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館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

風は故郷へ・現代座の演劇の土曜日だった。

2011-12-11 07:33:23 | 音楽を思う
これは、12月3日の記録である。





「風は故郷へ」・懐かしい歌なのだ。劇の主題歌として作られた歌だが、アメリカのフォークの響き・・・作曲されたのは、音楽の師匠である、岡田京子さんである(そして、彼女にしては、少し異質な音階で書かれた歌だ)。

彼女をお呼びして開いたT市のコンサートで、何度かジョイントしたものだ。

弾きなれないバンジョーを弾かされた思い出が今も鮮烈。


その岡田京子さんから「もう、最後の公演になると思うからいらっしゃい!」と誘われ、女房と行ってきたのだった。

なんと!女房は、この演劇は3度目の観劇らしい。ここの劇団は昔から好きで、たくさん見ているらしく、その中でも、好きな1つらしい。



歌の中味で、どんなテーマの劇か分かるのだが、それは、僕の想像で、実際を観劇するのは、ワクワクであった。

古くは統一劇場・その後現代座と名を変えた劇団の演劇だ。


1場から5場の構成。20年前に書かれた北海道のさびれた開拓のお話だ。

開拓の言葉も、実は、実体を伴って伝わるか怪しい21世紀の10年過ぎた日本だ。
あの戦争が、戦争を知らない子ども達の時代から、その子ども達の世代になっているのだ。「もはや、戦後ではない・・」の戦後の意味も、解説がいるのだ。

戦中・戦後の開拓村は、もはや、2世ではなく、3世の世代が担っている現実だ。




かつて50戸以上あった満州やシベリアから帰った人々が、開拓した村。厳しい自然環境で数年に1度は不作が襲い、場当たり的な農業政策で、翻弄され行き場を失いつつある開拓村の農業。後継者のいない農家の離農が相次ぎ、学校も廃校に。

今、加速度をつけて起こっている、小さな村の・開拓村の現実が、この演劇では、切り口をあらわに観客に見せられて行く。

劇は、かろうじて残ることを決意した若者たちが、営農を続けようとする姿で幕を閉じるが、それはハッピーエンドを刻む様なものではなく、厳しいだろうに立ち向かうのか?という、すさまじさを内包する印象を残して終わる・・・・。



TPPでまた、小さな村が、捨てられる。

今こそ、広めたい演劇だが、公演は終わるだろうと・・・

ざんねんである。



一瞬で壊れ、流されてしまった、彼の地の町や村。
大気が・水が・海が・雨が汚れてしまって、こびりついた町や村。

生まれた町は故郷。

育った町は故郷。

くらしの場所と、定め。大地とそこに愛着を持った人々が集まれば、やがて村や町がもう1度再生され、あたらしい息吹がそそがれ、故郷になるだろう。
そんな力を、人間は持っているに違いない。

その時・歌があったら、素敵だねぇ・・・


♪あての無い旅を 続けるよりは、あの緑の谷へ帰ろう
  小さな校舎は 今は無いけれど 校庭のポプラが 変わらずあるはずだ
 
 あの頃の谷は 明るさに満ちていた 歓声がこだまする 谷間の運動会
  暮らしはどの家も 貧しかったけれど おおらかな笑顔を 誰もが持っていた

  風は故郷へ 新しい歌を運ぶ
        風は故郷へ 新しい暮らしを運ぶ♪  


しんみりと、温かいこころもちで、帰路に着いた。
浅草で、一杯ひっかけるつもりだったが、電車が乱れに乱れて、ひっかける時間が無かった。

んで、車中・・・なんだか、この演劇には、ワンカップがとっても似合っていると思ったのだった。
コメント (4)
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