雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
ご存知宮沢賢治の詩である。最近メディアでこの詩の一節「ヒドリのトキハナミダヲナガシ」が話題になっている。ここではヒドリとしたが、私のいくつかの詩集ではヒデリである。ヒドリは日雇い或いは出稼ぎの意味。両論私には判断できないが、ヒドリで読み返すと何故か又良い。賢治のなりたい「サウイフモノ」は生きる事を達観した、太く・大きく風になびく1本の葦のようにも読めるが、救われないサガを抱えながら精一杯生きようとする、生身の人間がそこに又立ち現れる。メディアのおかげでしばらくぶりに賢治に会った。メディアもいいこともタマニハスルンダネ。
ロストもまた、生身の人間が立ち現れる歌を歌いたいもんだ!