとっても似合っていると思ったのだった。
「風は故郷へ」・懐かしい歌なのだ。劇の主題歌として作られた歌だが、アメリカのフォークの響き・・・作曲されたのは、音楽の師匠である、岡田京子さんである(そして、彼女にしては、少し異質な音階で書かれた歌だ)。
彼女をお呼びして開いたT市のコンサートで、何度かジョイントしたものだ。
弾きなれないバンジョーを弾かされた思い出が今も鮮烈。
その岡田京子さんから「もう、最後の公演になると思うからいらっしゃい!」と誘われ、女房と行ってきたのだった。
なんと!女房は、この演劇は3度目の観劇らしい。ここの劇団は昔から好きで、たくさん見ているらしく、その中でも、好きな1つらしい。
歌の中味で、どんなテーマの劇か分かるのだが、それは、僕の想像で、実際を観劇するのは、ワクワクであった。
古くは統一劇場・その後現代座と名を変えた劇団の演劇だ。
1場から5場の構成。20年前に書かれた北海道のさびれた開拓のお話だ。
開拓の言葉も、実は、実体を伴って伝わるか怪しい21世紀の10年過ぎた日本だ。
あの戦争が、戦争を知らない子ども達の時代から、その子ども達の世代になっているのだ。「もはや、戦後ではない・・」の戦後の意味も、解説がいるのだ。
戦中・戦後の開拓村は、もはや、2世ではなく、3世の世代が担っている現実だ。
かつて50戸以上あった満州やシベリアから帰った人々が、開拓した村。厳しい自然環境で数年に1度は不作が襲い、場当たり的な農業政策で、翻弄され行き場を失いつつある開拓村の農業。後継者のいない農家の離農が相次ぎ、学校も廃校に。
今、加速度をつけて起こっている、小さな村の・開拓村の現実が、この演劇では、切り口をあらわに観客に見せられて行く。
劇は、かろうじて残ることを決意した若者たちが、営農を続けようとする姿で幕を閉じるが、それはハッピーエンドを刻む様なものではなく、厳しいだろうに立ち向かうのか?という、すさまじさを内包する印象を残して終わる・・・・。
TPPでまた、小さな村が、捨てられる。
今こそ、広めたい演劇だが、公演は終わるだろうと・・・
ざんねんである。
一瞬で壊れ、流されてしまった、彼の地の町や村。
大気が・水が・海が・雨が汚れてしまって、こびりついた町や村。
生まれた町は故郷。
育った町は故郷。
くらしの場所と、定め。大地とそこに愛着を持った人々が集まれば、やがて村や町がもう1度再生され、あたらしい息吹がそそがれ、故郷になるだろう。
そんな力を、人間は持っているに違いない。
その時・歌があったら、素敵だねぇ・・・
♪あての無い旅を 続けるよりは、あの緑の谷へ帰ろう
小さな校舎は 今は無いけれど 校庭のポプラが 変わらずあるはずだ
あの頃の谷は 明るさに満ちていた 歓声がこだまする 谷間の運動会
暮らしはどの家も 貧しかったけれど おおらかな笑顔を 誰もが持っていた
風は故郷へ 新しい歌を運ぶ
風は故郷へ 新しい暮らしを運ぶ♪
しんみりと、温かいこころもちで、帰路に着いた。
浅草で、一杯ひっかけるつもりだったが、電車が乱れに乱れて、ひっかける時間が無かった。
んで、車中・・・なんだか、この演劇には、ワンカップがとっても似合っていると思ったのだった。