館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

あかんべ山余話・・これからが問われている。

2011-02-16 06:51:46 | あかんべ山ログ



まったく知らされていなかった。実行委員は実質7人・・女房も知らなかったと言うから、たぶん5人ほどで図ったのだろう。

やられたと思ったのだったが、うれしかった。

30年で、1度も本番を外さなかったのは僕と、音響の関口氏。
ロストのユッコは、病気だったか・・1度出なかった。
関口氏はロストのメンバーであった。脱退を聞いたことは無いので、本当は今でもロストなのだが、2足のわらじは履かない意思がある。
ずっとその音響を守り続けてくれた。館林でコンサートと言えば、一緒にこなしてくれる。よしだよしこさんのコンサートも、太鼓叩きのコンサートも、皆彼にお世話になっている。よしだよしこさんは、そのナチュラルな音作りが好きで、いつも気持ちがいいと話す。

その3人に・・・・感謝したいと、メンバーが大きなペンダントを作って、本番、ステージ上、沢山のお客さんの前で、表彰式であった・・・。

メンバーに抱きしめられるすごさ!分かるかい?





沢山の花も、手渡された。

ずっと支援してくれた、喫茶店のマスターが楽屋まで持ってきてくれたのには驚き、まだ、本番前なので、不覚にはならなかったが、「ちゃんとステージを務めねば・・と、ピンと背筋が伸びた。

そして、ロスト本番が終わって・・袖に向かおうと・・・

もう10年以上も前に、「もう歌えない」と、ロストを去ったSベーベーが、花束を抱え、僕をめがけて進んでくるではないか!!

こちらは、不覚にも、不覚であった・・・・

やめるもののせなかをなんどもみおくってきた。

やめる意思・続く意思・その固い固い意思を溶かして、交わらせる力が、音楽、音楽という文化には有ったのか!うれしかった。

武力に武力で臨んで、平和が訪れた事実が、今の時代・・僕らの生きた時代に有ったか?
差別や、貧困や、弾圧に、非暴力と文化で対峙することを学ぶべきだ。
あのマーティン・ルーサー・キングが黒人差別に、非暴力と音楽と言う文化で対峙し、やがて黒人の大統領を用意する土台を作ったようにね。




これも、参った!参りました!

大人がやっと抱えられそうな大きさの板に、「あかんべ」と丁寧に掘られた、木製のプレート。
大方片付いた会場で、大きなイーゼルに載せられ、会場に残り、最後のコンサートの最後のバラシを黙々と行なうすべての人を見つめるように、南の端にあった。
どうしたの?誰が?と問うと・・・PAの田島君が、記念にと、僕らに贈ろうとしたものらしい・・・
裏方!その裏方たる、土台を支える「プロの仕事」の心意気を見た。

20回を過ぎて、さらに大きくなったあかんべ山は、彼の仕事無しには、正直続かなかったかもしれない・・・

音のクリエーターでもあった彼は、つつましく、決して表に出ることを望まなかったが、このプレートも、彼らしく、そっと僕らに手渡された。

その場で、皆が名を刻み・思いのたけを綴った。
まだまだ、刻むべき人がいて、これから数ヶ月・・持ちまわって、刻んでもらおうと思っている。

あらためて、彼には、感謝したい!

その関口氏とのコラボで生み出された音に、どんなにか、僕らは助けられ、酔いしれただろうか。
僕らロストは、他のコンサートで歌わせてもらうことが時々ある。今だ、あかんべ山の音響を越える、オペレートに出合ってはいない・・・・




あかんべ山の焼印

磨いて、あかんべ山の資料と共に、物置整理し、仕舞った。

沢山の友人に・隣人に、僕らあかんべ山の出演者、スタッフは褒められ、賞賛され、惜しまれたに違いない。

恩返しは、僕らが、この地で、音楽を続けることだと思うのだ。
コメント (18)
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