館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

星野正吉コンサート・岳など。

2011-06-01 06:00:45 | 音楽を思う
昨日日記

1・朝、5時から、朝飯前の農作業。

2・三国志関連の、新書を読み始める。三国志は面白いねぇ。

3・菅おろしがニュースを賑わす。今、それど頃ではないでしょ?だいち、代わりが居るのか・・・?深刻に、わが国の貧困を思う。

4・6月の蔵王を、模索の日々・・・・


さて、21日・22日の話が続く。





星野正吉という歌手がいる。あまりにマイナーなので、知る人は少ないだろう。

ちょっとプロフィールを書く。

1937年群馬県片品村に生まれる。小学校時代はほとんど満州で過ごし、23年に引き揚げる。
沼田高校卒業後上京。24歳で、劇団「新制作座」以後、劇団「統一劇場」を経て、銀座で店の歌手を長く続け、現在、各地を回り歌を続けている。

大正・昭和の歌謡曲を歌い継いでいる。



僕が彼を聴いたのは、もう10年ほど経つだろうか?
その声・その歌・・「旅の夜風」だったり「帰り船」だったり「お富さん」だったり・・・

その切なさと、時代だ浮かぶ歌にちょっと驚いた。

そして、「この歌・彼の歌唱」は親に聞かせたい!と思ったのだった。
そして、2003年に館林でコンサートをお願いした。ピアノに安達元彦氏・アコーデオンに岡田京子氏を配しての最高のセットだった。
親父も脳梗塞で半身不随だったが、車椅子の上で、涙して聞いていた。

僕らの客層では無い方々を呼ばねばならない・・・実行委員会を作り「お前達のお母さんやお父さんをつれて来い!」と、激を飛ばしたのだった・・・

驚いたぜ・・・・100人来れば採算が取れる・・・それになんとまあ、150人ほどやってきたではないか・・・おじい・おばあが・・こんなに元気なおじい・おばあが、館林にも居るもんだな・・と思ったのだった。

その彼のコンサートが隣町であった。

懐かしくも、再会を果たせた(年賀状のお付き合いだけになっていたのだ・・・)。

相変わらずの声・相変わらずの語りで、人びとの心に残っているに違いない、戦前や戦後すぐの歌謡・そして我が師である岡田京子さんの曲など続いた。

弾き語りで、すこしミディアムなテンポの曲ばかり・・あたりが、物足りない部分だったか・・・

もっと、沢山歌う場が有るべき人だなと、思った。

まだ、母親は健在だ。生きてるうちに、もう1度などと、頭をよぎった・・・


彼は、東京の小平に住んでいる。周辺や杉並あたりでは、小さなコンサートが行われているようである。そんな、案内など近在在住の方、見かけたら、是非行ってほしいと思うのだ。内容は、オレが保障するのだ。



惚れている漫画の映画化。

行っただよ。



まあねぇ・・・・

山岳警備・救助・・・・山を愛しながら、遭難救助に立ち向かう、お山の警察、そしてボランティアで山岳救助を行っている「三歩」の物語なんだけど。

突然遭難者があわられ、救助に向かう人間関係って、筋なのさ。

どうも、漫画の芯にある「豊かな山と豊かな心の人間」ってのが、描かれてない気がしたな。

脚本がねられてないんじゃないの?


そんな、音楽と映画の休日が5月21・22日だった。
コメント (10)
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