館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミルト ジャクソン・僕の育った音楽Jの仲間達その12。

2009-08-16 08:05:49 | 僕の育った音楽


うるさがたの、JAZZフリーク諸氏であっても、ビブラフォンはな、スイングで「ライオネル・ハンプトン」、モダン以降「ミルト・ジャクソン」と言って、お叱りは受けないだろう。

少しコピペな。

1923年、ミシガン州デトロイトに生まれる。

ディジー・ガレスピーに招かれニューヨークへ行き彼のバンドでプレイする。

後はセロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、レイ・ブラウンらと共演を重ねる。

1951年にミルト・ジャクソン・カルテットをジョン・アーロン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラム)らと結成するが翌年にはモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)となる。以降はモダン・ジャズ・カルテットのメンバーとして活躍する。

1974年7月カルテットを解散。

その後も活躍・来日などもするが、惜しくも1999年没。


以上・コピペ終了。


ミルト・ジャクソン・・M.J.Q.の顔は、彼だったのは、間違いないと僕は思っている。
「ヴァイブの神様」「ビブラフォンの魔術師」など形容されるが、見事なJAZZマンであった。バイブ(ビブラフォン)って、こんなに美しい楽器なのか!と楽しませてくれた、第一人者であったな!!

まるで、歌うようなバイブであった。

ちなみに、僕は、もちろん大好きなのだが・・・

実は、エディー・コスタも・・・ここだけの話だが、好きなのだ。
コメント (8)
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